給食のおばちゃんが高級ホテルの幹部に。薄井シンシアさんの生きかた

「仕事、結婚、子ども、女性はすべて手に入れられる。ただし…」
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Kaori Sasagawa

「専業主婦の経験は、ブランクとしかみなされなかったんですね。冗談じゃない、これは評価の仕方がおかしい、と思いましたね」

30歳で家庭に入り、47歳で再び仕事の世界へ戻った薄井シンシアさん。給食のおばちゃんや電話受付、ホテルの営業開発担当副支配人を経て、57歳となった彼女は現在、5つ星の外資系高級ホテル、シャングリ・ラ ホテル東京でディレクターとして働いている。

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Kaori Sasagawa

「70歳まではワークの時代」と言い切るシンシアさん。ゼロの出発点からどうやってキャリアを積み上げたのか。彼女の生きかたを聞いた。

■資格や履歴じゃなくて、可能性を評価された

――17年間の専業主婦生活を経て、仕事に復帰しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

娘が大学に入学して「さて、何をやろうか」って思っていた矢先に、娘がかつて通っていたバンコクの学校の関係者から、「カフェテリアを新しくするから、シンシアさんやってくれない?」って声をかけられたんです。

最初は本当に単純な仕事だったの。子どもたちに「あなたもっと野菜を食べてみたら?」という好き嫌いの指導とかね。

ところが3カ月後には「全体のリニューアルとプロデュースをやってください。2500人の生徒が使う食堂のダイニングシステムを考えてほしい」って言われてしまって。

――インテリアやフード関連の仕事経験が過去にあったのでしょうか?

いいえ、全然。だから「ちょっと待って、あなたたち何言ってるの?」という感じでしたよ(笑)。そこは娘が通った学校で、私はPTA会長をやったことがあったので、その経験を踏まえていたとは思うんですけど。

最初は戸惑って断ったんですけど、説得されていくうちに、彼らは私の資格や履歴じゃなくて、ライフ・エクスペリエンス(人生の経験)を見ているんだな、と気づいたんです。

——職歴ではなく、シンシアさんの人生を見て声をかけた。

向こうがいいって言っているならこれはもう冒険するしかない。そう思って引き受けることにしました。

それで企画から関わることになったんですけど、企画を立ててみたらすごく簡単だったんですよ。だって子育てを経験しているんだから、カフェテリアを使う年頃の子どもやその友達が何をほしいと思っているか、何をクールだと思っているかなんて簡単にわかる。

業者とのタフな交渉だって、子育ての経験をしている人なら絶対に自然と身についているはずですよ。だって言葉の通じない子どもと毎日やり取りしていた経験があるんだから、大人なんてラクなものでしょう(笑)。

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Kaori Sasagawa

——大人は話が通じますね(笑)。

そういう強みがあったから、カフェテリアのデザインやプロデュース、マネジメントも、全部手がけたんです。

やってみれば、どれも専業主婦の仕事の延長線上にあるものばかりでしたから。そうしたら結果的にそれが大当たりして、カフェテリアがものすごい売上を叩き出してしまったんですね。

■専業主婦がブランクとしかみなされない日本

――2011年に帰国されていますが、日本ではどんな風にキャリアを積んでいったのでしょう。

仕事が全然見つかりませんでした。バンコクでの実績は、日本では何の役にも立たなかったんです。「52歳・専業主婦歴17年」と書くと、履歴書だけで全部はじかれてしまう。バンコクの仕事を話しても認めてもらえない。

専業主婦の経験は、ブランクとしかみなされなかったんですね。そこで私はすごく腹が立った。「冗談じゃない、これは評価の仕方がおかしい」と思いましたね。

それでも「なんでもいいからとにかくやろう」という一心で活動をして、ようやく会員制クラブの電話受付のパートに就けたんです。

そこが出発点。チャンスをつかめたなら、あとは実績、結果を出していけばいい。

ここ10年はその繰り返しでしたね。ANAインターコンチネンタルホテル東京から声をかけられて4年勤めて、今年からはシャングリ・ラ ホテル東京のディレクター職をしています。

――10年で、専業主婦からラグジュアリーホテルのディレクター職へ。優秀なジョブホッパーですね。

居心地がいい職場には長居したくないんですよ。居心地がいいっていうのは、もう成長がないってことだから。常にちょっと居心地が悪いほうが、人は成長できる。だから正社員にはこだわりません。

——正社員になる道をあえて選ばない?

ええ。これまでの会社でも正社員を希望したことは一度もありません。すべて一年ごとの契約社員ですね。

正社員になってしまうと、給料も昇進もすべてがそのシステムに組み込まれてしまいますよね。私はそれが嫌なんです。毎年、きちんと実績を出すから、一年ごとの契約で給料を決めましょう、というのが私のスタンス。自分が出した売り上げに応じて報酬が決まるほうが納得できますから。

――今の時代、「正社員の立場は簡単に手放すべきじゃない」という意見のほうが強い気がします。

人間ってやっぱり"守り"に入るんですよね。「今の会社を辞めたら、次は正社員に就けないかもしれない」と考えてしまうと、不安で動けなくなる。

でも正社員で居続けることが自分にとって本当に一番大事なことなのか、自分が一番大切にしている価値観はなんなのか、ということは一度きちんと自問自答したほうがいいと思います。価値観は人それぞれですから。

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Kaori Sasagawa

やっぱり日本は終身雇用制がよくないですよね。誰もがもっと柔軟にキャリアを積めるような社会のほうがいいんじゃないかな。

だから「自分が、まだ労働市場に通用する人材かどうか」というチェックを私は定期的に行っています。今すぐ転職する気はなくても、どういう仕事があるかは常にチェックしているし、実際に応募しますね。

でも別に、今の仕事を全部放り投げて明日からコンビニから働いても全然OK。もう子どもが独立したから守りに入らなくていいし、自分の人生を冒険できます。

■全てを手に入れることはできる。ただ...

――復職後、仕事へのモチベーションを高く保てているのはなぜでしょう。

私、うちの娘に見せたいんですよ。「専業主婦はブランクでもハンデでもない」ってことを証明したい。あなたを育てた17年間があったから、今の私がある。「育児と家事で自分の可能性を広げることができた」って娘に伝えたいんです。

私、今になってわかったことがひとつあるんです。仕事、結婚、子ども。女性は手に入れようと思ったら、これらの全てを手に入れることはできる。ただ、同時じゃないんです。

――すべて同時には手に入らない。

仕事もできて子育てもしている素敵な女性なんて、そんなメディアで理想とされるようなスーパーウーマンなんかいるわけじゃないじゃないですか。

どこまで女性に過酷な要求をするの? 同時にやったら自分がつぶれるだけ。私は胸を張って、全部を手に入れることができたといえます。ただ、それは同時にではなかった。それだけなんです。

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■仕事と子育て、心の中で優先順位を

――そうはいっても今の時代、仕事も子育ても同時進行でしていくしかない共働き家庭も少なくありません。

そういう場合は潔く、心の中で優先順位をつけるしかない。「今は家計のために働いているけど、子育てを終えてから本気で仕事をする」という気持ちで働きかたを変えたり、話し合ったりして乗り越えていくしかないでしょう。

ただ、協力しあって両方できている共働き夫婦は、キャリアが途切れないという意味では万々歳ともいえます。

だから私が心配しているのは、まじめに育児に専念した結果、社会から切り捨てられてしまう専業主婦の人たちです。

——専業主婦の声が、社会に届いていない。

彼女たちが復帰できる仕組みづくり、復職のためのトレーニングなどを企業はもっと積極的に行っていくべき。社会に戻れる場所があるということがわかっていれば、子育てだって安心してできますよね。(待機児童を解消する)新しい保育園もいりません。

実はその点も子育てと同じなんですよね。子育てって、子どものダメなところ、欠けているところに向き合って、どうすればちゃんと育つかを考えなければならない。人材育成も同じです。「専業主婦? 使えないからダメ」と切り捨てるのではなく、どうすれば働けるようになるかを企業と個人が一緒に考えていかないと。

労働人口が減っていくこれからの時代は、専業主婦の働く意欲を引き出していくことがひとつの鍵になると思っています。私もそのための働きかけをどんどんしていくつもりです。

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「専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと」KADOKAWA

(取材・文 阿部花恵