1970年3月31日、過激派学生9人が民間航空機をハイジャックし、北朝鮮に亡命した。この「よど号」事件のメンバーらが今も住む北朝鮮・平壌郊外の「日本人村」の様子が今春、訪朝した日本人によって伝えられた。隔絶された場所で、衛星放送の受信や電子メールのやりとりが認められるなど、統制社会の中では一定の特別扱いを受けていることがわかる。
書籍編集者の椎野礼仁(れいにん)さん(65)は2014年4月26日から5月1日まで、中国・北京経由で北朝鮮を訪れ、平壌でよど号メンバーの若林盛亮(68)、小西隆裕(69)の両容疑者=国外移送目的略取などの容疑で国際手配=らと面会した。ドキュメンタリー作家の森達也さん(58)や、よど号メンバーの支援者らも同行した。
椎野さんは、よど号メンバーの書籍出版を通じて親交があり、今回の訪朝が5回目。初めてメンバーが住んでいる「日本人村」に案内された。
場所は平壌の中心部から車で40分ほど東に走った「三石(サムソク)区域」にある。平壌を流れる大同江に沿って、アパートや管理棟、ゲストハウスが立ち並んでいる。メンバーは44年前に北朝鮮に降り立ってからずっと、この一角に住んでいるという。
入り口は軍人が24時間監視している。椎野さんによると、周辺には石炭を掘る場所や軍の演習場などがあるが、「およそ人気のない荒野のような場所。仮に逃げても回りに助けてくれる人もいそうにない」場所という。その中に朝鮮人職員が常駐する管理棟や食堂棟、ゲストハウスなどが建つ。
事件後、親交のあった日本人女性らがメンバーを追って北朝鮮に入国し、家族を築いた。最も多いときで、子供を含め36人が3階建ての数棟のアパートに分かれて暮らしていたが、死亡したり帰国したりして、現在残るのは6人。両容疑者ら男性4人、女性2人が1棟に集まって住んでいる。
メンバーらはかつて、平壌の中心部にある4階建てのビルで商社や商店を経営しており、日本から自動車を輸入して中国に転売するなどの仕事をしていた。しかし女性メンバーの多くが日本に帰国し、北朝鮮の核実験や拉致問題を理由にした経済制裁で日本からの輸出が全面禁止されるなどしたため、2006年ごろまでに商売をやめた。
2013年夏に、自宅のある「日本人村」にインターネット回線や、来客用の宿泊棟を整備することなどを条件に、ビルから退去したという。
メンバーは通常、敷地内で過ごしている。支援者向けのニュースレターなどを書いているほか、日本から来客があれば、空港への出迎え、見送りや平壌市内観光の付き添いなどをしているようだ。
「日本人村」には大型のパラボラアンテナがあり、日本のNHKやアメリカのCNN、中国のテレビなどが見られる。光ファイバーケーブルが引かれていて、電子メールの送受信はできるがホームページの閲覧はできない。
メンバーはNHKの朝の連続ドラマやサッカーの中継などを見ているが、経済制裁の厳格化で、日本の書籍や新聞、雑誌も入手できないことに苛立っているようだった。支援者がインターネットニュースをコピーしたり、新聞をPDF化して送ったりしているそうだ。ニュースはほぼ知っているとみられたが「TwitterやFacebookといった、ソーシャルメディアという概念が理解できず苦労しているようだった」(椎野さん)。
■拉致は否定、帰国求めるメンバー
「よど号事件」は、「世界同時革命」を目指した赤軍派の学生9人が、羽田発福岡行き日航機「よど号」を乗っ取り、韓国・ソウルから乗客と引き換えに乗り込んだ山村新治郎運輸政務次官(当時)を人質に北朝鮮に渡った。乗客と政務次官は日本に戻された。9人のうち今も北朝鮮に残る4人はハイジャック(国外移送目的略取)などの容疑で国際手配されているほか、ヨーロッパでの日本人拉致に関わったとして、のちに北朝鮮に入国した妻ら3人に結婚目的誘拐の容疑がかかっている。
メンバーらは日本への帰国を希望している。もともと北朝鮮に渡った目的が「世界同時革命」のために訓練を受ける一時的な滞在のつもりだったからだという。ハイジャックについては容疑を認め、日本で裁判を受けて刑に服する意向を示しているが、日本人拉致への関与は否定している。
ハイジャック当時10~20代だったメンバーも高齢化した。小西容疑者は椎野さんに対し「日本に帰国すれば懲役15年もありうる。刑務所で死ぬのではないか」と話したという。
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