地震で自宅を失った私は、「阿蘇西原新聞」で阿蘇の発信をすることになった

熊本地震からもうすぐ2年。
|

熊本地震からもうすぐ2年。阿蘇西原新聞が誕生したきっかけをお話します。

はじめまして。私の名前は、川野まみです。

現在、阿蘇西原新聞というWEBメディアで阿蘇のことを発信しています。

まだ記憶に新しい2016年4月14日と16日に起きた熊本地震。私が住んでいた西原村という阿蘇山の麓にある小さな村を大きな地震が2度も襲いました。ちょうど、益城町と南阿蘇村の間にあるのが西原村です。

当時、3ヶ月になる末っ子を含め、3人の子育てをしながら「田舎暮らしをしたい」という理由で西原村の新興住宅地に家を建てて2年2ヶ月でした。

大きな地震が起き、私たちの自宅があった住宅地の唯一の道路が崩壊し、そのせいで建っていた住宅が大きく傾きました。その日から、避難生活がスタートしました。

Open Image Modal
地震によって自宅前の道路が崩壊
川野まみ
Open Image Modal
自宅の便器が根本から折れてしまうほどの揺れでした
川野まみ

実は、住んでいた住宅地の唯一の生活用道路はいわゆる『私道』で、その住宅地に住む10世帯が使うための道路でした。そのため、当然、自治体などの公的機関からは何の補助もなく、崩壊した道路を修復するにも約5,000万近くのコストがかかることが判明し、住宅地の皆さんと途方に暮れていました。

そんなとき、SNSで私たちの状況を発信してみました。すると、みるみる情報は拡散され、それを見た友人が私のもとに連絡をくれたのです。

「ジャーナリストの堀潤さんなら、きっと何か手助けをしてくれるかも知れない」と。

私は、藁にもすがる想いで、友人に教えてもらった見ず知らずの人に勇気を振り絞って、Facebookのメッセンジャーで私たちが抱えていた問題をお伝えしました。

すると、しばらくしてジャーナリストでありキャスターでもある堀潤さんがはるばる飛行機で西原村の私たちの住宅地に来てくださいました。

それからずっと、何か進展がある度に堀さんが取材に来て下さり、多くの方に住宅地の問題を知って頂くことができました。現在は、おかげ様で復旧の目処が立ちました。

熊本地震から約1年後の2017年4月26日、私は東京の恵比寿で開催された『伝える人になろう講座』に登壇していました。これは、ジャーナリストでありキャスターでもある堀潤さんと恵比寿新聞の高橋ケンジ編集長がタッグを組み、毎月開催されているワークショップです。

実は、「川野さん、東京で熊本のことをお話しませんか?」という堀さんからのご提案で実現しました。その時、初めて高橋ケンジ編集長と出会い、その後も色々な機会でお会いする機会がありました。

2017年の秋。ある日、高橋編集長から「熊本の発信をしてみませんか?」とお話を頂き、「はい!」という流れになったのです。

せっかく熊本のことを発信するなら、私たちの自宅があった阿蘇のことを発信したい、と思いました。なぜなら、まだまだ阿蘇地域には問題を抱えた方々がたくさんいらっしゃったからです。自宅再建ができない問題を抱えた方、再建の目処が立たない観光業の方々、地震で店舗を失った自営業の方々、農作物を作りたくても農地に被害があった方・・・。

その方達の力になりたいと思いました。そして、阿蘇の現状をたくさんの方に知って頂きたい、そして可能なら阿蘇の応援団になって頂きたい、その架け橋になればという想いから、喜んで発信することをお引き受けしました。

Open Image Modal
ジャーナリスト堀潤さんと恵比寿新聞の高橋編集長が主宰されている『伝える人になろう講座』に登壇した時の様子
川野まみ

阿蘇西原新聞は、恵比寿新聞の熊本への支援事業です。これまで多くの方々にご支援して頂いた『支援のバトン』を、今度は私が受け継ぐ番だと強く思っています。

これから、阿蘇に生きる人、起きている事、美味しいモノ、楽しい場所などを時には真面目に、そして時には面白く発信していきますので、どうぞよろしくお願いします。