「師走総選挙」の争点は今後の「経済ビジョン」

問題は、再増税を延期した17年4月までにデフレ脱却を確かなものにし、景気を好循環に乗せられるか。今回の総選挙はこの点をこそ、争うべきなのだ。与党は公明党に阿(へつら)って軽減税率の飴玉を掲げるだけでよいのか。野党は整合性のある対案を提示できるのか。
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時事通信社

 サプライズ(驚き)というより、ショック・アンド・アウォー(衝撃と畏怖)というべきだろう。11月18日、安倍晋三首相は衆院解散の剣を抜いた。投票日は12月14日、赤穂浪士の討ち入りの日である。選挙の焦点は、野田佳彦首相による2年前の解散と同じ消費税である。経済と財政をめぐる、この国のかたちが問われようとしている。

官邸に一杯喰わされたメディア

 2015年10月に予定されていた消費再増税の1年半延期と衆院の解散。18日の安倍首相の解散表明は、メディアによって事前に報道された通りの中身だった。年内解散の観測を最初に報じたのは『週刊文春』(11月6日発売)で、この時点で世間は「週刊誌の飛ばし記事」くらいに受け止めていた。その後、9日付の『読売新聞』が1面ワキの記事で年内解散の可能性浮上と伝える。投票日について12月14日と21日の両日を挙げていたのが印象的である。

 この"眉唾"が出た後の10日の時点でも、凡庸なジャーナリストたちは「『読売』報道は眉唾だ」と自己保身に走っていた。「再増税見送りなら解散」などといった書きぶりは、「典型的な『れば』『たら』記事だ」といった具合だ。「れば、たら記事」とは「もし~なら」といった条件をつけて、つまり逃げを打っての観測記事をいう。

 よその社の記事に難癖をつけているうちに、彼らは11日朝に第2の衝撃に襲われる。あの『読売』が11日朝刊トップで「年内解散」を打ち出したのである。それも今度は決め打ちで。すると、今度は「『読売』は官邸に近いから」といった繰り言のリフレインである。他の大手メディアは官邸にまんまと一杯食わされたのである。

「アベ・クロの溝」

 サプライズはこれが初めてではない。10月31日午後、経済記者たちは丸坊主にならなければならない事態に見舞われた。黒田東彦総裁が主導権をとった日本銀行による追加金融緩和である。「黒田バズーカ2」は市場に衝撃を与え、円売り・日本株買いを促した。「景気と物価のもたつきに、日銀も打つ手はあるまい」と高をくくっていた外国勢に、熱湯を浴びせたからだ。

 当たらないエコノミストたちの釈明より、次の数字を見てほしい。

 10月第5週=9047億円、11月第1週=1兆562億円、第2週=9098億円。これは外国人投資家による日本株の買越額である。買越額は3週間で2兆8707億円と、3兆円に迫った。株式ばかりでない。外国勢はこの間、国債など中長期債を2兆1916億円、短期債を1兆7989億円買い越している。株・債券を合わせた日本への資金流入は、わずか3週間で7兆円に迫った。

 人口に膾炙する「日本売り」の危険をよそに、現実には空前の「日本買い」が起こったのである。7年ぶりともなる日経平均株価の1万7000円台回復は、市場の潮目の変化を示す。そして誰よりも黒田バズーカ2に快哉を叫び、株高にガッツポーズをとったのが、安倍首相その人なのである。この調子なら、「再増税延期と年内解散に打って出られる」。そう腹を固めたことだろう。

 追加緩和によって再増税の決断を促そうとした黒田総裁を袖にしたような首相の振る舞い。一連の再増税延期と年内解散を巡る報道に、「アベ・クロの溝」つまり安倍首相と黒田総裁の間の隙間風といった解説も流布された。と同時に、「なぜ議席減少を覚悟で早期解散を?」といった、素朴な疑問がくすぶった。もちろん、答は首相と菅義偉官房長官のみぞ知る。

「決断主義」の意思決定

 とはいえ、2人のココロを探るカギはある。7~9月期の国内総生産(GDP)だ。4月の消費税引き上げ後の消費の落ち込みで、4~6月期が前期比年率7.1%減(第1次改定値)まで落ち込んだ後の戻りはかんばしくない。10月下旬あたりから、7~9月期のGDP不振の情報が駆け巡った。民間エコノミストたちは、「7~9月期は2%台半ば」と予想していたが、『読売』報道が出るあたりでは官邸は「せいぜい1%台半ば」との感触を抱いていた。要するに「ほぼゼロ成長」である。

「それでも再増税は実施すべきだ」と、官邸に集まった有識者点検会合の多数派は主張した。だが、安倍首相にも菅官房長官にも、このような「景気よりも財政再建」という発想はなかった。むしろ財務省に説得されて13年10月に、今年4月からの増税を決断したことが、今春以降の景気低迷を招いた、と首相と官房長官は臍を噛んでいた。

 その轍は踏むまい。首相のココロは「最後は自分1人で決める」という決意となって示された。ドイツの政治・憲法学者カール・シュミットの言葉を借りれば、「決断主義」の意思決定である。その決断を後押ししたのが、黒田総裁の「決断主義」だったから皮肉である。結局のところ、「アベ・クロの溝」を否応なく埋める数字が飛び出した。

ゴルディウスの結び目

 11月17日に発表された7~9月期のGDP(速報値)である。前期比年率1.6%のマイナスというまさかのマイナス成長。エコノミストたちは「GDPショック」と腰を抜かした。当然ながら、この日の日本株は急落した。「黒田バズーカや再増税延期も帳消し」とか「解散戦略に狂い」といった解説が、この日のメディアを覆い尽くした。

 おいおい、やめてくれ。黒田緩和の匂いも嗅げず、今度は若干のプラス成長という横並び予想がはずれた2連敗の反省の方が先ではないのかい。土曜ワイド劇場流の定番ミステリーの手法を借りれば、年内解散の真犯人は、このマイナス成長だったように思える。一連の事態を当初の予定通りに並べ変えてみれば、ハッキリするはずだ。

 11月17日=7~9月期のGDP(速報値)発表

 11月18日=再増税有識者点検会合終了

 11月18~19日=日銀金融政策決定会合

 12月8日=7~9月期のGDP(第1次改定値)発表、それを受け再増税判断

 12月18~19日=日銀金融政策決定会合

 11月17日のGDPがマイナス成長となった後で再増税延期や景気対策を発表したとしても、いかにも追い込まれた感じだったはずだ。当初予定通り12月8日の第1次改定値の発表を待っての決定となれば、その間に再増税先送りを求める株式市場の「催促相場」が熾烈になっていたに違いない。日銀にしても、政治との間合いの取り方が難しくなり、どこで追加緩和をしても、出遅れ感は否めなかったろう。

 政治的に重要なのは、12月は税制改正と予算編成のシーズンであることだ。景気のもたつきを受けた14年度の補正予算や15年度の当初予算の編成で、政治日程は塞がってしまう。首相が公約に掲げる法人減税についての、代替財源をめぐる綱引きも熾烈になるころだ。再増税判断が12月上旬にずれ込めば、安倍首相は霞が関と永田町の歳時記に埋没し、主導権を失うところだった。

 こうしたゴルディウスの結び目(もつれた難問)を解き、自らの政策テーマを世に問うには、何よりも決断時期を前倒しにする必要があった。日銀追加緩和、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)による株式運用拡大の決定など株価に優しい策を打ち出し、事前に再増税延期、補正予算という景気下支えの雰囲気を醸し出したうえで、GDPショックを吸収する――。

 そして解散に打って出る。経済に軸足を置くことを有権者にアピールすることで、綻びの出てきたアベノミクスを再起動させようというのが、安倍首相の胸の内だろう。「追い詰められ解散」に比べれば、はるかに巧妙な政治手法というべきだ。多くのマスコミや野党は「大義がない」と批判するが、枝野幸男民主党幹事長はよもやお忘れではあるまい。「私が総理なら早期解散する」と、秋になるころから自らが繰り返してきたことを。

拡大した「3つの格差」

 選挙の結果は神のみぞ知る。とはいえ、アベノミクスにいくつもの綻びが出てきたことは確かである。街行く人たちが経済政策に満足していないのも否めない。

 金融緩和(第1の矢)と積極財政(第2の矢)で景気をふかしているうちに、成長戦略(第3の矢)を軌道に乗せる。デフレ脱却と景気好循環を実現すると同時に、消費税の引き上げによって財政再建の道筋をつける。

 こうしたアベノミクスの目論見は、13年いっぱいはうまく行っているように見えた。ところが、今年4月の消費税の引き上げを機に、消費はもたつき景気は足踏みした。4~6月期、7~9月期とGDPは2四半期連続でマイナス成長になったが、これは米国流の定義ではリセッションつまり景気後退である。仮に自分が野党側だったら、「アベノミクスの帰結はリセッションだ」と責め立てるだろう。

 さらに格差の拡大を突くだろう。不平等や社会的不公正といったリベラル派の好みの論点もさることながら、「格差の拡大が景気の足取りを脆弱にしている」といった批判が成り立つはずだ。

 例えば、収入階層別の収入・支出。世帯数を所得の多寡で5等分した際に、最も所得の低い層に属する2割の世帯(第Ⅰ分位)の収入は、消費増税後の今年5~7月に前年比約6%減少し、支出は同じく10%以上落ち込んだ。その間、第Ⅱ、第Ⅲ分位の世帯の支出減は1%程度と軽微。中の上に属する第Ⅳ分位の支出はむしろ増加し、最も所得の高い層である第Ⅴ分位の支出は横ばいだった。

 企業格差もしかり。従業員5~29人の中小・零細企業の従業員の所定内給与は6~7月に前年比0.1%減っている。同じ時期の特別給与(ボーナス)も同0.5%増にとどまった。同時期に従業員500人以上の企業では、所定内給与が同0.8%増え、特別給与に至っては同8.0%も増加している。アベノミクスにとって、第Ⅰ分位の低所得層や従業員30人に満ない中小・零細企業は盲点だったといわざるを得ない。

 もうひとつ。都市と地方の格差がある。クルマが生活の足となっている地方では、夏場にかけてのガソリン代の値上がりがズシリと堪えた。消費に占めるエネルギーの割合は東京都区部と政令市の平均で6.4%、対する5万人未満の都市では9.5%にのぼる。東京などに比べ所得が増えていないのに、生活コストばかり上がる、というのが地方の生活者の実感だろう。

 個人所得格差、企業格差、地域格差――以上の問題提起は、民主党の資料によるものではない。政府の月例経済関係閣僚会議に提出された参考資料(9月19日)なのだ。企業収益のみならず、賃金の引き上げをも目指したアベノミクスが、壁に突き当たったことを、当の首相自身がよく知っている。

チャンスを生かせない民主党

 リベラル派のエコノミストは「アベノミクスの帰結は格差の拡大」と言い募るところだが、ならば「デフレを放置したままで先行きの展望が開けるだろうか」という反論も成り立つ。恐らく、最大の問題は政権の掲げるインフレ目標政策と、財務省が最重視する消費税増税の取り合わせの悪さだろう。増税による価格転嫁という「悪い物価高」が起きたのである。

 政権の躓きを責める絶好の機会がやってきたというのに、愛する民主党はチャンスを生かし切れていない。それどころか、09年の総選挙で掲げた政権公約の多くを、そのまま持ち出しているのだ。「アベノミクスからの転換」を図り、「厚く豊かな中間層を復活させる」というのはいいが、農林水産業や中小企業に政策資源を集中させることで、その目標は達成できるのか。

 農家への戸別所得補償の強化を掲げるのを見ると、頭がクラクラしてくる。財源の裏付けに疑問符がつき頓挫した最低保障年金の制度化に、再度チャレンジしようとするなど、突っ込みどころは満載である。仮に政権を奪還しようとする気があるなら、もう少し脇を固めた方がよいのではと言いたくもなる。

 もうひとつ、急速な円安是正のための「柔軟な金融政策」とは、要するに黒田緩和の否定だろう。円安には輸入物価上昇という副作用を伴うのは確かだが、金融緩和にブレーキを踏む姿勢を見せれば、急速な円の買い戻しが起きるのは目に見えている。デフレ脱却の芽は摘まれ、輸出企業の業績悪化への懸念から、民主党政権時代の「円高・株安トレード」が復活するはずだ。

 問題は、再増税を延期した17年4月までにデフレ脱却を確かなものにし、景気を好循環に乗せられるか。今回の総選挙はこの点をこそ、争うべきなのだ。与党は公明党に阿(へつら)って軽減税率の飴玉を掲げるだけでよいのか。野党は整合性のある対案を提示できるのか。

 有権者は意外に冷静に物事を見ているように思えるが、どんなものだろう。

青柳尚志

ジャーナリスト

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(2014年11月26日フォーサイトより転載)