欧州中央銀行(ECB)が量的緩和に踏み切った。ECBがデフレ対策で国債を買い入れるのは1999年の単一通貨ユーロ導入以降初めてで、ユーロ圏の金融政策は新たな次元に突入した。今回の決定は構造改革論を金科玉条とするドイツの抵抗を押し切って強行されたものとされるが、ことはさほど単純ではなく、いわばメルケル政権のユーロ圏に対する冷淡さ、欧州における統合推進力の決定的な衰えも印象付ける展開となっている。量的緩和に伴う政治的副作用は大きく、欧州政情の波乱要因としても注視していく必要がある。
一斉に非を鳴らすドイツ・メディア
2016年9月までを想定した1兆ユーロ超の買い入れを打ち出した量的緩和に対するドイツの論調は激越だ。
代表的経済紙ハンデルスブラットは「アルコール中毒者に無料のビールを、麻薬中毒者にただで薬物を提供するようなもので、量的緩和はドラギ総裁の麻薬だ」と、手厳しくかつ感情的に指弾する論評を掲載したほどだ。
フランクフルター・アルゲマイネ紙も、量的緩和はユーロへの信認を自ら破棄するものであり、ユーロ加盟国に必要な構造改革を停止させる行為だと批判した。
メルケル首相がアベノミクスに批判的で、経済の再生は構造改革を通じて成し遂げなければならないという政治経済哲学を披瀝し、安倍政権への説教を試みたことも記憶に新しいが、ワイマール時代の天文学的インフレによる経済破滅の記憶が悪夢としてつきまとうドイツにとって、量的緩和は生理的に受け付けない金融政策のようだ。
思い起こせば、ドイツ国民が戦後の西独の繁栄の象徴であった通貨マルクを手放し、ユーロ導入を受け入れたのは、ユーロはマルク同様、強く安定した通貨となり、表向きマルクの名称が変わるだけと信じたからだった。
ECBに望むものも、ドイツ連銀同様、鉄壁の守りを誇る「通貨の番人」としての役割にほかならない。政治的配慮から、総裁の座こそ他国出身者に譲っているものの、ユーロがマルクであるように、ECBもドイツ連銀でなければならない。そのECBがインフレ・ターゲットを設け、量的緩和に踏み出したことは大方のドイツ国民の眼には「背信行為」と映らざるを得ない。
これが今、ECBへの罵詈雑言が噴出しているゆえんだ。
リスクの大半は各国中銀に
しかし、ECB決定をつぶさに見ると、メルケルはドイツが巨大なリスクを負うような量的緩和の枠組みを受諾してはいなかったことが分かる。買い入れられる国債などの80%は、ECBではなく、各国の中銀がそれぞれ自国の債券を購入することとされた。つまり、80%は各国中銀がリスクを負い、ドイツが背負うリスクには一定程度、歯止めが掛けられることになる。
週刊誌シュピーゲルによれば、ドラギ総裁は1月半ばにベルリンを訪れてメルケルと非公式に会い、リスクの大半を各国中銀に引き受けさせる計画を説明していたといい、メルケルはそのスキームを諒とし、量的緩和にゴーサインを出した可能性がある。
とすれば、「メルケルはユーロ圏の絆を弱める計画を良しとし、リスクを共有してユーロ圏諸国の一体性を重んじるモデルを捨てた」(ストラトフォー・リポート)とも解釈される。
かつて「ユーロは戦争か平和かの問題」と叫び、自国の犠牲もいとわずに欧州統合に突き進んだコール時代との様変わりが改めて感得される。
ギリシャのユーロ離脱容認論も
年明け早々には、メルケル政権がギリシャのユーロ脱退を容認したとの報道が駆け巡った。金融安定に向けた「欧州安定メカニズム」(ESM)が発足し、財政危機に陥った加盟国へのバックアップ体制は整っており、ギリシャがユーロを離脱しても他の加盟国への影響は限定的だと判断するに至ったのだという。
メルケルは報道を打ち消したが、大連立与党の社会民主党(SPD)内部ではギリシャ離脱容認論がくすぶっており、ガブリエル党首(経済エネルギー相)は、緊縮政策の放棄を訴えるギリシャの急進左派連合「シリザ」に対し、「ドイツ政府を脅迫することはできない」と厳しい警告を発した。
EU(欧州連合)は、ギリシャが財政再建を継続する見返りに緊縮を一部緩和し、ギリシャのユーロ残留も確保する方向とされるが、いずれにしても、ギリシャのユーロ離脱は以前ほどの強烈なタブーではなくなった。その「脱タブー化」はメルケル周辺のリーク情報によってもたらされた。
停滞する欧州統合プロセスには、強い遠心力が働いている。そして、ドイツとフランス、イタリアなどの間で繰り広げられる財政均衡化をめぐる争いは激しく、これに比べれば「米国の民主党と共和党さえも仲のいい家族に見えてくる」(ユーラシア・グループ)とまで揶揄される。
ドイツの欧州統合に対する「距離感」は、欧州情勢の「不気味な変数」になりつつある。
佐藤伸行
ジャーナリスト
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(2014年1月27日フォーサイトより転載)