102歳のフォトジャーナリスト、笹本恒子(ささもと・つねこ)さんが初めてカメラを手にしたのは、26歳の時、1940年代のことだった。当時は男性優位な社会の中で、日本初の女性報道写真家として活躍し、そのキャリアは70年以上になる。
そんな笹本さんを主役の一人に描いたドキュメンタリー映画「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」が東京国際映画祭で特別上映されるにあたり、笹本さんはレッドカーペットを踏むことになった。その知らせを受けた笹本さんは、「お洋服は何を着て行こうかしら」と照れ笑いしながら話したという。いつまでも女心を持ち続けている素敵な女性の象徴である笹本さんが、フォトジャーナリストとして、一人の女性として、大切にしていることは何なのだろうか。
(撮影:小西康夫)
■「日本初の女性報道写真家」としての軌跡
26歳で報道写真家となった笹本さんは、戦後はフリーのフォトジャーナリストとして活躍するようになる。1950年には戦後初の個展「生きたニュールック写真展」を開催。終戦後、進駐軍の将校夫人や外交官夫人などの外国人をモデルに4年かけて撮りためた、ファッションをテーマにした作品約100点が並ぶコレクションだった。笹本さんは当時から「洋服は人間が着てはじめて生きる」という考えの持ち主で、そこから飾らない日常のワンシーンを撮るという自身のスタイルを徐々に確立していった。
■「明治の女はもっとすごいのよ」71歳の再出発
一時写真から離れていた笹本さんは、71歳で写真家としての再スタートを果たした。その大きな原動力となったのは、「明治生まれの女性たちの力強い生き様を写真に収めたい」という強い想いだった。
作家 宇野千代さん
*『明治の女性たち』の言葉やプロフィールは、記事末のスライドショーでご覧いただけます
「明治、大正、そして戦争が終わるまでの長い間、女性はずっと地位が低くて何の権利もなかったの。選挙権もなければ、女性だけが課せられる姦通罪というものまである、そんな時代だった。電化製品も何もないから、女性はみんな赤ちゃんをおんぶしながら掃除、洗濯などの家事労働を全部やって、空いているわずかな時間にものを書いたり絵を描いたりしてた。戦争が終わった当時はまだ、作家の宇野千代さん、絵描きの三岸節子さんという名前すら知られていなかった。でも、そんな苦労を重ねて一流となった人間こそはるかに偉いと思うの。『明治の男は気骨がある』とよく言われていたけど、『明治の女はもっとすごいのよ』って言いたかったのね」
東京の上野で、みちのく料理のお店を営んでいた料理研究家の阿部なをさんも、笹本さんがカメラに収めた女性の一人だ。
料理研究家 阿部なをさん
「阿部なをさんも芯の強い女性でした。戦争中も店を閉めることなく続けていた。戦争中は食べ物がなかったから、『植物の本を手に持って、山の中を歩いて、食べられそうな草を取って食べた』って話してたわね。私も同じように多摩川ベリに行って、色々なものを取って食べてました。配給ではお野菜がなかったからそうするしかなかったのね」
「私は幼い頃からガラス瓶に入った香水が大好きだったんですけど、戦争中は疎開先や防空壕に行く時もそれを一番にカバンに詰め込んでました。戦後になると、進駐軍の横流れ品なんかを売ってる闇市があってね。その露店でも素敵な香水を見つけて、つい買っちゃったら『お米がどれほど買えたと思う?』て弟に笑われましたけど。昔の私は、ショートカットにノーメイクの女の子が舶来物の香水だけを密かに香らせている、そんなのが好きだったの。戦争はそれすら許してくれなかった……。そんな時代でした」
エッセイスト 沢村貞子さん
そんな女性たちを撮り続けて、やがて「明治の女性たち」の写真を発表した笹本さん自身もまた、同じように厳しい時代を生き抜いた女性なのだと感じずにはいられない。
■「年齢は秘密」を貫いた20年間。歳を悟られずに生きるということ
以来、フォトジャーナリストとしての活動を続けてきた笹本さんは、96歳の時に初めて年齢を明かしたことが転機となって「96歳の現役フォトジャーナリスト」として再び脚光を浴びるようになった。なぜそれまでずっと年齢を隠し続けてきたのだろうか。それは、「もし実年齢を知られたら、ピントが合わないんじゃないか、手元がぶれるんじゃないか、と腕を疑われてしまうかもしれない」「被写体にも心配をかけたくない」、という笹本さんのプロ意識からだった。
1996年、“いま”を生きる明治の女性たち60人』展を開催した当時の笹本さん
「日本人はすぐ歳を気にするのよね。外国だったら歳を聞くのは失礼なくらいなのに。だから、年齢を聞かれても、『歳はございません。ごめんなさい』なんてごまかしちゃう。でも、どこから見られても年齢を悟られないようにするのは実は大変なこと。若作りなんてしないけど、いつも背筋をピンと伸ばして颯爽と歩くようにしてた。年齢を言わないのは、ずっと現役でいるための自分との約束なのね」
■褒められたいのは年齢よりもセンス
102歳になっても女性らしさまで現役の笹本さんは、「褒められたいのは年齢よりもセンス」だと語る。写真の仕事を離れていた約20年、笹本さんはオーダー服のサロンをしていて、洋服やアクセサリーも手作りしていた。もともとは画家志望で、華道もかじっていたというセンスを発揮し、50歳を過ぎてから習い始めたフラワーデザインは、本を出版するまでになった。
[撮影:(左)米沢耕 (真ん中・右)大河内禎]
「ひょんなきっかけで、趣味で作ってたアクセサリーまで売れるようになったのね。たまたまとあるブティックに行った時、友人への贈り物用に作ったアクセサリーを見た店主が気に入ってくれてね。うれしくて、その日は恵比寿の駅から我が家までスキップで帰りました(笑)。今思うとみんなつながってるのね。絵の勉強、カラーコーディネート、華道、フラワーデザイン、陶板画……、興味のあることはなんでも勉強しておくと何かの形で役に立つの。だから何でも挑戦するのはいいことなのよ。私、欲張りなの」
■「おしゃれは頭でするものよ」コーディネートがファッションの醍醐味
いろいろな分野で持ち前のセンスを発揮してきた笹本さんは、洋服の「コーディネート」にも人一倍こだわりがある。ポイントはカラーコーディネート。自分の肌に合う色を選ぶこととアクセントの色遣いが肝心なのだそうだ。
そんな笹本さんが、東京国際映画祭のレッドカーペットに選んだ服は、今から30年以上前、革を扱っている友人が、笹本さんが大好きな紫色の革を使ってオーダーメイドで作ってくれたものだった。
「このパンチで穴を開けたみたいな加工がめずらしくて初めはビックリしたんだけど、他にはない個性的なデザインと大好きな紫の色味いがとても気に入ったの」(東京国際映画祭のレッドカーペットにて)
「これが30年前のものだなんてわからないでしょう。好きな服はずっと大切に着続けるの。ちょっと流行遅れになったり体格に合わなくなったら、自分で直したりしてね。帽子やアクセサリーを合わせてコーディネートするのも楽しい。ポイントに選んだ黒い石の指輪は800円のやつね、お洋服のパンチの四角に合わせたの。アクセサリー選びは頭の体操ね。高価な服を着ていることとセンスの良さはイコールじゃない。『おしゃれは頭でするものよ。お金じゃないのよ』とよく言ってます」
映画の舞台挨拶には、笹本さんは黒のコートドレスを身に纏って現れた。これも30年前以上前に若者向けのブランドで買ったお気に入りの服で、合わせてかぶっている帽子はさらに遡って50年前に買った年季の入った逸品だ。
「黒のコートドレスはシンプルなスタイルに惹かれて。真っ黒の中に赤のポイントを入れるのが好きなの」(東京国際映画祭の舞台挨拶にて)
「帽子はね、『こんな帽子ないかな』と思ってたら、原宿にあるメンズ専門の帽子屋さんでちょうど見つけたの。カンカン帽スタイルっていうのね。男物だけど試しに頭に乗せてみたらサイズはちょうどいいし、若者向けかなって恥ずかしかったのもつかの間、かぶっているうちに慣れてきたら、すっかり気に入っちゃった。歳をとったからってマダム向けのブティックにありそうな服がいいとは思わないのよね。若い人向けのお店で、安くて新しいデザインを見て、自分に似合うものを探すのが楽しいの」
「女性だから」「もう歳だから」を理由にあきらめることは何もない。
厳しい男性社会の渦中で男性と対等に渡り合ってきた笹本さんは、女性としての立場を守ると同時に、女性としての自分なりのスタイルを築きあげてきた。そして、「女性であること」を片時も忘れず、ファッションもライフスタイルも好奇心の赴くままに、102歳になっても今なお楽しみ続けている。そんな笹本さんは、いつまでもずっとみんなの憧れの的であり続けるだろう。
<笹本恒子さん プロフィール>
1914年9月1日東京生まれ。日本写真家協会名誉会員。
1940年に財団法人写真協会の入社し、日本初の女性報道写真家となる。戦後はフリーのフォトジャーナリストとして活躍。1950年に戦後初の写真展を開催。一時現場を離れるが、1985年、写真展開催を機に71歳で写真家に復帰。2011年、吉川英治文化賞、日本写真協会賞功労賞、2014年、ベストドレッサー賞特別賞、そして、2016年10月には写真界のアカデミー賞と称されるルーシー賞を受賞。2017年初夏、笹本さんとジャーナリストのむのたけじさんのドキュメンタリー映画『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』が公開予定。
著書:『100歳の幸福論。』(講談社プラスα文庫)、『きらめいて生きる 明治の女性たち』(清流出版)
着る人を選ばない服、人が主役になれる服…。シンプルでどんなスタイルにも染まるユニクロの服は、その人の個性や生き方を浮き彫りにし、際立たせてくれるのかもしれない。
一人ひとりのライフスタイルに寄り添う、それがユニクロの“LifeWear”。
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