東京・新宿の京王百貨店で開催されている「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」。1966年にスタートしたこの催しは、期間中の休日には10万人近い客が訪れ、「駅弁の甲子園」とも呼ばれています。
今年は、函館本線・森駅の「いかめし」など定番はもちろんのこと、平成29年を「肉(29)の年」にかけて、牛や豚を使ったボリュームたっぷりの弁当などバラエティあふれる弁当が集合。その数、およそ300種にのぼります。
会場の様子。人気弁当には長蛇の列も
会場の様子
最近太り気味だったのでなるべく炭水化物を抜いていたのですが、全国各地から珠玉の駅弁が集まると聞き、つい足を運んでしまいました…。そこで今回は、私が購入した11個の弁当をご紹介します(※全て自腹です。もちろん完食しました)。
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各地の駅弁を食したことで、東京にいながらまるで全国を鉄道旅行した気分に。学生時代に「青春18切符」で日本全国を旅した思い出がよみがえりました…。
■駅弁の発祥は? 宇都宮駅、上野駅、神戸駅…諸説あるみたい
1902年(明治35年)の駅弁販売光景
『駅弁学講座』(集英社新書)によると、駅弁の始まりは1885(明治18)年に宇都宮駅で握り飯(おにぎり)とたくあんを竹の皮で包んだものが最初だとされてきたそうですが、1883(明治16)年の上野駅発祥説や1877(明治10)年の神戸駅発祥説など諸説あり、定かでないそうです。
駅弁の定番スタイルといわれるのが「幕の内弁当」。焼き魚、かまぼこ、卵焼きは「三種の神器」とされます。ちなみに「幕の内弁当」の駅弁は1889(明治22)年の姫路駅が元祖とされています。
1966年には新宿の京王百貨店(1964年創業)で、「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」が開催されると、駅弁ブームが到来。当時の国鉄(現JR)売店では、駅弁を買う人が増えたそうです。
「第52回元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」会場の様子
「第52回元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」実演販売
そんな中、1987年に国鉄は民営化されJRになると、駅弁をめぐる環境も大きく変わりました。朝日新聞(2008年2月9日朝刊)によると、全国のJR駅構内で弁当を販売している業者の団体「日本鉄道構内営業中央会」の会員企業は1987年度に372社とピークでしたが、2008年には半数以下の150社になりました。
不採算路線の撤退、「電車の高速化」による停車駅の減少が進む現在、駅のホームで売り子の「弁当~、弁当~」という軽快な声に誘われ、車両の窓から駅弁を買う…そんな光景も、今は昔のものとなりました。
■「駅弁の甲子園」はじまったきっかけは…
1966年から京王百貨店で始まった「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」。「駅弁の甲子園」とも言われ、期間中の休日には10万人近い客が訪れることもある名物企画ですが、はじまったきっかけは意外なものでした。同社の広報担当者はハフィントンポストの取材にこう語ります。
「弊社は1964年創業とデパート業界では後発だったため、高島屋さんに教えを乞うていた時期がありました。実際に高島屋さんの社員の方にも来ていただき、ノウハウを教わったようです」
京王百貨店新宿店の開店を伝える当時の新聞記事(朝日新聞 1964年11月1日夕刊・東京本社版)
広報担当者はこう続けます。
「高島屋さんでは、日本でいち早く駅弁大会を企画していました。そこから京王にも『駅弁大会というものがあるよ』という話がもたらされたようです」
折しも、新宿の新たなデパートとして特徴的な企画を模索していた時期。こうして始まった駅弁大会は、やがては京王百貨店を代表する名物企画に成長しました。
駅弁大会が1月に開かれるのにも理由がありました。1月に初売り、クリアランスセールが一息つくと、デパートの客足は遠のきます。また、観光地でも1〜2月は寒さから人出が少なくなり、駅弁業者も時間的には余裕ができるそうです。
客足を呼び込みたいデパート側と閑散期に商売がしたい駅弁業者、1月は双方の都合が丁度よくかみ合う時期でした。全国の駅弁業者は、京王百貨店での出展を皮切りに、各地のデパートで開かれる駅弁大会を行脚するそうです。
普段は口にしたくてもなかなかできない地方の駅弁も、こういう機会であれば気軽に購入できます。デパートの駅弁大会は、「駅弁文化」を後世に継承するための手段の一つなのかもしれません。
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