「アイディア」を「意見」に変える方法/せめてSQとAPは考えようぜ

より適切で妥当な判断を下すためには、判断基準になる「思考法」が必要だ。そして「S.Q.とA.P.の比較」は、数ある判断基準のなかでもとくにシンプル・かんたんで、今日からすぐに使える。「誰が言ったか」よりも「何を言ったか」を重視して議論できるようになる。

会議とは本来、参加者のアイディアを交換・混合・精緻化して、適切な判断を下すために行われるべきものだ。しかし「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」が優先されてしまう場合が少なくない。そうやって下された判断は、適切だとは限らないし、妥当だとはいえない。

違った判断を下しつづけていれば、やがて環境の変化に適応できなくなり、商売は行き詰まり、組織は瓦解するだろう。日本では、ほとんどの企業が10年以内にのれんをおろす。つまり日本では、ほとんどの会議で間違った判断が下されている。

では、適切な判断を下すにはどうすればいいだろう。パッと思いついた「アイディア」を論理的な「意見」に変換して、建設的な議論をするためには、いったい何が必要だろう。

少なくとも「S.Q.とA.P.の比較」だけは、最低限すべきだ。

1.S.Q./A.P.

「S.Q./A.P.」は、競技ディベートで頻繁に使われる視点だ。思考のフレームワークと言い換えてもいい。S.Q.とはStatus Quoつまり「現状」を意味しており、A.P.とはAfter the Planつまり「施策実施後」を意味している。ある施策が現状をどのように変えて、将来にどのような影響を及ぼすのか。良い影響なのか、悪い影響なのかを比較考量するために用いられる。

競技ディベートのジャッジは、しばしば次のような表を使って議論をまとめている。

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たとえば「THBT tobacco should be banned.(タバコは禁止されるべきだ)」という議題でディベートをした場合を考えてみよう。

※なお今回は議論の「流れ」を見せるのを優先するため、1つひとつの論点はあまり深く掘り下げない。

タバコ禁止令に賛成する側は、現状の問題点をつぎつぎに挙げていくはずだ。

まず、「タバコは健康被害をもたらす」ことを指摘するだろう。肺がんや咽頭ガンのリスクを高め、高血圧などの生活習慣病の原因にもなりうる。だから、タバコは禁止されるべきだ......と、主張するだろう。これは「喫煙者」にフォーカスした視点だ。

タバコ禁止令が影響をおよぼすのは、喫煙者だけではない。現状では、非喫煙者であっても、副流煙の被害を受ける可能性がある。しかも、副流煙の毒性は主流煙よりも高いと言われている。

そうした直接的な被害だけではない。タバコは、しばしば非行のきっかけになる。タバコをふかす不良がそこらじゅうにたむろしていたら、治安がいいと感じることはできない。タバコの存在によって、社会の風紀はみだれ、治安は悪化する。タバコのポイ捨てや歩きタバコなど、喫煙者のマナーの悪さは目に余る。だから、タバコは禁止されるべきだ......と、主張できる。これは「非喫煙者」に主眼をおいた視点だ。

さらに視点を大きくすれば、国民の健康増進は政府の責務だ。健康被害をもたらすタバコを放置するのは、行政の怠慢と言わざるをえない。また医療費の増大が問題となり財政を圧迫している今だからこそ、タバコを禁止すべきだ......と主張できる。

ここまでの議論を表に書き込むと、次のようになる。

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ここまでの議論だけでは「タバコを禁止すべき」という判断は下せない。

なぜなら、現状の問題点を指摘したにすぎず、タバコ禁止令が施行されたあと世界について、まったく議論されていないからだ。ディベートのジャッジっぽく言えば、「S.Q.ばかりでA.P.がない」......だから、判断は下せない。

したがってタバコ禁止令に賛成する側は、禁止令が施行されたあとの世界についても説明しなければいけない。タバコを、マリファナやコカインのように厳しく取り締まった場合、いったいどんな影響があるだろうか。

たとえば「喫煙者」の視点で考えてみよう。タバコが入手不可能になることで、タバコによる健康被害から解放される。これは喫煙者にとって明白なメリットだ。

また非喫煙者にとっても、副流煙の被害から解放される。タバコがもたらしていた風紀の乱れや治安の悪化も取り除けるだろう。非喫煙者にとってもメリットがある。

さらに政府の視点では、国民の健康増進という責務を果たすことができ、さらに医療費の増大を抑えることができる。

表に書き込めば次の通りだ:

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S.Q.とA.P.とを、それぞれ埋めることができた。ここまで議論して、ようやく「タバコを禁止すべきかどうか」というジャッジが可能になる。S.Q.とA.P.を比較して、明らかにA.P.のメリットのほうが大きければ、その施策は実行すべきだ。そうでないなら、その施策は実行すべきではない。

現実世界ではS.Q.の問題点をあげるだけで施策の実行を決断する人が珍しくない。また、A.P.のメリットだけに目を向けて決断してしまう人が、とても多い。「S.Q.とA.P.を比較する」という視点そのものが抜け落ちているのだ。そうやって下される判断は、たいてい適切ではないし、妥当でもない。

ここまでの議論は、あくまでも「タバコ禁止令」に賛成する側の主張だった。

そのためタバコ禁止令を実行する前提で議論が組み立てられている。強烈なバイアスがかかった議論なのだ。反対派の主張にも耳を傾けなければ、公正な議論にはならず、適切な判断も下せない。

では、「タバコ禁止令」の反対派はどんな主張をするだろう。

S.Q.から考えていこう。

まず、喫煙者には健康被害のリスクだけでなく、集中力の向上やリラックス効果といったメリットがある。

また、非喫煙者の視点に立てば、副流煙の被害は分煙を徹底することで解決できる。権利は、他者の権利を害さない範囲で最大限尊重されるべきだ。分煙という代替案がある以上、喫煙者の「タバコを吸う権利」を完全に奪うことはできない。

さらに、風紀の乱れ・治安の悪化は、経済状況と警察機能のほうがはるかに大きく影響する。タバコはほとんど関係がない。

そして政府についていえば、「選択の自由(Freedom of Choice)」を守るほうが、国民の健康増進よりもずっと重要な責務だ。「タバコを吸う自由」を奪うことは、政府の責務に反する。また医療費増大の主な原因は少子高齢化であり、糖尿病などの生活習慣病を防ぐことが最近の日本では話題になっている。やはりタバコは関係がない。

以上のように、「タバコ禁止令」への反対派は、まず賛成派の現状分析(S.Q.)に対して反論を試みる。表に書き込むと次の通りだ。

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言うまでもないが、これだけでは「タバコを禁止すべきでない」とは言えない。

なぜならS.Q.の議論を潰しただけで、A.P.が放置されているからだ。現状に問題が無いとしても、施策を実施したあとに明らかなメリットがあるなら、その施策は実施すべきだ。ディベートのジャッジっぽく言えば、S.Q.のデメリットがなくてもA.P.にメリットがあるなら、その施策は実施すべき......と、言える。

したがってタバコ禁止令の反対派は、A.P.に対してもきちんと反論しなければいけない。

たとえば喫煙者は健康被害から解放されるというが、これはウソだ......と主張するだろう。「禁煙しようとしたら太った」とは、よく聞く話だ。タバコがもたらしていた集中力やリラックス効果を、禁煙時にはチョコレートやあめ玉などの代替品で満たす場合が多い。さらにニコチンには強い依存性があるため、禁煙すること自体がストレスとなる。そして、お菓子などの代替品の消費がますます増していく。結果、虫歯のリスクだけでなく、肥満や糖尿病といったより深刻な健康被害のリスクが高まる。

また、非喫煙者を副流煙の被害から解放するという目的に対して、タバコを禁止するという手段は「やりすぎ」である。権利は、他の誰かの権利を侵害しない範囲で最大限尊重されるべきだ。分煙という代替案がある以上、喫煙者から「タバコを吸う権利」を奪うことはできない。小鳥を撃つのに、大砲を使うべきではない。

さらに、嗜好品を取り締まった場合、それは闇市場で取引されるようになる。たとえば禁酒法時代のアメリカでは、酒の密造・密売がマフィアの収入源になっていた。タバコ禁止令が実行されれば、タバコの取引は地下に潜るだろう。本来なら地下世界と接触のなかったはずの喫煙者たちが、違法なタバコを入手しようとするだろう。タバコ禁止令によって違法行為・脱法行為が増えて、社会の治安はむしろ悪化する。

政府に目を向ければ、「国民の健康増進」よりも「選択の自由(Freedom of Choice)」を守ることのほうが、より重要な政府の役割だ。したがって、タバコを吸う選択を奪うのは、政府の役割に反する。また、もしも仮に「健康増進」のほうが「自由」よりも重要だとしても、タバコの禁止によって喫煙者の虫歯、肥満、糖尿病といったリスクが高まるので、政府の役割を果たしているとはいえない。

また同様に、タバコ禁止によって医療費の増大を抑えられるかどうかは疑わしい。タバコ以外の健康被害のリスクが高まるからだ。また、もしも仮に医療費を抑えられるとしても、タバコから得られる税収を賄えるほどの効果があるとは思えない。タバコの税負担率は6割以上、無視できない金額の税収になっている。タバコの闇取引による治安の悪化まで考えれば、タバコ禁止令はまったく採算が取れない。

さらに、タバコは巨大産業だ。日本ではJT、BAT、フィリップモリスの3社が主にタバコを製造・販売しているが、JTだけでも5万人近い従業員を抱えており、3万数千トンのタバコ葉を日本国内から買い付けている。タバコ禁止令が実施されれば、タバコ会社の労働者やタバコ農家が収入を奪われる。賛成派の意見は雇用に対して無関心であり、あまりにも視野が狭い。

以上の反論を表に書き込むと、次のようになる:

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競技ディベートならば、議論はここで終わらない。

賛成派は、反対派の反論に対して自分たちの意見を再構築するし、新しい視点である「雇用」に対して反論をするだろう。すると、反対派は再反論と意見の再構築で応えるだろう。相互に意見をぶつけあって、議論を深めていく。

・S.Q.のメリットとデメリット

・A.P.のメリットとデメリット

......議論が深まるたびに、これらが洗い出されていく。

そして最終的には、ジャッジはS.Q.とA.P.を比較して判断を下すことになる。

現状と将来を比較するのは当たり前じゃないか、と思う人も多いだろう。

その通りだ。S.Q.とA.P.を比較するのはディベートに特別な思考法ではなく、ごく当たり前の考え方だ。しかし私たちは、訓練をしなければ「当たり前」ができない。漢字は読めて当たり前だし、自転車に乗るのも、まあ、できて当たり前だろう。しかし教わらなければ、そして練習しなければ、私たちは「当たり前」のことができないのだ。頭の使い方も同じだ。日常的に「S.Q.とA.P.の比較」をしていなければ、身につけるのは難しい。

2.アイディアを意見に変える。

会議で「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」によって判断が下されてしまうのは、結局、判断に必要な思考法が身についていないからだ。「S.Q.とA.P.の比較」は、かんたんで便利な判断基準の1つだ。S.Q.とA.P.を意識して発言するのは、会議に参加する人の責務だと私は思う。

たとえば、誰かが「○○ってアイディア、いいと思わない?」と発言したとする。ブレインストームの最中なら、それでいい。しかし会議の最中なら、なぜ/どのように/どれくらい「いい」のかを説明する責任が生じる。ところが会議参加者の全員が説明に長けているとは限らない。というか、説明のやり方を知らない人のほうが圧倒的に多い。だから、ほとんどの会議では「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」によって結論が出される。

「あの人は経験が長いから...」

「あの人はヒット商品を考案したことがあるから...」

......だから、その人の意見が正しい。

これも思考法の1つであり、そこそこ妥当な判断基準の1つだ。

しかし、人は必ず間違える。属人的な判断基準を用いれば、いつか必ず、間違った判断を下すことになる。少なくとも「S.Q.とA.P.の比較」のほうが、より妥当で適切な判断を下せるだろう。

「○○ってアイディア、いいと思わない?」と発言するときは、「なぜなら現状の××が、□□になるでしょ?」と理由を付けること。そうするだけで、あなたのアイディアは、理由をともなった「意見」にレベルアップする。

S.Q.とA.P.を意識して発言すれば、「現状は本当に××なのか」「本当に□□になるのか」「××と□□を比較して、□□のほうが望ましいか」と議論を膨らませられる。より適切な結論に近づくことができる。

S.Q.とA.P.の比較は、どんなに小さな論点にも使える。

たとえば「学園祭で焼きそばの屋台を出すべきかどうか」を決める会議なら:

・S.Q.におけるクラス/部活の団結の弱さを、A.P.では解消できる。

・S.Q.ではできないが、A.P.では稼いだカネで飲みにいける。

......といった論点で議論することになるだろう。もちろん「焼きそばの屋台で本当にクラスは団結するのか」「飲みに行けるほど稼げるのか」という視点は欠かせないし、そもそも「クラスを団結させる必要があるのか」という議論もすべきだろう。

また「WEBページのバナーの色を変えたい」というアイディアを出す場合にも、

「S.Q.のクリック率の悪さを解消したい」のか、それとも「S.Q.のクリック率は悪くないが、さらに良くしたい」のか、あるいは「バナー色の変更による影響を、A.P.ではノウハウとして蓄積したい」のか、論点によって判断結果は変わる。

なんとなく「バナーの色を変えたいなぁ」と感じたら、S.Q.とA.P.の視点で考えてみるといい。パッと思いついたアイディアが、議論に耐えうる「意見」にレベルアップするはずだ。

より適切で妥当な判断を下すためには、判断基準になる「思考法」が必要だ。そして「S.Q.とA.P.の比較」は、数ある判断基準のなかでもとくにシンプル・かんたんで、今日からすぐに使える。「誰が言ったか」よりも「何を言ったか」を重視して議論できるようになる。

またS.Q.とA.P.を意識して発言するだけで、思いつきのアイディアが議論に耐えうる「意見」に変わる。

S.Q./A.P.の視点は、もっと広まっていいと思う。