エボラ熱生存者クラブ

今年の2月、リベリアへ撮影に行ってきた。今回の私の仕事は、現地でエボラ出血熱と闘っているリベリアの団体の取材だった。
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Keiko Hiromi

仕事で今年の2月、リベリアへ撮影に行ってきた。今回の私の仕事は、現地でエボラ出血熱と闘っているリベリアの団体の取材だった。出会った団体の1つAfromed(アフロメッド)が、首都モンロビアから車で舗装されていないでこぼこ道を1時間ほど離れたフリーマンリザーブに私を連れて行ってくれた。

フリーマンリザーブはモンロビアから42キロほど離れた村で、人口およそ2000人が300家屋に住んでいる。去年のエボラ出血熱ピークの9月から10月の2ヶ月の間に23人の村人がエボラ出血熱で亡くなっている。残された家族、エボラ出血熱生存者達は偏見にさらされている。Afromed(アフロメッド)の指揮のもとフリーマンリザーブではエボラ出血熱生存者クラブが形成された。

エボラ生存者 アンソニー ペイさん 62歳

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私のケースは義理の息子からはじまった。義理の息子はこの村で薬局を経営していた。村で病気になった人がいたので(その後エボラと診断された)看病をしたあとに具合がわるくなった。家族で看病にあたったが結局病状が悪化し死んだ。1週間ほどあとに私の家族3人が病気になり、皆病院で死んだ。私も9月30日に病院に運ばれ、エボラと診断された。10月14日に退院した。私が入院している間、家に泥棒が入り、すべてをめちゃくちゃにしドアまで残さずに盗んでいった。今は借家に住んでいる。退院してからも体調は優れず、心が重い。

エボラ生存者 ナンシー ペイさん 21歳

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私の夫フィリップ トクパ(23歳)はこの村で薬局を経営していた。そして具合の悪くなった隣人の看病をした数週間後にひどい頭痛、体の痛みという症状に襲われて、看病したの。エボラにかかっていたなんて私たちはその時知りもしなかった。フィリップの症状が悪化していって9月21日に自宅で死んだ。エボラ埋葬チームがその日にきて遺体を運んでいったわ。すぐに私もひどい頭痛、体の痛み、気分が悪いという症状がでたの。まずいと思ってすぐにエボラ病院にタクシーを2台乗りついていった。入院の間に家のマットレスを含めてすべて燃やされた。薬局はしまったまま。薬局内もすべての薬にスプレーされてもう使い物にならないわ。

エボラ生存者 クリス マハイさん 43歳と子ども達。自宅の前撮影。

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妻のエカイ(31歳)が最初に具合が悪くなったんだ。頭痛、下痢、体の節々が痛い、などの症状がでたのが9月18日だった。1週間後に病院へつれていった。家は一間しかないから、マットレス一つにみんなで寝ているんだ。3日後に私の調子が悪くなった:高熱、下痢。子ども達3人にも同じ症状がでた。私と子ども達3人がエカイのいる病院にいった、そこで検査結果エボラだといわれたんだよ。エカイは10月29日に死んだ。私と子ども達3人は11月に退院した。私が入院している間、親戚が家にきて症状のない2人の子ども達をつれていって今でもその子ども達はそこで生活している。入院中にモンロビアからきたエボラチームが私たちのマットレス、洋服すべてを燃やして、家中をスプレーしていった。エボラになる前は妻と一緒に菜園をしていたんだ。村の人たちは私達家族を怖がって近寄ってこない。子ども達を前みたいに学校に通わせてあげたい。でも一人ですべてやるのは簡単なことじゃない。妻が恋しいよ。

エボラ生存者ゴーマ ドーラ 43歳

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この村のエボラ騒動は9月に私の家からはじまったの。私達の家族はエボラがリベリアにきたことなんかぜんぜんしらなかったわ。私は結果として4人も家族を失ってしまった。まず母が具合がわるくなったの。私がお風呂にいれたり、ご飯を食べさせてあげたりと世話をした。母は2週間ほどひどく煩って10月の初めに死んだ。私たちは母の体を洗って埋葬したわ。その3日後に父が具合悪くなって1週間後に死んだ。父は村の人たちによって埋葬されたわ。その3日後に私と2ヶ月の私のあかちゃんが病気になった。気分がわるくて、ひどい頭痛、下痢、嘔吐。村の看護婦さんがきて私と私の2ヶ月のあかちゃんの看病してくれたけれどぜんぜん良くならず、目が真っ赤になったわ。私の夫がエボラ救急車をモンロビアからよんで、私たちは病院に運ばれたわ。病院について赤ちゃんは死んだ。私はそこでエボラと診断されてわ。私の妹、甥、姪もみんなエボラにかかった。私の家族でエボラにかからなかったのは、夫と4歳の娘ハナだけだった。私たちを助けてくれた村の人も2人なくなった。村の人たちは私たちがエボラをこの村に持ち込んだと責めた、そしてだれも私たちに近寄らなくなった。

エボラ生存者メアリー コリー 36歳

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私はフリーマンリザーブで貸家にすんでいるものです。大家さんがまず病気になって9月に死にました。私たちはみんな近くの閉鎖されて学校に21日間隔離されました。隔離中に私の12歳の娘ビアトリスに症状がでてエボラ病院に運ばれ、1週間後に死にました。私と私の子ども2人も具合が悪くなってビアトリスが死んだエボラ病院に運ばれました。1ヶ月入院して10月に家に戻ってきた時、夫は私たちを怖がって家を出て行ってしまった。どこにいるのかもわかりません。私には子どもが4人います。家族の分だけ、家庭菜園をして今は食をつないでいます。でも今はドライシーズンで作物がよくならずにつらいです。

残された家族 サラ ドーロ 34歳

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私はモンロビアに住んでいた。フリーマンリザーブにいた私の夫が病気になってモンロビアにやってきた。夫の状態を見て、モンロビアで死んだら、エボラチームに燃やされてしまう、と怖くなって、夫をつれてフリーマンリザーブに戻ってきたの。近くにいる私の兄弟2人よんだわ。私の夫は9月18日に死んだ。私たち家族は閉鎖した学校に21日間隔離された。学校にいる間2人の兄弟に症状がでてエボラ病院に運ばれて、2人とも病院で死んだ。私たちは遺体にあうことはできなかったわ。私と夫には8人の子どもがいるの。これからどうしていいかわからない。

Afromed(アフロメッド)はフリーマンレザーブでは"コミュニケーター"と呼ばれるボランティアの人たちと提携してエボラ熱生存者クラブの支援をしている。コミュニケーターの人たちはエボラ熱生存者、残された家族を頻繁に訪ねる。そして彼らは他の村人たちにもエボラの正しい知識を伝え、偏見の改善にはかる。私はコミュニケーターの人に、あなたはこわくなかったのか、と聞いてみた。聞かれ慣れている質問なのかもしれない。彼はニコっとわらって、『エボラの正しい知識を僕は持っている。そしてここは僕の村だから。だから怖くないよ』と答えた。

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コミュニケーターのアンソニー マルバクさん。