電通には鉄槌が下されたが......?

日本中のクライアントが「自分たちもよその会社の若い人を殺してしまうことがあるかもしれない」と思えるかどうかだ。
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電通が社員に違法な残業をさせたとして労働基準法違反の罪で50万円の罰金刑を受けた。

同時期に、NHKでも女性記者が過労死していたことが明らかになった。

国立競技場建設に携わっていた現場管理者(2017年)、三菱電機新入社員(2017年=係争中)、関西電力の課長職(2016年)、ゼリヤ新薬新入社員(2013年=係争中)、トヨタ自動車社員(2011年=係争中)、マツダ社員(2007年)、キヤノン社員(2006年)など、ここ十数年でも多くの大企業で社員が過労死やそれを疑われる自殺をしている。

そのいずれもが電通ほどにセンセーショナルに報じられたわけではないし、当時はそうであったとしても忘れられてしまったような感もある。当然、報じられていない事案はもっとある。

「電通だけが社会的制裁を受けて不公平だ」と言いたいわけではない。電通は罰金を払って、社長が謝罪をして、相応の裁きを受けたというのが、法から見た客観的な事実だ。

『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』(毎日新聞出版)で電通及び業界の理不尽を描いた元電通社員である私のところに、何社もの記者やディレクターやライターの方が取材に訪れたが、一人として「電通の罪を白日の下に晒すのだ!」などという意気込みで来た人はいない。

いや、大抵の場合、「電通での仕事がいかにキツかったか」を訊きたがるので、そういう一面的な取材に辟易していたのは私なのだが、取材者はみな一様に「わかってますよ、どこも同じということは......」という諦観のようなものを表情に浮かべて、私と話した。

だって、彼らだって、関西にいる私に話を聞くや、トンボ返りで東京の社屋に戻って深夜まで記事を書いたり、映像を編集したりするのである。「あなた方こそ、ごくろうさまです」という気持ちで私は彼らを見送った。

広告業界を離れた今でも、「これからどうなるのだろう」という心配というか、余計なお世話でこんなコラムを書いてしまう。電通を辞めてはじめて、在籍中にいかに多くを学ばせてもらったか痛感することがあるし、楽しかった記憶も多々ある。今でも思い出すと腹が立って眠れなくなるような出来事ももちろんある。

〈広告界にもルールはあるはずだ。協会とかあるなら、広告主のベンチャラ団体、内輪の親睦団体にしておかず、ルールを明文化することに寄与でもしたらどうなのか〉(前掲の拙著、P20より)と提言した私の言葉をどこかで聞いたのかどうなのか知らないが(いや、自意識過剰です)、日本アドバタイザーズ協会は2017年4月に「働き方の改善に向けたアドバタイザーの行動指針」を発表した。

7月には、日本広告業協会、日本アド・コンテンツ制作協会、日本広告制作協会を加えた4団体で「広告ビジネスにおける『働き方』改革のための基本合意」というものも結ばれた。

......まぁ、この手のものはどうせアレだから、と私は冷ややかな目で見ているのだが、なんと言ってもクライアント各社(広告主)が電通の新入社員が自殺したという事実をどれだけ我が事として深刻に受け止められるかにかかっている。責任を転嫁しようというのではない。

前出の各社に比べても、電通はこれ以上ないくらい社会的制裁を受けたことは疑いがない。

果たして、日本中のクライアントが「自分たちもよその会社の若い人を殺してしまうことがあるかもしれない」と思えるかどうかだ。

ここは強調したいところで、それを伝えてもメディアは書いてくれないから自分で書く。電通社員が死ぬほど働くのはクライアントが無理難題を命じるからで、電通の社としての責任はそれに対して「抜本的対策を講じず、サービス残業が蔓延していた」ことにある。

〈電通の社員に灰皿を投げつける人、ボケカス無能と面罵する人、そうやって高給取りの電通社員を足蹴にして悦に入るような人間が、日本のあちこちの企業にいる。あちこちにいて、今回の騒ぎについて、知らぬ顔を決め込んでいる〉(P15より)

電通の罰金が50万円。「だったら、ナントカ協会の会員企業すべてが50万円ずつ払って、もっと具体的な業界ルールを敷いて、啓蒙活動や監視活動を行なう基金でも作ったらどうだ」と、私は思っている。一定期間の広告出稿拒否などの罰則も内規として厳しく適用したらいい(全然売上げに影響がなくて、広告の無駄が見直されるだけかもしれんけど......)。

組織の中の個人が、個人(ら)との関係性の中で苦しみ、精神を病んで働けなくなったり、命を絶ってしまうことを「組織の責任」とすることは当然なのだろうけど、それを将来に活かすことは、実際にはそれほど簡単なことではない。働く人を一面で窮屈にするような規則をあれこれと増やすことになるのだが、結局のところ、個人個人がどれほど人の痛みを理解できるかにかかっている。

〈どこの世界にもサイコパスみたいなやつらは何割かの割合で紛れ込む〉(P106より)

また、

〈元々鬱気質を持って入社してくる人もいる。複雑な家庭環境で育って、自分の心との付き合い方が上手でない人なんかもいる。しかし、採用の時点でそれを見抜くのは企業としては難しい〉(P65-66より)

私がこれを書いている土曜日の深夜にも、広告会社の下請けである制作会社ではデザイナーやプロデューサーやそのアシスタントが働いているのは知っている。下請けの会社が「バカ野郎! 電通さんに夜10時以降メールを送るな!」とそのまた下請けのスタッフを叱るとか、お前がバカ野郎だよ。そういうことじゃねえだろ。

テレビCMを見たら、ソフトバンクの「白戸家」シリーズが10周年を祝っていた。ヒットCMとしてそれはメデタイことなのだが、それ以降、大ヒットと呼べるようなCMが10年もないことに驚きを覚えた。

「広告って、おもしろくなくなったよなぁ」と、業界の内部を知る者としては当然だと思う。

〈僕が電通を辞めた理由は、この仕事の構造が「患者の指示に従って治療を行なう医師」のようなものだからだ〉(P163より)

小林よしのり氏でもないのにゴーマンかますことを許してほしいのだが、一枚の絵画を描いたこともない人が絵について、ひとつの曲も作曲したことない人が音について、一冊の本も、一本のコピーも書いたことない人が言葉について、SNSでバズッたこともない人がSNS施策のやり方について、クライアント企業にいるからってあーだこーだ言う中で、ひとつひとつ説明して、複数案を提示して、おもしろさを噛んで含めるように説得して、仕事を進めなくてはいけない。

他の業界ではありえないことだろう。この特殊性はなかなか理解されづらい。

〈確かにええ加減なやつも多いけど、デザイナーがどれほどデザインのことを、コピーライターがどれほど言葉のことを、写真家がどれほど写真のことを、監督がどれほど映像のことを、考え学び思い実践してきたか、リスペクトを求めることはいけないことなのかね。

今の広告業界には、そのリスペクトがない。徹底的にないと言っていい〉(P100より)

先に「どれほど人の痛みを理解できるか」と述べたが、その方法はそんなに大それたことではなくて、すなわちプロの職業と人の生活をリスペクトすることだ。

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厚労省とか経団連が、この労働問題に本気で取り組む気があるなら、四月の新卒一括採用をやめたらどうなのかと思う。なぜなら、日本人の横並び意識は根が深いため、一括採用で「せーの」で働き始めるところに、「プロパー(新卒採用)」「中途」「正規」「契約」などの差別意識が生まれると私は考えているからだ。新卒採用で、正規雇用でいないと脱落したような思い込みが、大組織にいる人を追い詰める一因になる。

少なくとも、高橋まつりさんの心の中にそんな恐れがあったであろうことは想像に難くない。

働く側に意識改革が求められるなら、雇う側にも構造改革がいるのではないか。

転職斡旋サービスは花盛りだし、そういう雇用流動性が段々活発になってはいる。

経済界はアメリカ式の悪いところばかり取り入れるのに躍起に見えるのだが、落伍者になるような気持ちにならずに会社を移籍したり、辞めた会社にまた戻ることも含めて、日本人がもっと自由に働いて、嫌なら嫌とはっきり意思表示できる社会になればいいのに、と意思表示しすぎて大企業になじめなかった私は願う。

これでも日本の会社員はかなりの程度守られている。アメリカの広告会社のようにプレゼンに負けて、広告主アカウントを失ったからといって段ボール箱に荷物を詰めて出て行かされるようなことはない。多少働きが悪くても、よほどの違反をしない限り馘首はない。

社員を守れ守れという風潮に、「会社は託児所じゃねえんだぞ!俺は仕事がしたいんだ」という反発の声も根強い。堂々とそれぞれの生き方や働き方を選べたら、こんな息苦しいことにはならないのではないか......。

たとえ自信を持っていい国と言えないとしても、「悪くない時代の、悪くない国に生まれた」ことは少しでも世界を知る人なら首肯すると思う。広告の仕事が過去以上におもしろくなることはないと、その点私は悲観的なのだが、(変人を含め)様々な能力が集まった広告界の人たちが、せめて誇りと互いへのリスペクトを持って働けるといい。

我慢してしまうやさしい人、ケンカの仕方を知らない若い人たちに。

〈嬉しい時は笑え。ムカついたら怒れ。哀しい時は独りで泣け。助けてほしい時は、差し伸べられた手を握れ。

厳しさを増す一方のこの社会においては、あなたが人間らしく振る舞わないと、人として扱ってもらえないんだぞ〉(P195より)

『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』(毎日新聞出版)