「家族がいればハッピー、は幻想」 「毒親」ブーム火付け役の漫画家が語る家族の姿

憲法改正への動きが進められ「家族」の問題が取りざたされる現在、家族についての著作が豊富な漫画家、田房永子さんが考える家族の姿について聞いた。
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漫画家の田房永子さんは、自分に過剰に干渉する母親を題材にした2012年のエッセイ漫画「母がしんどい」(KADOKAWA/中経出版)で「毒親」ブームの火付け役の一角を担った。さらに2016年には「キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~」(竹書房)を出版、夫や子供にキレてしまう自分の姿を通じて、引き続き「家族」の問題に挑んだ。憲法改正への動きが進められ「家族」のあり方が議論になる現在、田房さんが考える理想の家族像とは—。

——まず、田房さんのご実家の状況から教えてください。

母は好奇心が強くて破天荒で、父は無口なタイプです。思春期の頃は「母は情が深い人。父は寡黙」と思っていました。実際それで間違いないんですけど、親といるととてつもなく苦しいんですね。

20代の頃は、「親とストレスなく、上手に付き合うにはどうしたらいいか」ということを考え続ける毎日でした。29歳の時に、もうこれ以上無理だ、両親と付き合っていたら自分の人生がぶっ壊れてしまう、と思って、両親と連絡を取ったり会ったりするのをやめることにしました。そこから、この苦しいのは一体なんなんだ、と考え始めてわかったのは、「過干渉で抑圧してくる母、それに無関心な父」という側面でした。

——その後、「毒親」ブームとも言える現象が巻き起こりました。

「毒親」という言葉はそれ以前からあって、私もその言葉に救われた一人でした。

「母がしんどい」を出してから、「私も同じ環境で育ちました」という声がたくさん届きました。

「親のことを『嫌い』って思っていいんだ」「『つらい』って思っていいんだ」「会いたくなかったら、会わなくていいんだって思えました」という声が未だに届きます。

テレビでたくさん「毒親」特集が組まれました。でも「あなたも毒親になっていませんか? 判定チェック」みたいな、ショッキングな内容として扱われることが多かったですね。

私は「毒親」っていう言葉は、第3者が「あなたのお母さんは毒親ですよ」とか言ったりするようなものではないと思ってます。親のことで苦しんできた人が、「自分にとって親の言動、存在は毒なんだ」と認識して、自分の「苦しい」「つらい」をちゃんと分かってあげる、そういう時に便利な言葉だと思っています。

他人だったら、意地悪なことをされたら「アイツはイヤなやつだ」って思えるけど、親だとそれがとても難しい。だから必要な言葉なんです。

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——2014年には『それでも親子でいなきゃいけないの?』(秋田書店)というインタビューを元にしたエッセイ漫画も出されています。

自分がつらかったから、親子であっても別に付き合う必要はないと思います。

——今回の著作もそうですが、「家族」を考え続けるのはなぜですか。

テーマとして持っているわけではなくて、たまたまですね。興味があるのかもしれないです。今回の本では、「キレる」を自分でやめて、夫との関係、子供との関係が変わったのがすごく面白かったです。そういう、変化を感じやすいのも家族の特徴だと思います。

——変化を感じやすいということですが、現在の日本で「家族とはこうあるべき」という抑圧を感じるという声もあります。田房さんはどう思われますか?

妊娠中、マタニティヨガや母親学級の場に行くと、必ず「夫がいる」という前提で話が始まるので、ビックリしました。「こういう場でシングルマザーの人はどうしているんだろう?」と思っていました。

生まれてからも、小さい子どもがいると言うと、「今は誰が子供を見ているの?」とほぼ100%聞かれました。0歳の赤ちゃんを家にひとりで置いて仕事に出てるわけがないから、絶対誰かに見てもらってるに決まってるのに、いちいち誰に見てもらってるか、を最初に話さないといけないんです。

聞いてるほうは悪気はないから、それでイライラするのはおかしいってわかってるけど、男性だったら聞かれることないのにっていつも思いました。「赤ちゃんはお母さんがみるもの」っていうのが染みついているんだって実感します。

だから、ベビーシッターを雇って何か事件があったら「自分で見ていない母親が悪い」という意見がたくさん出るんですよね。

——タレントの神田うのさんがベビーシッターによる盗難被害にあって逆にバッシングされた事件もありましたね。

うのさんは被害者なのに、「ベビーシッターを雇っていること」を叩かれていましたね。普通の男性より何千倍も稼いでいる人なんだから、ベビーシッターを雇っていて当たり前なのに。ベビーシッターを雇っても叩かれないのは、シングルファザーだけだと思います。

ああいうニュースを見ていると、それだけで「普通のママ」である私たちも知らない間に心が縮んで、どれだけ子育てが大変な時でもベビーシッターを雇おうという発想すら湧かなくなるんです。本当に窮屈です。

男性が妊婦ジャケットを着て「妊婦の大変さを体験する」というのがありますけど、「体験して欲しいのはそこじゃない!」って思います。お腹が大きくなって大変なのって、1~2カ月くらいのことなんですよ。

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「九州・山口 ワーク・ライフ・バランス 推進キャンペーン」で「妊婦体験に挑戦」した知事たち

——本当に辛いのは身体の苦痛だけではないということですよね。

妊婦ジャケットを着けた上で、「早生まれはすぐに保育園に入れないんだよねえ(苦笑い)」と区役所の人に言われて、子どもの頃からの夢だった仕事に就いて今までがんばってきたのに、子ども生まれたら辞めなきゃいけないの!?って青ざめたり、そういうのも体験して欲しいです。

孵卵器に鳥の卵を何個か入れて、それを持ち運んで生活するほうが、実際の妊婦には近い感覚を体験できると思う。自分の食べるものが、生まれてくる者の健康に影響を及ぼすことを考えながら、毎日家族の食事も作らなきゃいけない、っていう環境を体験して欲しいですね。孵卵器を持ちながらです。どれも無事に孵らせたいと自分が一番思ってるのに周りから「元気なヒナを孵してね!」とか「産まれたらもっと大変だけどね!」とかも言われます。

大きいお腹のジャケット着たり、赤ちゃんのお風呂の入れ方を習うだけで褒められる男性はいいなーって思います。

虐待してしまうか、その寸前までいかないと、この大変さに気づいてもらえない。それでも気づいてもらえなくて叩かれることのほうが多い。希望する人はみんな保育園に入れるようにしたり、長時間労働の男性たちが早く家に帰れるようにするとか、価値観を根本的に変えて支援を立て直さないと、子どもなんて絶対増えないです。

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そこを変えれば、若い女性たちが子どもを産もうと思うはずです。でも、そこは変えずに、「若いうちに生みましょう」ってアナウンスだけしているのって奇妙だなと思います。

「家族なら、仲良く助け合える」なんていうのは、ごく少数の人に通用することで、それを前提にしているのは無理があると思う。そういう不自然な世間の概念によって、子どもへのしわ寄せがすごくなってしまう。結婚すれば、家族がいればハッピーっていうのは幻想だと思う。

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——家族がいるだけで自動的にハッピーではない。

まず自分がそうでした。人間関係はシーツのようなものだと思います。2人でシーツを張るとき、片方が自分の範囲だけピンと張らせたら、相手の領域にシワができる。2人ともの範囲をピンピンに張らせたら、今度は見えないところにシワが寄りますよね。

親が、「ピンピンに張った状態が『幸福』なんだ」と思っている人だと、子どもは大変。その分のシワは必ず子どもに寄っているから。シワシワのところにいる子どもがピンと張らせたとき、今度は親のところにシワがきます。

ピンピンのシーツの状態が「幸福」だと思い込んでいる親は、ちょっとのシワも自分に寄ってくることに恐怖や苛立ちを感じます。自分が感じたそれを、子どものせいだということにしてしまう。

子どもが複数の家庭で、1人の子どもだけにシワを寄せているのもよくある光景です。他の子どもと親だけはピンピンに張っている。でも親は、家庭内にシワがあるのは、その1人の子どものせいだと思ってるから、シワを家庭内からなくそうとして、その子を「正している」という名目で、怒ったり殴ったり暴言を吐いたりする。

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子どもからシワを寄せられることが耐えられない。耐えられない自分にも気づいていない。シワを受け入れる余裕がないんですね。自分自身が親からシワを押し付けられ続けているから。

だから、家族がお互いにたゆたゆしたぐらいのシーツの加減を「幸せ」と思えるくらいがいいと思うんですよね。

——そうした親から子へのシワ寄せを断ち切るには?

自分が「嫌だったこと」とか自分の「つらい」って気持ちに寄り添うっていうのをまずやったほうがいいのかなと思います。私は娘と接してる時、「お母さんと同じことしちゃってる!」って思うことがあまりないです。でもそれは私の中でないだけで、夫や娘から見たら、母ソックリなところはあるかもしれない。

前は、絶対に同じことはしないって思ってました。そうやって制限みたいなのをかけると、すっごくやりづらいんですよね。顔も母とうり2つだし、そういう血縁に抗うっていうのもちょっと苦行すぎるから、やっちゃっててあとで娘から言われた時に、「そうか、ごめん...」って言えるくらい、ゆるゆるなほうがいいかなと思ってます。

自分に課してるものが大きすぎると、素直に謝れないから。私は母に、普通に謝って欲しかった、っていうのがあるから、謝れる親になる、っていうのが自分の理想です。

——田房さんが理想とされる家族というのはどんな姿ですか?

理想は流動的な、動いている感じですね。私が家庭内でキレることがなくなったら、夫との関係も変わった感じがあります。そういう風に、変わることが面白いです。動いている関係性っていいなって思います。

■田房永子さんのプロフィール

たぶさ・えいこ。1978年東京都生まれ。4歳の長女、夫と暮らす。2000年漫画家デビュー、翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。母からの過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたエッセイ漫画「母がしんどい」(KADOKAWA/中経出版)を2012年に刊行。同じく母との関係に悩む女性から多くの共感を集め、ベストセラーとなる。2作目「ママだって、人間」(河出書房新社)では、自身の妊娠・出産を通しこの社会で「母親」でいることの窮屈さを描くことに挑戦した。最新作は2016年の「キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~」(竹書房)。そのほかの著書に、「呪詛抜きダイエット」(大和書房)、「それでも親子でいなきゃいけないの?」(秋田書店)、初のルポルタージュ「男しか行けない場所に女が行ってきました」(イースト・プレス)など。

▼キレる私をやめたい第一話▼