「私たちは町の復興のために故郷をなくします」自分の土地で中間貯蔵施設を受け入れた大熊町民たちの思い

大熊は今後も町として残って欲しいと思います。自宅を諦めた今、町が「私が大熊の人間であった」という証なのです。

大熊町小入野区 区長 根本充春さんの証言

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震災当時から小入野地区の区長をしています。小入野地区は全域が中間貯蔵施設の建設予定地になっています。

2011年のうちに国から施設建設の話が出た時、住民たちは反対しました。その頃には住民たちは一時帰宅で町に入り、自宅周辺の放射線量の高さを確認するなどして、それぞれ「すぐに帰れる場所ではない」と分かっていたと思います。でも、だからと言って施設を受け入れるかというと、すぐに気持ちは切り替わらない。仕方がないと踏ん切りがつくまでに私もほかの住民も2、3年はかかった気がします。

国の説明会には全て出席しました。現在に至るまで、町独自で地権者に対する説明会を開かなかったことは未だに残念ですが、最終的には、中間貯蔵施設建設予定地に含まれる8地区の区長が協議し、町長に受け入れの判断を要請しました。受け入れるか受け入れないのか決まらないと住民はいつまでも前に進めない。とにかく白黒はっきりしてくれよ、という気持ちでした。住民の中には「反対だ」という人もいるかもしれません。でも、大多数は「もう決めてくれ」と考えていると区長として肌で感じていました。

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大熊町内で始まった中間貯蔵施設の工事、2016年11月撮影

私が中間貯蔵施設を受け入れたのは大熊町の復興のためです。平成28年9月には中間貯蔵施設に関連し、廃棄物減容化のための焼却施設も小入野地区で受け入れました。除染を進めるに伴い家屋などの解体がれきは増えるでしょう。減容化が必要だとしたら、それは町内で放射線量が低い場所ではなく私たちの地区でやるよりないだろうと、区の総会ではそう説明しました。

「土地を買ってもらえて良かったじゃないか」と簡単に口にされる人もいますが、自分が生まれ育ち、暮らしてきた場所・建物が全てなくなって、立ち入りすらできなくなることを想像できますか。復興拠点のある大川原地区では除染がされ、昨年には特例宿泊も認められました。分かっていることとはいえ、言葉では言い表せない思いがします。

我々には除染も宿泊も今後絶対にあり得ないから。置いて行かれるというか一歩一歩、町が遠ざかっていくような気持ちです。私たちは町の復興のために故郷をなくします。地権者の気持ちを踏まえて復興を進めて欲しいと思います。

せめて町には今、まだ町並みが残っているうちに中間貯蔵施設の建設予定地を撮影しておいてほしいと求めています。記憶の中にしか存在しなくなる故郷を、せめて記録に残してほしいのです。

大熊町夫沢3区 区長 冨田英市さんの証言

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自宅は大熊町の夫沢3区にあり、区長をしています。行政区98世帯のうち25世帯ほどが中間貯蔵施設の建設予定地に含まれます。私の自宅は予定地外です。境界からは200mほどしか離れていません。

震災後2、3年ほどは、町に戻りたいという気持ちが8割以上ありました。契約する、しないの自由はあるとはいえ、中間貯蔵施設の予定地内の人たちは土地家屋を失うわけだから気の毒だと思っていました。でも、6年近く経過した今も私たちの行政区は放射線量が高いまま下がらない。

家屋や周辺が荒れ果てていくと、段々に一時立ち入りしてもよその屋敷に入ったようで、懐かしいという思いも薄れてしまいました。今はもう帰ることは出来ないと思っています。中間貯蔵施設とは言わなくても、行政区全体を借り上げるなりしてほしいというのが正直な気持ちです。

中間貯蔵施設については、事故を起こした福島第一原発がある町が受け入れざるを得ないのではないかという思いはあります。ただ、最終処分の受け入れは納得できません。施設に関する国の説明会でも「まず最終処分場を提示してくれ」という趣旨の発言をしました。国側は「分かりました」とは言いました。正直、期待できないと思っていても「私たちはこういう気持ちだ」ということだけは、伝えたかったのです。今も最終処分場になるのではないかという不安は残っています。

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国が開いた中間貯蔵施設に関する住民説明会、2014年5月撮影

自宅に帰ることは諦め、手放したいと思いながらも大熊との繋がりを失いたいわけではありません。中間貯蔵施設の予定地の人たちは自分の先祖から受け継いで来た土地家屋がなくなってしまうわけだから、それは自分のルーツが途切れてしまうようなものではないかと、やはり気の毒に思うのです。

矛盾していると言われればその通りです。自分の代で手放すのはご先祖様に申し訳ないという気持ちと、でもこれは震災と原発事故によってこうなったんだから仕方ないっていう諦めと、いろんな思いが交錯している状態です。

今も年に1度は区の総会を開き、昨年は50世帯70人ほどが集まりました。予定地内の人も外の人も来ますが、わだかまりなく、むしろ互いを心配しています。それぞれに気の毒だと。今までより仲良くなった気がするくらいです。私も中間貯蔵施設のことは全体の問題として考えてほしいと言ってきました。行政区は家族のようなものですから。

大熊は今後も町として残って欲しいと思います。自宅を諦めた今、町が「私が大熊の人間であった」という証なのです。

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「中間貯蔵施設」とは、原発事故により拡散した放射性物質を除去する「除染」作業で出た福島県内の「除染廃棄物」を、最終処分場が設置されるまで最大30年にわたり保管する施設です。福島第一原発が立地する大熊町と双葉町にまたがり、原発を囲むように国が建設します。敷地面積は計16平方キロ。大熊側の面積は11平方キロで、これは町土の約7分の1、町居住地の約3分の1に相当します。

根本さんが区長を務める小入野地区は全域が中間貯蔵施設の予定地に含まれ、冨田さんが区長である夫沢3区は施設の建設地内外に分かれています。中間貯蔵施設の建設地は国が地権者から土地を買うか、もしくは国に30年間の土地使用を認める「地上権」を設定するかで契約締結を求めているところです。

地域が一体的に整備されるため、そこに暮らした人にとっては「生まれ育ち、暮らしてきた場所・建物が一切全てなくなる」(根本さん)、「ルーツが途切れるような」(冨田さん)ものなのです。

冨田さんの自宅は建設地から外れているということですが、帰還の見込みが立っているわけではありません。自宅は避難指示区域の中でも放射線量が高い「帰還困難区域」に位置しており、国はこの区域のほとんどの場所で除染に着手していませんし、避難指示解除の方針も明確にしていないからです。

すでに国との契約書に判を押したという中間貯蔵施設地権者の男性は「割り切ったつもりなのに、切ない」と言いました。建設予定地外に自宅がある別の女性は避難先への移住を決め、「個人的に町の復興に使うエネルギーは別に使いたい」と言い切りましたが、学生時代から親しんだ大熊の海を懐かしみました。帰還を待ちわびている人だけが町を恋しく思っているわけではないし、帰らないと決めた人に望郷の念がないわけではないのです。

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(震災記録誌は町民以外にも配布している。ウェブ版はこちら(http://www.town.okuma.fukushima.jp/fukkou/kirokushi)。冊子版の取り寄せ依頼は、大熊町役場企画調整課 kikakuchosei@town.okuma.fukushima.jp まで。

(記録誌をまとめた福島県大熊町企画調整課・喜浦遊)