「微熱の抵抗」が似合うアナタへ

「熱狂」が怖い。たとえそれが、市民の切実な訴えにもとづく反権力のデモであっても、直感的な恐怖を感じてしまう。
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「孤独はしばしば堪え難いのであるが、ひとは他の誰かと全面的に一致することは願わない。自らの個性を失うことを怖れるからである」(アルバート・ハーシュマン『方法としての自己破壊』)

「熱狂」が怖い。

たとえそれが、市民の切実な訴えにもとづく反権力のデモであっても、直感的な恐怖を感じてしまう。公権力より市民のほうが賢明とは、いいきれないからだ。1923年の関東大震災のあと、デマとデマゴーグに踊らされ、ふだんはきっと善良だったはずの市民が、隣の「鮮人」の命を簡単に奪った。

デモ、ヘイト・スピーチ/クライム、カウンター・ヘイト。これらの参加者は理性を備えた市民か、情動に支配された群衆か。人によって、判断はまちまちだろう。

集団たるもの、どんなきっかけでシュプレヒコールの矛先を自分に向けてくるかわからない。私はそう勘ぐってしまう。すべてを一緒くたにして考えちゃダメだ。それくらいはわかっている。それでも、たとえば隣国の民の性善を疑って、この国の民の性善は信じて疑わないとすれば、あまりにめでたき偽善だろうと思う。

でも、同時に思う。そんなマイノリティ性に寄りかかっただけの恐怖や偏見は、自ら減らす努力をするときなのかもしれない。

たとえば、昨年一気に知名度を上げたSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)は、国会議事堂前で反安保法制のデモを精力的に行なってきた。同グループのホームページをみれば一目瞭然、従来のデモのイメージとは似てもにつかない洗練性があり、ファッショナブルだ。

また、やはり大学生を中心とするNPO法人「僕らの一歩が日本を変える。」(「ぼくいち」)は、10代の生徒らの政治意識を高めようと、「下から」の主権者教育を各校で地道に行なっている。

「ぼくいち」メンバーの中には、在日コリアンもいるとされる。彼あるいは彼女が、「選挙権がないからこそ、政治参加する資格を持つ日本の子どもを支えたい」と思っているとすれば、これほど正のツイストをした参画理由もない。少なくとも私は、心をゆさぶられる。

もちろん、こうした若者の「巧さ(うまさ)」に眉をひそめる者も多くいる。最近ではSEALDsたたきが徐々に広がっている。若者の「巧さ」の裏にある「稚拙さ」に、胸をなでおろしたがっている。溜飲を下げたがっている。背伸びしないで身長をはかれと注意したがる先生が、たくさんいるように。

それでも、何か行動しなくてはと思った一部の若者の身体は動く。この実存的な側面は無視できない。政治的要求は恥ずかしいことじゃない。声をあげろ!−−日本の政治社会は、新たなステージに入った。

私は、もう若者とは呼ばれにくい年ごろだ。だが、もし今このとき若者だったとしても、青きムーブメントには乗れなかっただろう。「圏外」から指をくわえながら、ただ注視するだけだったろう。

でも、それは私に限ったことではない。流れに乗れない若者だって、多くいるはずだ。集団的な運動や活動に乗れる人ばかりだなんて、うそだ。

流れには乗れないが、政治への関心はある。大きな声は出せないし、積極的な行動に出る気も勇気もないが、政治から目をそらしたくない。こうした、一見すると「不器用」な人の存在を忘れたくはない。

国家の論理に回収されない「公」が、21世紀の日本には芽生えつつある。ここで忘れるべきでないのは、国家の論理にも、国家「以外の」集団の論理にも回収されない、「個」の存在だろう。

ユダヤ人政治学者ハーシュマンは、影響力ある集団や誰かの意見をおうむ返しするだけの、「反射行動型」リベラル・保守をきらった(『創造としての自己破壊』)。

最後に勁い(つよい)のは、他者の意見に耳をよせつつ、未熟なる頭でみずから出した答えだろう。不十分にせよ、知的なマスターベーションにすぎないと指をさされるにせよ、自己内対話をくりかえす。ときにはそれをささやかな行動に移す。「プロ市民」ならぬ「アマ個人」だって、微熱をおびた立派な政治運動家だ。

たとえば、旧知の地域研究者は、この国とこの国の旗がきらいだ。地域研究者だから、飛行機に乗る機会は多い。空港での出入国手続のたび、係官あてに「指紋認証という人権侵害の悪弊を即刻中止せよ」との旨記した紙片を、パスポートにはさんでおく。読まれもしないことが多いのに。

正月は、できれば日本にいたくない。いたるところ、白地に赤丸の旗がたなびくのを見るのがいやだからだ。もちろん、国家へのご奉公もごめんこうむる。情報交換をかねたレセプションの招待ハガキが外務省から届いたら、「またこんなのが届きました」と一言そえて、私に転送されてくる。こちらの迷惑もかえりみずに。

「日本の地震だけが世界で注目されるのはおかしい」。「3.11」の報に接したとき、その人はいった。この国へのナショナリズムなんて生来持ちようのない私が、その時ばかりは「にわかナショナリスト」となり、その人と一大論戦を展開した。それでも、「3.11」当時滞在していたある国から、その人は東京の家族を気づかう電話を入れていた(これが人間の愛すべき妙味である)。

「管理」「監視」を心配し、ケータイ・スマホは持たない。PCも、アドレスも、電車のICパスも、もちろん持たない。通信手段は固定・公衆電話か、それ以上に、手書きの手紙。ただし郵便物には決して郵便番号を記さない(よくわからないが、これがその人のポリシーだ。わけを尋ねれば絶対に話が長くなるので、尋ねたことはない)。

遊びだ、茶番だ、痛い...。こうした生き方を批判するのは、いともたやすい。なにせ、政治意識にあふれてはいても、政治的影響力にはいちじるしく乏しいのだから。私も20代半ばのころまで、そう見ていた。でも最近、政治の渦(うず)の「圏外」に立つこうした不器用な活動こそ、民主主義国のふところの深さの標だと思うようになった。

少なくともその人は、きてれつなナショナリズムを刹那にせよ抱く機会を私にくれた。外務省からのハガキがどれくらい厚い紙をしているか、知る機会もくれた。手紙でやりとりするうち、「書き文字」へのこだわりも伝染させてくれた。

抵抗は、声を大にして行うばかりではない。集団は、いつかは疲弊する。最後によって立つべきは「個」である。こうした信念に沿った生き方も、なおある。

昨年までは、集団的自衛権や安保法制など、与党の強引なやり方が「政治の季節」を演出した。だがそろそろ、政治の「祝祭」は終わり、おそらく「凪(なぎ)」の時期に入ってゆくだろう。「つまらない」政治の季節がまたやってくるはずだ。

せっかく、昨年までに政治に興味を持った若者が多いとすれば、「凪」となっても、政治に関心を持ちつづけてほしいと思うのが人情だ。

何らかの極によることは簡単で、中途半端に独りとどまることのほうが、よほどむずかしい。だが、ねばり強く模索しているうち、世の中であまり顧みられていない問題に目が向くようになるかもしれない。

「僕らの一歩が日本を変える。」にしても、昨年のベストセラー『ぼくらの民主主義なんだぜ』にしても、なんで「僕/ぼくら」なのか? 一人称として「僕」を使えない人びとはどこへ?

かたや、主権者教育に関する文部科学省の高校生向け副教材は、『私たちが拓く日本の未来』と題される。「僕ら」と「私たち」。どちらにも回収されない「私」の居場所は、どこに?

一票を行使することの重要性を訴えるグループや論説には事欠かないが、投票率99%の国は独裁国家だけではないのか? また、そうした訴えからは、「白票」の意義というものはこぼれ落ちやすいのではないか?

昨年12月、靖国神社のトイレに発火装置をしかけたとされる韓国人が逮捕されたが、ヘイト・スピーチ/クライムを強く批判してきたマスメディアが、この事件と犯人を深く追及しないのはなぜ? この事件をヘイト・クライム、容疑者をテロリストと呼ぶのは不適切なのか? だとすれば、なぜ?

などなど、おそまつなツッコミかもしれないが、日常、たとえば朝夕の満員電車の中で、そのようなことをつれづれ思い、考えることだって、政治的「抵抗」の一つのありようだと私は思う。

言い古されてきたことだが、生徒にものを教えていると、逆に教わる経験というのは非常に大きい。

夏から年末にかけ、探りさぐり私に「タメ語」を使ってこようと、がんばりつづける高校生がいた。はじめは、長幼の序を説くとまではいかないが、「きみね、世間では...」と人なみに注意したし、くり返しやっていこうと思った。

だが、この人は正面から挑戦してきている。生来ひねくれ者の私は、そう思い直した。「そこまでやるなら、おれ相手のタメ語くらいで満足してくれるな。次にめざすは(ベテランの)○○先生だ、××先生だ!」

背中を押してしまった。不器用な教員が、また一人、不器用な政治的「抵抗者」のたまごを温めてしまったのかもしれない。

主権者教育なるもの、政治の「凪」の季節にあっては、路上(ストリート)より、学校の先生による啓発のウェートが大きい可能性がある。

リベラルを自認する人士が強圧的だったり独善的だったり、人の意見を聴かなかったりするというのは、経験上、ある。

自戒をこめて、用心、ご用心!