「デジタルネイティブ」の子どもたちは、ITの使いこなしにたけている。そしてネット上のプライバシーには無頓着で、ソーシャルメディア中毒になっている――。
ダナ・ボイドさんによると、これらはすべて幻想か、大人の勝手な思い込みだ。
ソーシャルメディア研究で知られるボイドさんは、2月に出版した初の単著『it's complicated -- the social lives of networked teens(それは複雑なこと―ネットワーク化した10代のソーシャルライフ)』で、そんな幻想を一つひとつ解き明かしている。
単純なステレオタイプからでは、ソーシャルメディア時代の子どもたちのことは何もわからない、それはもっとずっと複雑な状況なのだ、と。
●ネットの教育問題の論客
ネットの論客であり、特にソーシャル時代の教育問題の専門家、ブロガーとして、ボイドさんは米メディア界で広く知られる存在だ。名前は「danah boyd」と書き、大文字は使わない。
2012年には、雑誌「フォーリン・ポリシー」の「世界の思想家100人」に、アウンサンスーチーさんやクリントン夫妻、ビル・ゲイツ夫妻、マララ・ユスフザイさん、オバマ大統領らとともに選ばれた。
このほかにも2009年には、雑誌「ファストカンパニー」の「テクノロジー業界の女性」60人にも、グーグルの副社長だった現ヤフーCEO(最高経営責任者)のマリッサ・メイヤーさんやフェイスブックCOO(最高執行責任者)のシェリル・サンドバーグさんらとともに選ばれている。
現在の肩書は、マイクロソフトの研究部門である「マイクロソフトリサーチ(MSR)」の主席研究員。このほか、ニューヨーク大学の助教、ハーバード大学バークマンセンターのフェローでもある。
●166人の10代の声
ボイドさんの新著は、2005年から2012年の8年間にわたり、米国18州を訪れたフィールドワークの成果だ。特に、2007年から2010年にかけて、166人の10代の子どもたちから聞き取った〝生の声〟が、研究の土台になっている。
ボイドさんは、10代についての通説を、次々と覆していく。
その一つが「デジタルネイティブ」だ。
生まれたときからパソコンやインターネットが身の回りにあり、慣れ親しんできた世代だから、ごく自然に使いこなす能力がそなわっている――「デジタルネイティブ」に対する一般的な理解とは、そんなものだろう。
だがボイドさんはこう指摘する。
〝デジタルネイティブ〟という言葉でしばしば思い浮かべるような想像とは違って、多くの10代はデジタルの熟練とはほど遠い。
複雑なウェブサイトを、スクリプトをプログラムしながら構築できる10代もいれば、「インターネット」と「ウェブブラウザ」の違いがわからない10代もいる。
〝デジタルネイティブ〟というレトリックは、有益であるどころか、ネットワーク化された世界で若者たちが直面する問題を理解する妨げになることも多い。
それによって、10代の若者たちが正しい〝デジタルリテラシー(デジタルを使いこなす知識)〟を身につける機会を奪ってしまう危険すらある、という。
●プライバシーへの意識
そして「プライバシー」。
なぜ10代の子どもたちはプライバシーに無頓着で、ネット上に自分たちの情報を公開してしまうのか――。
この一般的な疑問も、ボイドさんによれば、実態は全く逆なのだという。
フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグやグーグル会長のエリック・シュミットらテクノロジー業界の経営者たちは、今の10代はこれまでとは違う、という考えを後押しする。そして、プライバシーをめぐる社会的規範は変わったと主張し、ユーザーのプライバシーに関する、自分たちのビジネス判断を正当化しようとしている。彼らは、若者のソーシャルメディアとの関わりがこれだけ広く普及している点を挙げて、プライバシーの時代が終わったことの証しだと言う。
だが、実際に会った10代の子どもたちは、「プライバシーを心から大事に思っている」とボイドさんはいう。ただ、それが大人にはうまく伝わっていないだけなのだ、と。
大人にとってのプライバシーは、政府や企業が相手になるが、10代にとっての〝プライバシー〟とは、親や教師の監視の目をかいくぐって、友達同士だけのやりとりを楽しむことだとボイドさんはいう。
そのためには偽名や隠語まで駆使して、〝プライバシー〟が守られるよう十分に神経を使っていると。
ただ、「原則公開」という設計思想のソーシャルメディアでは、10代が考える〝プライバシー〟とのすき間が生じてしまう。その結果、ソーシャルメディアへの書き込みが、会話の文脈から切り離された形で拡散し、大人には理解できない10代の言動として、誤解を広げていく。
●性犯罪者といじめ
ソーシャルメディアは、10代のふりをした性犯罪者たちが跋扈しているのか?
子どもに対する性暴力の大半は、その自宅で、子どもたちが信頼する人物によって行われている。性犯罪はインターネットによって始まったわけではないし、インターネットが性犯罪をまん延させたわけでもなさそうだ。インターネットをきっかけとした性暴力はまれだ。しかも、子どもに対する性犯罪の件数は1992年から減り続けており、インターネットが新たな問題を引き起こしたわけではないことがわかる。
では、ソーシャルメディアはネットいじめを増幅させているのか?
自分たちの学校にいじめはない、と話した10代の子どもたちが、大人にとってはいじめとしかいえないような多くの行いを、違った言葉で説明し続ける――ゴシップにうわさ、悪ふざけ、いたずら、そしてなによりそれらを〝ドラマ〟と呼ぶ。
ネットで関心を集めるためのネタ感覚で、ソーシャルメディアに放流されるコンテンツ〝ドラマ〟。
ネットで広く共有されるのは、往々にして最も恥ずかしく、屈辱的で、グロテスクもしくは性的、あるいは悪意があるかショッキングなものだ。(中略)残念ながら、ネットで最もよく知られるビデオの数々――いわゆるバイラル(口コミ)ビデオ――は、10代の子どもたちが仲間の名誉を傷つけるようなコンテンツを選んで、拡散させることが端緒になっている。
●ソーシャル中毒と〝ネットワーク化された公共〟
10代の子どもたちは、ソーシャルメディアから一時も離れることができない、ソーシャル中毒なのか?
ほとんどの10代は、ソーシャルメディア中毒なのではない。そうじゃなくて、彼らは仲間同士で互いに対して中毒になっている。
仲間と常につながっていたい。だが特に米国の10代は、どんどんとショッピングモールなどへの立ち入りが制限され、仲間と過ごせるリアルな場所がなくなっている、とボイドさんは指摘する。
10代の若者たちは、ベッドルーム以外の世界を理解するための、自分たち自身の居場所を探している。ソーシャルメディアはそんな彼らにとって、私が〝ネットワーク化された公共(networked publics)〟と呼んでいる空間に参加し、あるいはそれを自分たちでつくりあげる手助けになったのだ。
ソーシャルメディアこそが、仲間と一緒になれる唯一の居場所なのだ、と。
学校現場で、教師たちがウィキペディアを疎んじ、子どもたちにグーグルを推奨するのはなぜか――そんな、いくつもの謎解きが、本書にはある。
テクノロジーを理想郷(ユートピア)と称賛する、あるいは暗黒郷(反ユートピア)と否定する、いずれの極論からも距離を置き、10代の声からネットを見ていく。
そして、本書を読み進むうち、問題なのは10代の子どもたちではないことがわかってくる。ステレオタイプ化と思い込みによって、ネットの現実そのものを理解できていない、大人こそが問題なのだ、と。
この本の狙いは、若者たちの生活に対する権力を持つ大人たち――親、教師、ジャーナリスト、警察官、雇用主、軍人――に、ネットワーク化された公共でつながる10代がやっていることは、筋の通った行いなのだと理解してもらうことだ。そして、ネットワーク化時代の生活と折り合いをつけていくのは、簡単でも、当たり前のことでもない。むしろそれは、複雑なことなのだ。
●無料で公開する
この本は広く反響を呼んでいるようだ。
そして、ボイドさんは本書を発売する一方で、1冊まるごとのPDFファイルを、ネットで無料ダウンロードできるようにしている。
そして、クリエイティブコモンズのライセンス(表示―非営利―継承)で、著者名を表示し、営利目的でないという条件を維持したままなら、このPDFファイルを自由に共有することができる。
「私はお金のためにこの本を書いたわけではない。可能な限り幅広い読者に届けるためにこの本を書いたのだ」とボイドさん。本書のメッセージを理解してもらい、その上でさらに多くの購入にもつなげたい、という思いがあるようだ。
クリエイティブコモンズに関しては、私自身も同様のライセンス(表示―非営利―継承)で、訳書『ブログ 世界を変える個人メディア』の全文と、訳書『あなたがメディア ソーシャル新時代の情報術』、さらに単著『朝日新聞記者のネット情報活用術』の一部をPDFで公開している。
発売と同時に、全文をクリエイティブコモンズ・ライセンスで公開するのは(特にそれを編集者など、関係者に理解してもらうのは)、そう簡単なことではない。
ボイドさんの著書のサイトを見ると、日本語版の予定もあるらしい。
楽しみに待ちたい。
(2014年4月24日「新聞紙学的」より転載)