5月27日は「ドラゴンクエストの日」
おうちで過ごす時間が増えた今、ゲームをして過ごす人も少なくないのではないだろうか。
国民的RPG「ドラゴンクエスト」はゲームの世界だけにとどまらず、漫画、映画、クラシックコンサート、バレエなど幅広いジャンルに裾野を広げている。
2018年に日本記念日協会に認定されたと、「ドラクエ」生みの親であるゲームデザイナー・堀井雄二さんがTwitterで報告した。
1986(昭和61)年5月27日、この日、「ドラゴンクエスト」がリリースされた。
シリーズ化された「ドラクエ」は、累計出荷本数6600万本以上。スクウェアの「ファイナルファンタジー」(1987年12月発売)とともに、日本のRPGブームを牽引した。
堀井さんが手がけた心震わすストーリー、鳥山明さんが描いた魅力的なモンスター、すぎやまこういちさんが生み出したBGM...。シリーズ作の発売日には店頭に長蛇の列ができ、学校をサボってソフトを買いに来た小中高生らが補導されたこともあった。買ったばかりのソフトが「カツアゲ」される事件もあった。それだけ、日本中が熱狂した。
大ヒットとなった「ドラクエ」だが、堀井さん自身、一作目の発売時は「えらく不安だった」という。
最初のシナリオ完成まで四カ月、『II』は七ヶ月かかりました。一作目の時は、えらく不安だったんです。一体何人の人がゲームについてきてくれるのか。最初の三十分が勝負だ、と。その間にレベルが1から3、4まで上がるようにしたんです。ただ、レベルという概念はわかりにくいですから、武器や道具を並べて、それを買うにはモンスターを何回も倒してお金をためなくちゃいけないという形にしたんです。それだとわかりやすい目標だった。
(「ゲームの進化論(1)違う自分を体験する世界に 堀井雄二氏」1987年3月2日朝日新聞夕刊・東京本社版)
ただ、その不安は杞憂に終わった。常にユーザー目線を貫いた堀井さんの姿勢は、昭和から平成へと時代が移り変わる中でもファンを生み続け、新たな「勇者」たちを冒険の世界へと誘った。「ビアンカか、フローラか」で友達と大喧嘩をしたり、「復活の呪文」を間違えてメモし、涙した思い出もご愛嬌だ。
やがて、ゲーム業界にも荒波がやってきた。少子化が進み、ゲーム人口の減少が懸念されるようになった。ネットゲームやスマホも普及。高品質のゲームを開発する膨大なコストも、メーカーの頭痛のタネになった。こうした背景の中、2003年にはスクウェアとエニックスが合併した。
それでも、ドラクエは終わらなかった。スマホゲームにも移植され、他のプレーヤーとオンラインでパーティを組んで遊ぶ仕組みや、「すれ違い通信」も導入された。賛否は分かれたが、時代に合わせて「ドラクエ」は進化し続けてきた。
もし今、あなたがドラクエの世界に行けるとしたら、どのシリーズに行きたいだろうか。
ゲームの中の登場人物たちになりきって、冒険を進めていた人もいるだろう。
いろいろな困難が待ち受けていたが、仲間と共に立ち向かい、一つずつ乗り越えていった。
これからもドラクエは、新たな勇者と「新しい伝説」を生み続けることだろう。