東日本大震災の復興現場はいま

多くの犠牲者を出した東日本大震災からまもなく5年。生活の再建や産業の復興の姿が見えてくる一方で、県道バイパス沿いの仮設住宅に、いまも多くの被災者が暮らす。
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多くの犠牲者を出した東日本大震災からまもなく5年。三陸海岸沿いの国道45号線を車で走ると、街を丸ごと造りかえるような大規模工事があちこちで続いている。生活の再建や産業の復興の姿が見えてくる一方で、県道バイパス沿いの仮設住宅に、いまも多くの被災者が暮らす。避難者全員が安定した暮らしに移れるまでには、まだ時間がかかりそうだ。GLOBEの江渕崇記者が取材した各地の姿を、写真でお伝えする。

●暮らし再建へ

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津波が市街地を押し流した宮古市田老地区では15年11月、高台の宅地造成が整ったことを記念する「街開き」イベントがあった。視察に訪れた高木毅復興大臣は、地元の特産品などを買い求めていた。(岩手県宮古市田老地区)

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高台にできた宅地には、すでに建築が始まった家も。(岩手県宮古市田老地区)

●見渡す限り、公共工事

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この震災復興でもっとも大規模な市街地造成をしている。遠くに防潮堤の建設、市街地のかさ上げ、高台の宅地造成、河川改修と、見渡す限り公共工事だ。(岩手県陸前高田市高田地区)

●昔の姿をしのぶ

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被災地を歩くと、昔の街並みを写した写真があちらこちらに掲げられているのに気づく。風情ある街並みがあった今泉地区では、残された建物の土台がかつての街の跡を示している。(岩手県陸前高田市今泉地区)

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大型の重機を使い、山を削って宅地をつくる工事が進んでいる。(岩手県陸前高田市今泉地区)

●保存か、解体か

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町職員らが犠牲になった防災対策庁舎に、高木復興相が黙禱を捧げた。震災遺構として保存するのか、解体するのかをめぐって議論が続いている。(宮城県南三陸町)

●街をつくる

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中心部にはクレーンが立ち並び、街を丸ごと造りかえている。こういう場所では、古い地図の入ったカーナビは、まったく役に立たなかった。(宮城県南三陸町)

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仮設店舗「南三陸さんさん商店街」からも高台を切り開く様子が見えた。(宮城県南三陸町)

●希望の芽を育てる

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仮設工場でみそをつくる「小島麹店」代表の小島智哉さん。津波で流された顧客名簿が震災半年後に見つかり、みそ造りを再開できた。この地でしか出せない味がある、という。(岩手県陸前高田市)

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「震災で販路を失ってしまった」「社員教育をどうすればいいか」。悩みを抱える被災地の中小・零細企業と、被災地を支援したい東京や仙台などの大手企業とを結びつけるイベントが「結の場」だ。復興庁が主催し、職員がコーディネーター役を務めて話し合いを深めていく。(宮城県女川町)

●新たな街の「初売り」

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15年末に「街開き」を迎えたばかりの女川駅前の商店街「シーパルピア女川」。多くの店の「初売り」となった今年1月4日に訪ねると、観光客の姿もあった。(宮城県女川町)

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「フラワーショップ花友」の店主、鈴木千秋さんは「最近はバラやランといったお祝いの花が売れるようになってきました」。(宮城県女川町)

●仮設暮らしは5年目に

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県道バイパス沿いに連なる仮設住宅。被災地全体では、いまも6万3000人がプレハブ仮設に暮らしている。避難者全員が終のすみかに移るまでには、まだ何年もかかりそうだ。(宮城県石巻市)

1月17日発行のGLOBE特集「被災地と復興庁の5年間」では、東日本大震災の復興の歩み、「司令塔」の復興庁は何をしたかを探ります。