ダイエットに打ち込み、摂食障害に。治療で気づいた本当のコンプレックス

忙しく走り続けてきた私の「心の癖」

はじめまして、編集者・ライターの富永明子と申します。

美容やヘルスケア、ダイエット、エクササイズ、フード、そしてクラシックバレエに関する書籍や記事を多く手掛けています。専門家へ取材する機会も多く、また5歳からバレエを習ってきた(中断した後に再開)こともあり、自分では「体や健康の仕組みに詳しい」と自負してきました。

その自信が仇となり、軽い気持ちで始めたダイエットが、いつしか厳しい食事制限に代わり、そのうちに食べることへの罪悪感が増し、摂食障害につながった経験があります。 

体型へのコンプレックスもありましたが、回復に至る過程で、自分の根底にある「考え方の癖」が大きく影響していることを知りました。

長年、編集者・ライターとして仕事をして、忙しく走り続けてきた私の「心の癖」について、書いてみたいと思います。

 

うまくいかないことがあるたび、自分を責めていた

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Akiko Tominaga
2015年3月のドイツひとり旅。ビール、プレッツェル、ソーセージなど、炭水化物&カロリー高めの旅でした(笑)。朝と夕方、食べたいものをたっぷりと食べていました。

 

幼いころから、私はいつも自分のことを「意志が弱くて怠け者だから、頑張りが足りない」と思ってきました。努力を嫌い、すぐにあきらめ、楽なほうへ流される。母から「あなたは努力が足りない」とたびたび言われていたことを思い出します。

大人になっても「私は怠け者」という意識は変わりませんでした。自分のお尻を叩くために多くの仕事を抱え、長時間労働もいとわず、自分を追い込みました。

出版社に勤めていた20代後半のころ、あまりの仕事量で睡眠不足に陥り、ミスも重なって抑うつ状態になったことがありました。そのときも「頑張りが足りないせいだ」と自分を責めたものです。周囲がどんなに「無理しすぎだよ」と声をかけてくれても、その言葉に耳を傾けられず、人にうまく頼ることもできませんでした。

仕事のストレスで心身ともに疲れ果て、気分転換と健康のためにクラシックバレエを再開したのも20代後半です。大好きなバレエのために仕事を早く終わらせたいと思うようになり、メリハリのある生活ができるようになりました。仕事で悩んだり、嫌なことがあったりしても、バレエを踊れば笑顔になったものです。

その後フリーランスとして独立し、30代半ばを過ぎたころ、プライベートでうまくいかないことが続きました。恋愛が長続きせず、自然消滅することもしばしば。人間関係のトラブルに巻き込まれ、友人と揉めたこともあります。

ここでも私は自分を責めました。

「恋愛がうまくいかないのは、私の努力不足のせい」「人間関係がトラブったのは、私に悪いところがあったから」と考えるうちに、自分を信じられなくなっていきました。

自分が信じられないので、こんな私は人から嫌われるのではと怖くなり、NOを言えずに人に合わせてばかり。自分のよいところがわからなくなり「私には魅力がない」と落ち込むこともありました。

「痩せよう」と決意したのは今から3年半ほど前(2017年)のこと。特別なキッカケがあったわけではありません。自信を失った日々のなかで、ふと「怠け癖を克服するために一度くらい計画的なダイエットを頑張ってみたい」と思いついたのです。

話がそれますが、私は昔から下半身ぽっちゃり型で、親や周囲の大人からよく「立派な下半身だね」とからかわれてきました。子ども心にそれは嫌で恥ずかしいもので、体型に自信を持ったことは一度もありません。

細くなれば、下半身もすっきりして体型に自信が持てて、バレエがもっと踊りやすくなるかも、という期待もありました。

当時はちょうど糖質制限ダイエットがブーム。仕事柄、専門家に取材する機会も多く、やり方を理解していたので「これならできそう!」と思えたのです。本気でダイエットをしたのは初めてでした。

 

バラ色の3カ月を経て、奇妙なことが起こり始めた 

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Akiko Tominaga
2014年2月の発表会。数年後、ダイエット中にこの写真を見て衝撃を受け「戒めのために」と目立つところに貼っていたことも。この写真を眺めては「二度とこうならないようにしよう」と思っていました。

糖質制限を初めて3カ月は、バラ色の日々でした。体重も体脂肪率もみるみる落ちていく。周囲から「痩せたね!」「細いね」と褒められることも増え、有頂天になりました。

洋服を買いに行けばSサイズを勧められ、バレエのときも背中や脚が大きく出るタイプのウェアを着られるようになり、ずいぶん散財したものです(笑)。

痩せた以上に嬉しかったのが「もう私は怠け者じゃない」ということでした。

糖質量やカロリーをきちんとコントロールして、結果を出せている。今や私は自分を律することのできる「意志の強い人間」なんだ! 目標体重に達しても、成功した喜びから、より高い目標を掲げるようになりました。 

でも4カ月目に入ったころから、奇妙なことが起こり始めました。

普段は自制できているのに、アルコールが入ると異常な食欲に襲われるのです。しかも、食べたくなるのは甘いお菓子やパン、ごはん、パスタ、ポテトフライなど、普段は禁じている高糖質の食品ばかり。ひとたび口にすると2~3人分くらいをぺろりと食べきってしまう。

食べたあとに「これでは太ってしまう」と怖くなった私は、思わず「食べたものをなかったものにしよう」と、トイレに駆け込んで吐き戻しました。

軽い気持ちでやってしまったこの行為が、習慣化するとは思いもしませんでした。

 

ありえない目標を掲げ、過食するたびに自己嫌悪に 

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Akiko Tominaga
過食嘔吐が激化していた2016年9月。トロント旅行中に寄ったバレエスタジオで撮った一枚。この旅行に私は体重計を持ち込んで、毎晩乗っていました。

目標体重をクリアできたら、今度はリバウンドへの恐怖が募ります。さらに停滞期もあり、思うように数値が落ちなくなっていきました。

最初はゆるめの糖質制限だったはずが、キープするためにはもっと頑張らないとダメだと思い込み、いつしか「1日の糖質量は20g、摂取カロリーは600kcalまで」という、今考えればありえない目標を掲げました。※30〜40代女性の推定エネルギー必要量は1750〜2300kcal/日

朝と夜の体重・体脂肪率を記録するノートを作り、食べたものを事細かに記載。毎晩、その日の糖質量と摂取カロリーを計算して、目標通りにできた日には〇を、オーバーした日には×を、吐き戻した日には大きな二重×をつけていました。

二重×をつけた日がじわじわ増え、それを見るたびにひどい自己嫌悪に陥りました。

それなのに、お酒を飲むとスイッチが入ったかのように食べもののことしか考えられず、過食してしまいます。そのたびに「こんなふうになっているのは、意志が弱くて怠け者だからだ」と自分を責めました。周囲に「ダイエットに成功してすごい」と言われるたびに、相手をだましているような気分になったものです。

 

生きているのが辛くなったある日、検索した

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Akiko Tominaga
2016年9月のカナダひとり旅。この旅に体重計を持ち込んで、毎日朝ごはんにオムレツ、昼と夜はサラダでした。ただ、それでは足りずにむちゃ食い衝動が増し、2週間の滞在で過食嘔吐の回数が激化しました。

虚像と実像がちぐはぐで、自分を嫌いになり、メンタルが不安定になっていきました。友人との関係もこじれるようになり、太りたくないので外食を避け、人と会う機会が減りました。

悲しみや怒りにとらわれやすくなり、大好きなバレエに行く気も起きず、レッスンはさぼりがちに。スタジオで誰かがほかの人に「痩せたね」と声をかけているのを聞くと、妬ましく思ったこともあります。心から笑うことが減っていきました。

ダイエット開始から1年半が経過したころ、体重が過去最低の数値に。喜びと同時に100gでも増えるのが怖くて、ほとんど食べられなくなり、反動で過食する頻度が急増しました。

食べることが嫌で、食欲がある自分も嫌で、「人はなぜ食べなくてはいけないのか」と、苛立ちながら考えて続けていたこともあります。このころ、頭の片隅に「摂食障害」という文字が浮かぶようになりましたが、それを受け止めることはできませんでした。

吐き戻した翌朝はいつも、最悪の気分です。喉は痛いし、胃はむかむかしているし、どんなに天気がよくても気分は欝々としています。

ある連休の朝、起きた瞬間から悲しくてたまりませんでした。

もともと私は食べることが大好き。その私が、食べることを楽しめなくなった。これからも自由に食べることができないなら、なんのために生きているんだろう、生きているのが辛い、と考え始めてしまったのです。

そのときに初めて「私はこの状態から抜け出したい」と強く思いました。

 また食べることを楽しめるようになりたい。太るのはとても怖いけれど、今の日々が続くことのほうがもっと辛い。そして私はパソコンを開き「摂食障害」を検索しました。

 

摂食障害を自覚したことで、真の自分が見えてきた

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Akiko Tominaga
2017年8月の発表会。「太ったら衣装が入らなくなるのでは」と怖くて、なかなか「ダイエットをゆるめる」ことができませんでした。「バレエをやめたほうがいいのでは」と考えることもありました。

「食欲がコントロールできない」

「食べない反動でむちゃ食いして吐く」

「過食に激しい罪悪感を抱き、憂うつになる」

パソコンの画面に書かれていたのは、まさに私でした。

それまで「摂食障害」というのは、食べることを受け付けなくなる拒食症を指すのだと思い込んでいました。 

でも摂食障害には「拒食」と「過食」の2種類があります。どちらも拒食がベースになりますが、食べることを拒み続けた結果、反動で極端な過食に転じることもあるのです。

また、過食には代償行為がある人も多いことを知りました。代償行為とは、吐き戻し(過食嘔吐と呼ばれます)や下剤の乱用、噛んですぐ吐き出すチューイングなど、なんらかの方法で食べたものを出す行為です。 

驚いたと同時に「病気なんだ」とわかって、初めて希望がわいてきました。

過度なダイエットから過食になるのは、私だけじゃないんだ。ひとりで治そうとしてもできなかったのは、私の意志が弱いわけじゃなく、病気だからなんだ。それなら、専門の先生に診ていただけば治るかもしれない、と。 

専門書やネットの医療記事を読めば読むほど、「ひとりじゃないんだ」と力がわいてきました。

同時に心療内科とカウンセリングにも通い、先生方からは私の「考え方の癖」を認知するためのヒントをたくさんいただきました。また、心の病気に関する本を読み漁り、そこに書かれていたさまざまな方法で、自問自答を繰り返しました。Skypeで専門家に相談に乗っていただいたこともあります。

そのうちに、私の考え方のベースには、コンプレックスがあることに気づきました。 

それは、体型に対するものだけではありません。私は「ほら、私はこんなに見事に自分をコントロールできる人間なのよ」と、自分や周囲に見せたくて、ダイエットに打ち込んでいたのだと気づいたのです。 

私には人と比べて「意志の弱い怠け者だ」という劣等感が根本にあって、ダイエットを通じて、自分は怠け者ではないことを証明したかったのです。

でも、「考え方の癖」を取り払って見えてきた本来の私の姿は、怠け者ではありませんでした

自分に厳しすぎて、人を頼ることができず、ひとりで抱え込んでしまう。自分に課したハードルが高すぎるので到達できず、そのたびに「やっぱり私はダメ」だと自分を嫌い続けていただけ。心の癖が、自分を「怠け者」だと感じさせていたのです。

そのことに気づいたとき、初めて私は「ハードルを下げてみよう」と思いました。どうやらすでに十分に頑張っているらしい私には、むしろ「自分に優しい時間」が必要なのかもしれない、と。

たまにはダイエットをお休みして、禁止しているお米やパスタ、スイーツなどを食べながら、ぐうたらと過ごす日があってもいいのかも…そうできる私になりたい、と思えてきたのです。

 

だから「自分を甘やかすことを覚えたい」と思いました。

 

ありのままの自分を愛することが回復につながった

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Akiko Tominaga
2018年9月の発表会。「治すために一時的に太るのは仕方ないとあきらめよう」と決め、食事のバランスと量を整えて生活。一度だけ、健康診断で体重計に乗ったときに出た数値は、人生最高体重でした。ショックでしたが、あきらめずに治療を続けていきました。

まず体重計に乗るのをやめ、糖質とカロリー計算をすることもやめました(とはいえ、太ることが怖すぎて、やめるのは一苦労でした)。

ごはんやパン、いも類など、禁じてきた高糖質食品を段階的に解除していき、時間をかけて少しずつ食べることへの罪悪感がやわらいで、人並みに食べられるようになりました。何度も揺り戻しがあり、改善したと思ったら悪化したりと、試行錯誤の日々は長く続きましたが…。 

時々、ひとりでピクニックに出かけました。心療内科の先生に「あなたが『本当に送りたい毎日』は、どんなものですか?」と問われたとき、思い浮かべたのが「お日様の下、公園の芝生の上で日差しを浴びながら、大好きなものを自由に食べて、くつろいでいる私の姿」だったのです。

だから、ひとりピクニックでは糖質やカロリーを気にせず、そのとき心から食べたいものを用意し、少しずついただいていました。この経験は「私はやっぱり食べることが大好きだ」という感覚を思い出させてくれました。

また、自分が怠け者だからだと思い込んでいたときは「人を頼る、甘える」ことが苦手でしたが、摂食障害になって「これはひとりでは治せない」と痛感しました。

掘り下げていくと、私が「私は怠け者のダメ人間」と考える癖には、母からの影響が大きいと感じました。そこで何度も話し合い、母から「こんなに優しくて素敵な子に育ってくれたのに、今までそれを言わずにダメなところばかり指摘してごめんね」と言ってもらったときは、嬉しくて涙が出ました。生まれて初めて「私はママの言葉に傷ついている」と本音を話したことは、治すために大切な過程でした。

親しい友人たちにも少しずつ打ち明けました。

最初は「『食べて吐く』なんて汚い話をしたら、不快に思って去っていってしまうのでは」と不安でしたが、友人たちは皆「ダイエットを頑張りすぎていたから、実は前から心配していたんだよ」と言って、私の現状を受け入れ、励ましてくれました。 

「無理なく食べられそうなものだけ食べに行こう」と、食事に付き合ってくれた友人も多く、感謝してもしきれません。人を真に信頼することを学んだのはこのときです。

人と自分の体型を比較することが減り、過食することがほとんどなくなり、食べたあとに「吐き出さなきゃ」と思わなくなる(過食嘔吐すること自体を忘れている)状態に戻るまで、1年半ほどかかったでしょうか。 

現在、体重計に乗らないのでわかりませんが、おそらく過去最低時の体重よりは10kgほど増えたと思います。今でも太ることには抵抗があり、定期的にダイエットをしていますが、きちんと食べながら痩せる方法を模索しています。

 

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Akiko Tominaga
2019年7月の発表会。昨年よりも、スッキリしました! 痩せていたころの衣装サイズでは入らず(当たり前ですが…)落ち込み、また無茶なダイエットをやりかけましたが、周囲の励ましもあって早めに治まりました。

たまに過食の波が襲ってくることはありますが、あまり気にしすぎずにいるといつしか治まるので、吐き戻しは習慣化していません。

摂食障害になったのも、私の内なる声が「自分を責める生き方をやめて、自分を愛して心地よく生きようよ」と訴え続けてきた結果なのかな、と今は思います。 

自分を責めず、追い詰めず、ありのままを認め、受け入れること。

コンプレックスが完全になくなることはありません。

でも、それも含めて私。

たまには怠けるし、ちょっと太ることもあるでしょう。

いまはそんな私自身を受け入れ、私を好きでいてくれる人たちに感謝しながら、今日もおいしく食事をいただいています。

 

 

 

コンプレックスとの向き合い方は人それぞれ。
乗り越えようとする人。
コンプレックスを突きつけられるような場所、人から逃げる人。
自分の一部として「愛そう」と努力する人。
お金を使って「解決」する人…。

それぞれの人がコンプレックスとちょうどいい距離感を築けたなら…。そんな願いを込めて、「コンプレックスと私の距離」という企画をはじめます。

ぜひ、皆さんの「コンプレックスとの距離」を教えてください。

現在、ハフポスト日本版では「コンプレックス」にまつわるアンケートを実施中です。ご協力お願いします。