マンザナー日系人強制収容所の光景が、アメリカ合衆国史の「闇」を映し出す

非人道的な状況に直面した抑留者の人間性をフィルムに写し取られている。
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アメリカのドナルド・トランプ次期大統領の政策顧問を務める作家のカール・ヒグビー氏が11月16日、イスラム教徒の入国を管理するには「第二次世界大戦中に日系人を強制収容した歴史が前例になる」と述べ、批判を浴びた。この発言から、第二次世界大戦中にアメリカ政府が設置した、日系アメリカ人の強制収容所の存在が改めてクローズアップされた。

1942年、真珠湾攻撃の動揺がまだ続く中、アメリカ政府は何千人もの日系アメリカ人に対し、自分の家を離れ、人里離れた収容所に移り住むことを命じた。彼らのうち約3分の2は、市民権をもつアメリカ市民だった。

最も有名な収容所は、カリフォルニア州オーウェンズバレーに置かれたマンザナー強制収容所(当時の訳語で「マンザナール戦時轉住所」)だ。

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1943年の秋から、写真家アンセル・アダムスは、マンザナーに収容された人々の日常の暮らしを記録した。彼は、アメリカ市民の生活がそんな風に追い立てられたことを悲嘆し、非人道的な状況に直面した抑留者の人間性をフィルムに写し取ろうと努めた。「マンザナーに常にあるものと言えば、タール紙を貼られた粗末なバラック小屋に溜まる砂ぼこりだけだ。ただ、そこに住む数千人の人々に刻み込まれた、消えることのない印象を除けばの話だが」と、アダムスは記した。

アダムスと言えば、アメリカの広大な自然を捉えた写真で有名だ。しかし、あまり名前を連想されることがないのが、戦時中に日系人を抑留した強制収容所のドキュメンタリー写真だ。

この写真は、1944年にニューヨーク近代美術館で展示され、『ボーン・フリー・アンド・イコール:ストーリー・オブ・ロイヤル・ジャパニーズ・アメリカン(自由で平等に生まれて― 誠実な日系アメリカ人の物語)』というタイトルの書籍として発行された。本の序文で、アダムスはこう記している。

この本は、人々や彼らの抱える問題について社会学的な分析をしようとするものではない。これは、平均的なアメリカ市民を取り上げたものであり、人間をベースに、そして感情をベースに着想したものだ。

誠実な日系アメリカ人をあいまいで形のない少数派の集団ととらえるのではなく、1人の人間と、その環境についての真実に重きを置いている。

この本を通して、読者は、マンザナーで私と一緒に共にいた人々と出会い、収容所の雰囲気と環境を感じてもらいたい。その人たちに何らかの主義を押し付けたり、社会学的行動を主張するのではなく、読者自身が判断してもらい。

アメリカ政府は1988年、日系人の抑留について謝罪し、「人種的な偏見、戦時中のヒステリー状態、政治的リーダーシップの失敗が動機となった」と認めた。

現在、アダムスがマンザナーを訪れてから70年以上が経過したが、今なお私たちは、彼のレンズを通して収容所を見て歩くことができる。

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ナカムラ夫人と娘たち

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体操をする収容者たち

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マンザナー強制収容所への入り口

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ルイーズ・タミ・ナカムラ

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昼食の行列

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放射線技師マイケル・ヨネマツ(または、ヨネミツ)

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看護師のアイコ・ハマグチと患者のトム・カノ

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蓄音機の上の写真と思い出の品、ヨネミツ家にて

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ケイ・カゲヤマ夫人

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慰霊塔

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農業労働者、ウィリアムソン山を背景に

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バトンを練習するフローレンス・クワタ

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高校で生物の授業を受ける、キヨ・ヨシダ、リリアン・ワカツキ、ヨシコ・ヤマサキ

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トム・コバヤシ

ハフィントンポストUS版より翻訳・加筆しました。

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