皆さん、食べることは好きですか。
食は人間の生命の根幹を成すものであり、また、多くの人にとって毎日の楽しみでもあると思います。
しかし、身体的には悪いところもないのに食べることに苦しむ病気があります。
「摂食障害」という病気です。名前くらいは聞いたことがあるかもしれません。
私は約6年半この摂食障害でしたが、現在は克服しました。
今日は、
・私の摂食障害体験
・色々な人の摂食障害克服ストーリーを紹介する私のブログ
の2点ついてお話することで、あまりよく知られていない摂食障害の実情と私のブログの存在を、多くの方に知って頂ければなと思います。
まず、摂食障害とは単なる食欲や食行動の異常ではなく、
1.体重に対する過度のこだわりがあること
2.自己評価への体重・体型の過剰な影響が存在する
といった心理的要因に基づく食行動の重篤な症状です。
主に、食べられない拒食症、大量に食べてしまう過食症、大量に過食しては嘔吐を繰り返す過食嘔吐、その他、飲み込まずに吐き出すチューイングなどがあります。
症状としては、太ることへの異常な恐怖、体重や食事への強い拘り、食事制限や絶食、嘔吐、下剤や利尿剤の乱用が見られ、抑うつや自殺願望などがある場合も多いです。
患者数は、日本全国で推計2万6千人ですが、実態は不明で潜在患者はもっと多いと言われています。世界で見ると、アメリカやヨーロッパなど先進国で有病率が高いです。
摂食障害を経験した有名人としては、故カレン・カーペンター(拒食症で死亡)、故ダイアナ妃(過食嘔吐)、レディガガ(過食嘔吐)、宮沢りえさん(拒食症、過食嘔吐)、鈴木明子選手(拒食症)などが挙げられます。
患者の90%以上が女性で、発症年齢は10代後半が多いです。
原因は人によって様々ですが、痩せを賞賛する文化、家庭環境、ダイエット、個人の性格などが指摘されています。
私が摂食障害になったのは高校1年生の春、最初は拒食症でした。
きっかけは、中学3年生のバスケ部引退後、軽い気持ちで始めたダイエット。
初めは夕食の白米を半分にするなど緩やかなものでしたが徐々に過激なものになっていきました。どんどん減っていく体重が嬉しかったことを覚えています。
当初、ダイエットは受験が終わるまでと考えていましたが、高校合格後も、気付けばダイエットがやめられなくなっていました。
食事が怖くて怖くて仕方なく、とにかく食べたくない。また、食べようとしても胃が受け付けない。
バスケ部で毎日激しい運動をしているのにも関わらず、1日600キロカロリーくらいしか摂取していませんでした。体重はダイエット前より15キロほど落ちていました。
こんなに食べられないのにも関わらず、頭の中は常にカロリーや食のことばかり。考えたくないのに考えてしまい、授業に集中できないこともありました。
さらにカロリー消費のための過剰運動がやめられず、部活以外にも毎朝走ったり、休みの日も歩き回ったりしていました。
食べないため筋肉は落ち、大好きなバスケでも、持ち味だった力強いプレーはできなくなっていきました。
明らかにおかしい状態でしたが、当時は自分が摂食障害だという自覚が全くありませんでした。家族や友人に言われても、聞く耳を持ちませんでした。
とにかく痩せていること、周りから細いと言われることが快感でした。
しかし高校1年生の終わり頃から、たまに自分が普段禁止しているもの(お菓子や炭水化物など)を食べては、次の日に絶食や下剤を大量に飲むということを繰り返すようになりました。
だんだんと食べてしまう頻度が増え、ついに食べることを抑えられなくなりました。
過食症への移行です。
今考えると、拒食で体をずっと飢餓状態にしていたので、身体の本能的な反応だったのだと理解できます。
しかし、当初の私にとって、食べること、太ることは死ぬほど嫌なことだったので、食べることが止まらない状態は地獄でした。
とにかく手当たり次第、ものすごい量の食べ物を食べていました。特に、甘いものや脂肪分の高いものなど、太りそうと避けているものばかり食べたくなりました。
夜中に家中のものをほとんど食べてしまい、家族にびっくりされたことも度々ありました。
過食している間は、食べているというよりも、胃に詰め込んでいるという感じで、美味しいと感じられていませんでした。
食べた後は自己嫌悪と罪悪感でいっぱいになり、だんだんと鬱っぽくなっていきました。かろうじて学校には行っていましたが、勉強も手につかなくなり、家では自室でふさぎ込んでいました。
他のみんなは楽しく高校生活を送っているのに自分は何しているのだろう、死んでしまいたい、と考えていました。朝自転車で通学する時に、このまま道路に突っ込んでしまおうかと何度も思いました。
この頃、やっと自分が摂食障害だということに気が付きました。そして、病気なのだから治るはず、治したいと思いました。
両親に勧められ、摂食障害外来のある精神科に行きました。初めての精神科はとても居心地が悪く、とにかく早く帰りたいと思ったことを覚えています。
お医者さんには、「もう少しいい加減に生きなさい」と言われ、抗鬱剤を処方されました。
抗鬱剤は飲むとその時は楽になるものの、この楽になる感覚が怖くなり、結局薬もすぐに辞め、病院も行かなくなりました。
高校3年生となり、大学受験を考える時期になりました。私は幼い頃から医者になることが夢でしたが、今の精神状態では受験勉強は無理だと判断し、急遽、指定校推薦でなんとか今の大学に入りました。
大学生になり、心機一転、摂食障害を治そうと意気込んでいました。しかし、一向に過食は良くなりません。
ある日、あまりにたくさん過食してしまい、トイレで吐いてしまいました。
それまでは、吐くと悪化すると知っていたので、吐くことだけはやめていました。でも、一回吐けると知ってしまうと後戻りはできません。非嘔吐過食から過食嘔吐へ移行しました。
吐けるようになったことによって、さらに過食の量や頻度が増えました。1回に、菓子パン7個、アイス7個、チョコレート菓子3箱、お弁当2個、米3合などを食べて吐くということをピーク時はほぼ毎日、1日に2回以上することもありました。
自分が情けなくて、自分が大嫌いで仕方ありませんでした。
治すために、本や運動など様々なことを試みました。しかし、何をしても良くならない自分に対し、余計に苛立ちと嫌悪感が募るばかりでした。
そんな私に転機が訪れたのは大学2年生の秋、スウェーデンへの1年間の留学でした。
出発前は、留学で悪化しないかと心配でしたが、最初の数ヶ月の間に2回ほど過食嘔吐しただけで、あれほど酷かった症状がほぼ良くなりました。
また、今までは、自分の中で食事に様々なルールがあり、それを破ってしまった時は罪悪感と自己嫌悪でいっぱいになっていましたが、徐々にそのルールが緩んでいき、いつでも何でも自由に食べられるようになりました。
帰国後、再発を心配していましたが、その後も症状が出ることなく、また食への囚われもなくなり、完治することが出来ました。
ここまでつらつらと書いてきましたが、実際にはもっと紆余曲折がありました。
本当に治って良かったなと思います。今は肉体的にも精神的に健康に生きられています。
発症から完治まで約6年半、この経験で失ったことばかりではなく得たものも多いですが、正直に言うと、できればもっと早く治りたかったです。
完治にこんなに長い年月がかかった原因として、「克服者がどのようにして治ったのかが分からなかった」ことが大きかったと思います。
当時、何とか治したくて、摂食障害に関する書籍やブログなどを片っ端から読みました。
しかし、実際にどういう経緯でどのように治っていったのかという具体的な事例が載っているものは少なく、参考にできるものがありませんでした。
また、克服した人の本やブログでも、個人的に何となく暗い雰囲気を感じるものが多く、自分が治った後に社会の中でいきいきと生きている、明るいイメージを持つことができませんでした。
そこで「明るい摂食障害克服のロールモデルを提供する」ことをコンセプトに、ブログを立ち上げました。
このブログは、克服者1人1人の発症から完治までの詳細なプロセス、また、克服後にいきいきと生きている姿を紹介することで、現在摂食障害を治そうともがいている人が、回復のヒントを得ること、また、克服後の姿に希望を見出してもらうことを目的にしています。
今まで、自分を含め10人の方の発症から克服までの事例を紹介しました。
摂食障害は、実は身近な病気です。そして、とても苦しい病気です。気の持ちようで片付けられるものではありません。
当事者は病気を隠すことが多いので、あなたの周りにも人知れず苦しんでいる方がいるかもしれません。
残念ながら、今現在明確な治療法はなく、自分で試行錯誤しながら回復していくしかありません。そこで、できるだけ多くの克服事例を見て、モデリング学習をすることが有効な方策になると思います。
私は摂食障害の専門家ではないですが、この病気で苦しむ人が少しでも少なくなるように、ブログという形で応援していきたいと思います。
また、自分自身が、今苦しんでいる人に希望を持ってもらえる存在となれるよう、残りの学生生活、さらには新社会人としてこれから頑張っていきたいなと思います。
長くなりましたが、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
少しでも摂食障害の実情と私のブログについて知って頂けたなら幸いです。