聞いて、見て、やってみてわかる障がい者スポーツの魅力

パラリンピック競技の現役選手や中西哲生さん、田中理恵さんらが、障がい者スポーツの魅力や普及への意義について語った。
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12月6日、「毎日新聞障がい者スポーツフォーラム2015」が、日本体育大学世田谷キャンパスの記念講堂で開催され、会場に詰めかけた多くの一般参加者が、パラリンピック競技の現役選手たちの話に熱心に耳を傾けた。元Jリーガーのスポーツジャーナリスト中西哲生(なかにし・てつお)さんや、ロンドン五輪体操日本代表で現在は2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の理事を務める田中理恵(たなか・りえ)さんも出席し、障がい者スポーツの魅力や普及への意義について語った。

ひきこもりから救ってくれたブラサカ

中西さんがコーディネーター役を務めたディスカッションでは、車椅子バスケットボールの豊島英(とよしま・あきら)選手、ブラインドサッカーの加藤健人(かとう・けんと)選手、パラ陸上の辻沙絵(つじ・さえ)選手が登壇し、自らの競技人生について語った。

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各選手の競技人生が熱く語られたディスカッション

中学2年の時、通っていた特別支援学校の先生の勧めで車椅子バスケを始めた豊島選手。チームメイトはほとんどが社会人で、スピードも筋力も差があり、初めは練習についていくのが大変だったという。しかし、「自分もかっこいいプレーがしたい」という理由で続け、いつしか目標はパラリンピックに。3年前の2012年、ロンドンパラリンピックでそれを叶えた。しかし、自分のプレーや結果には納得できなかったという。

「出場できたことはうれしかったけれど、もっと高みを目指していきたいと思った。ロンドン以降、その思いをずっと持って一からやってきた」と豊島選手。今年10月のアジアオセアニアチャンピオンシップでは主力のひとりとして活躍し、リオデジャネイロパラリンピックの切符獲得に貢献した。「これからさらにトレーニングを積んで、まずは来年5月に発表される代表メンバーに選ばれるように頑張りたい」と意気込みを語った。

ブラインドサッカーの加藤選手は、小学3年からサッカーを始め、Jリーガーになることを夢見ていた。しかし、高校3年の時、レーベル病を発症し、徐々に視力が低下。一時は気力を失い、ひきこもりの状態に陥った。そんな加藤選手を救ったのがブラインドサッカー(ブラサカ)だったという。

しかし、初めはボールの音をうまく聞き分けることができず、ボールに触れることさえできなかった。

「それまで簡単にできていたことが、ブラサカではまったくできなかった。それが結構つらかったですね。でも、練習して徐々にできるようになりました。ブラサカではコミュニケーションがとても大切なんです。そういう意味では、仲間もブラサカで得られたもののひとつです」

今年10月のアジア選手権では、残念ながらリオの切符を獲得することはできなかった。しかし、有料だったにもかかわらず、大勢の観客が会場を埋め尽くし、応援してくれたことに、普及活動の手応えを感じている。それだけに、「2020年東京パラリンピックでは、結果を求めていきたい」と語った。

体験することで生まれる選手へのリスペクト

日体大3年の辻選手は、生まれつき右腕の肘から下が欠損している。しかし、ハンドボールの選手として活躍し、高校時代にはインターハイにも出場した経験を持つ。日体大でもハンドボール部に所属し、1部リーグでプレーしてきた。

陸上を始めたのは、今年3月。大学が行っている「若手選手発掘プロジェクト」で体力テストを行った結果、瞬発力を買われ、陸上の短距離を勧められたことがきっかけだった。陸上を始めて「走ることの奥深さ」を知ったという。

「たった100メートルの中で、やることがいっぱいあるんです。走るって、こんなに難しいのか、と思いました」

今年10月には、世界選手権に出場。ハンドボール時代も含めて初めての国際大会だったが、緊張するどころか、他の日本人選手のレースを見て「早く走りたい」とワクワクしていたという。

「スタートラインに立った時には『ようやく、自分の番が来た!』という感じでした。予選では自己ベストも出ましたし、決勝では6位入賞することができて、本当に楽しいレースでした。陸上という世界が、ここまで自分が輝ける場所だったんだ、と私自身が一番驚いています」

そして、「スポーツに健常者も障がい者も関係ない。障がい者スポーツを、もっと身近に感じてほしい」という辻選手の言葉に、中西さんも自らの経験を基に「ぜひ、皆さんにもトライしてほしい。そうすると、いかに選手がやっていることがすごいかがわかって、よりリスペクトの気持ちが生まれます」と体験することの重要性を語った。

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スポーツに健常者も障がい者もないと話す、辻選手

また、デモンストレーションでは、豊島選手と加藤選手が、それぞれ車椅子バスケ、ブラインドサッカーの特性を説明し、プレーを披露した。初めて体験したという元体操選手の田中さんは、見た目以上の難しさを実感。簡単にやってのける豊島選手と加藤選手に驚嘆しながらも、「負けず嫌いなので(笑)」と会場を沸かせ、果敢にチャレンジ。「できた時の達成感は、体操の技を覚えた時と同じ。また、やりたくなる」と楽しむ様子を見せていた。

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ブラインドサッカーに挑戦する、田中理恵さん

また、中西さんはプロバスケットボール選手と共に行った、豊島選手との対決エピソードを紹介。「プロバスケットボール選手3人と僕を含め元プロサッカー選手3人の計6人で、豊島選手1人相手に、車椅子バスケで戦い、ボロボロに負けました(笑)。もう、豊島選手のスピードとキレはすごいんです。まったく追いつけなかった」と、選手たちの能力の高さを伝えた。

障がい者スポーツにある"進化のヒント"

普段からブラインドサッカーの大会にゲストとして足を運ぶなど、サッカーを中心に障がい者スポーツとも積極的に関わりを持つ中西さん。今回のシンポジウムについて「いろんなジャンルの選手が一堂に会して話し合うのは、とても有意義なこと。障がい者スポーツの選手の言葉には、僕らが気づくことができないスポーツの奥深さがある」と話した。

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障がい者スポーツには多くのヒントがあると語る、中西哲生さん

中西さんが障がい者スポーツに関わるきっかけは、6年前の2009年、パーソナリティーを務めるラジオ番組でブラインドサッカーを取り上げたことだった。その後、イベントなどで自ら体験し、発見したのは「ブラインドサッカーにはサッカーを進化させるためのヒントがある」ということだった。

「例えば、ブラインドサッカーをやってみて気づいたのは、人には利き耳があるということ。僕らは自然と利き耳の方で音を聞いてしまっているんです。でも、ブラインドサッカーでは、トンネルせずに、うまくトラップするためには、ボールの音を体の真正面で受け止めるようにすることが大事。そのためには、両耳で音を聞く必要があるんです。でも、それって意識しないとできないんですよ。それと一緒で、利き目に頼ってしまうことに気づきました。目も無意識にどちらかで見ているなと。こういう発見は、現役選手にも伝えているんです」

こうしたヒントは、他の競技でも同じように存在するという。

また、子どもたちがイベントなどで実際に体験してみることも重要だと考えている。

「いかに難しいかがわかるし、できないことに対して、『じゃあ、どうしたらいいのか』と工夫することの大切さを知る、いい機会になると思います」

2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催決定後、パラリンピック競技を中心とする障がい者スポーツの認知度が高まっていることは間違いない。しかし、実際に大会会場に足を運んだり、自ら競技を体験するなど、スポーツとして楽しむところまでは至ってはいないのが現状だ。そうした中、今回のフォーラムのように、実際に選手や競技に触れ合うことのできる機会が、この現状を打破する第一歩となる。

(文・斎藤寿子、写真・越智貴雄)

(2015年12月11日「DIGITAL BOARD」より転載)