8月20日の早朝、その日の未明に発生した広島市の大規模土砂災害を伝えるヘリコプターからのテレビレポートを聞いて、筆者は強い既視感(デジャ・ビュ)に襲われた。
19年前の1月17日午前、阪神・淡路大震災直後の神戸市上空を飛ぶ某放送局のヘリからの映像は、軒並み無残につぶれて倒壊した住宅群を映し出していたが、音声で伝えられたコメントは、「ボヤの煙はいくつか見えますが、大規模火災は起きていません」という、被害の実態とはおよそかけ離れた、空疎なものだった。
当時、新聞社の科学記者だった筆者は、自宅でこのテレビを見て、「そんなのんびりした話じゃないだろう」と、映像とコメントのあまりの落差に毒づきつつ、大慌てで社に向かった。
日本では、大都市の震災と言えば、関東大震災の経験が強烈で、人命の犠牲はほとんど火災によるものという思い込みが、政治や行政だけでなく、メディアをも蝕んでいたのは確かだ。実際は、6000人を超す阪神大震災の犠牲者のうち、8割は家屋の倒壊による圧死であった。日干しレンガを積んだ住居が立ち並ぶ途上国の地震被害の構造と、ほぼ同じである。
思い込みや先入観は、見えているものも見えなくする。それが、映像とコメントの耐え難い乖離となって、視聴者を苛立たせたのだろう。
19年の時を経て、広島市の大規模土砂災害の現場でも、映像とコメントの悲しい乖離が繰り返された。ヘリからの俯瞰映像は、安佐南区から安佐北区にかけて、山塊上部から住宅街に流れ下った数本の大きな土石流の痕跡をくっきりと見せているのに、レポーターは呪文のように「崖崩れ」を連呼していた。
具体的な被害の第1報として当局からもたらされたのは、住宅裏の斜面が崩れて流れ込んだ土砂に幼い兄弟が呑みこまれたという情報だった。その現場を、彼らがヘリの機上からひたすら探し求めていたことは、想像に難くない。
しかし、谷筋の樹木をなぎ倒し、住宅を幾棟も破壊し、車を数十台も押し流した土石流の無残な痕跡は、彼らにも見えていたはずだ。広範囲に及ぶ同時多発的な土石流災害を目の当たりにしながら、「崖崩れ」「山崩れ」を繰り返すコメントは、日本の自然災害報道が、19年間全く進化していなかったのだと言えるだろう。
「土石流」と「崖崩れ」の違い
土石流は、大量の水を含んでスラリー(流体)化した土砂が、岩石や樹木を巻き込んで、山の斜面・谷筋を時速40キロから70キロの猛烈なスピードで駆け下る。扇状地にまで流下すれば、家を破壊し、押し流し、街や田畑を泥と石で埋め尽くす。日本では最も多くの人命を奪う「水害」である。斜面が崩壊する崖崩れや山崩れとは違う。
死者70人を超す大規模な土砂災害の骨格、全体像が、同時多発的な「土石流群」であることは、発生から3日以上過ぎるまで、視聴者にはほとんど伝わっていなかった。山塊と人の暮らしが近接していて、これだけ水害と土砂災害が頻発する国のメディアが、土石流と崖崩れの区別もつかないというのは、少しお粗末に過ぎないだろうか。
阪神大震災と広島の大規模土砂災害の初期報道がともにあさってを向いていたのは、警察、消防、市役所、県庁などの役所の発表に全面的に頼り切っている現在のマスメディアのぜい弱な体質を、端的に示している。役所の発表前に、あるいは発表にとらわれず、自律的に災害の実相を見極める意思は希薄で、能力も不足しているのかもしれない。
そんな中で、昨年10月に伊豆大島で発生した大規模土石流を現地で取材したフジテレビの三宅正治キャスターが、広島に飛び、いち早く災害の本質が土石流であることを明瞭に語っていたのが、印象に残った。
ヤマタノオロチ伝説の背景
激しい集中豪雨による大規模な土石流が、昨年の伊豆大島、今年の広島市と、連続して起きている。2000年の眠りから覚めた八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が、再び日本各地で暴れ始めたのだろうか。
古事記や日本書紀に書かれたヤマタノオロチ伝説は、中国山地の北側、奥出雲地域で弥生時代以降に頻発した土石流災害が背景にある、とされている。
当時の技術先進国である中国とは異なる、北方の騎馬民族、匈奴と同じ製鉄技術=「たたら製鉄」が半島を経て出雲に伝わり、その燃料である木炭を大量に得るため、奥出雲・斐伊川上流部の照葉樹林はほぼ皆伐された。これは、花粉分析などの科学調査で判明している。
保水力が著しく低下した中国山地に豪雨が降れば、風化した花こう岩の土壌は、大量の水を含んでスラリー化し、巨大な岩石をも巻き込んで、周囲を削り取りながら、猛烈な勢いで沢筋を駆け下る。
山の上から、いくつもの筋に分かれて、谷や沢を流下する土石流の痕跡は、頭も尾も多数に分岐した凶悪な大蛇が、巨躯をくねらせて暴虐の限りを尽くしているように見えたに違いない。
同時多発的に発生する土石流は、麓に近い扇状地に開かれた水田を直撃し、稲は全滅する。それが、稲作の神、クシナダヒメを狙うヤマタノオロチを、スサノオノミコトが退治するという神話につながった。
「湿舌型」集中豪雨の特徴
まるでヤマタノオロチの復活劇のような最近の土石流被害の多発には、2つの要因が考えられる。1つは、神話の発祥地とは中国山地をはさんで逆側にあたる今回の被災地のように、森林伐採や新田開発ではなく、扇状地に宅地開発、市街地化の波が及び、沢筋にも人家が迫っていたことだ。スラリー化しやすい花こう岩土壌の上に、猛烈な集中豪雨が降り注ぎ、土石流が住宅を襲った。
もう1つは、2000年の時を経て、安定した気候の時期が去り、不安定な気候変動の時代が訪れ、山塊の保水力を超えるほどの短期集中の豪雨が、列島のそこここで頻発するようになったことである。
台風を除けば、日本で発生する集中豪雨は、南の海から吹きこむ暖かく湿った空気によってもたらされる。海から陸地にまるで暖かい舌のようにヌルリと滑りこむ、水蒸気をたっぷり含んだこの湿った空気を「湿舌」と呼ぶ。湿舌は梅雨前線や秋雨前線に向かって侵入し、地上で猛烈な上昇気流を生み、積乱雲を次々に発達させて、バケツをひっくり返したような、天の底が抜けたような豪雨を、断続的にもたらす。
1957年の長崎県諫早の豪雨は1時間に144ミリ、1日で1109ミリというとてつもない雨量だったが、70キロしか離れていない牛深測候所は、同じ日にたった56ミリ、20分の1の雨量しか観測していない。地域的にも極めて限定的なのが、湿舌型集中豪雨の特徴である。
かつては梅雨明け直前の一時期、あるいは秋雨前線が発達する一時期にほぼ限定されていたケタ外れの集中豪雨が、最近は年中あちこちで発生し、その土地の観測記録を次々に塗り替えている。日本列島が季節を選ばず、そこいらじゅうを湿舌に舐め回されている状況は、地球規模の気候変動、温暖化と無縁とは言えないだろう。
出没を簡単に予測できない積乱雲による風雨をゲリラ豪雨と呼び、断続的に続く豪雨の原因をバックビルディング現象と解き明かす。気象庁は急増する集中豪雨について、現象面では様々な解説を加えて、国民に理解を促している。
しかし、個別の現象の背後にある構造、例えば地球温暖化による気候変動、海水温の上昇等との関係については、とても慎重に言及を避けている。気候変動をもたらすCO2などの温室効果ガスの排出抑制に消極的な自民党政権を慮っての慎重さかどうかは判然としない。だが、気象学や地球物理学という科学の観点からは温暖化による気候変動の大きなリスクを認めながらも、行政部門としての気象庁は、その懸念を公言していないことは紛れもない事実である。
問われる「備え」と「覚悟」
京都議定書の基になっている条約を、日本では地球温暖化防止条約と呼んでいる。これが現在の気候変動を読み解く上で、要らざる誤解と間抜けな勘違いを呼んでいる原因の1つでもある。
正式名称は、国連気候変動枠組み条約。略称はUNFCCC(United Nations Framework Convention on Climate Change )である。どこにも温暖化防止とは書いていない。
温暖化は気候変動の一側面であると同時に、台風やハリケーンの巨大化、洪水と干ばつの同時多発など、極端に激しい気象現象を生むエネルギー源である。温暖化すれば、青森でオレンジが栽培でき、シベリアで稲作ができるなどという、牧歌的な話ではない。
日本で多発する激しい集中豪雨の背後にある構造を解明し、土砂災害を引き起こす集中豪雨は今後も日本に頻発するのかどうか、という構造的リスク評価をすることこそ、気象庁の最も重要な仕事ではないだろうか。
その上で、個別の危険個所ごとのリスク評価とリスク管理の方法を確立することが必要になる。防災の基本は地震も津波も土砂災害も原発事故も、「備え」と「覚悟」だという。
災害大国日本では、行政や住民だけでなく、科学者にも、メディアにも、備えと覚悟が問われている。
塩谷喜雄
科学ジャーナリスト。1946年生れ。東北大学理学部卒業後、71年日本経済新聞社入社。科学技術部次長などを経て、97年より論説委員。コラム「春秋」「中外時評」などを担当した。2010年9月退社。
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(2014年8月28日フォーサイトより転載)