「私のように専業主婦の時代が17年間あって、70歳までの次の20年間はワークの時代、というワーク・ライフ・バランスだっていいじゃないですか?」
働く女性のゴールは寿退社。結婚したら、子を産み、夫を支える。それが女性のあるべき姿と考えられていた1980年代、「専業主婦をキャリアとして捉えよう」と覚悟をもって仕事を辞め、家庭に入った女性がいた。
国費留学生としてフィリピンから来日した薄井シンシアさんの経歴は、非常にユニークだ。出産を機に30歳で専業主婦となる道を選び、17年間の専業主婦生活を経て、47歳でタイのバンコクで"給食のおばちゃん"として働き始めた。
日本では、電話受付のパート仕事、ANAインターコンチネンタル東京の営業開発担当副支配人などを経て、現在は5つ星の外資系高級ホテル、シャングリ・ラ ホテル東京に勤務する。
シンシアさんは、「専業主婦はマルチタスクでクリエイティブ」と語る。彼女や専業主婦の生きかたから学べることは何か。
■専業主婦には絶対なりたくなかった
――新刊『専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つこと』では「専業主婦には絶対なりたくなかった」という過去について語られています。
私が大学生のとき、ある女子大で「女性の生きかた」というテーマで、女子学生同士の意見交換会が開かれたんですね。そこで私は「女性は専業主婦になるのが"当たり前"だなんておかしいと皆さんは思わないんですか? 私は結婚しても仕事を続けたい」と発言したんです。
そのときの場の空気がすごかった。「この人はなんて変なこと言っているの?」という困惑した空気を、今もよく覚えています。今から約30年前ですね。
――1980年代はじめ、男女雇用機会均等法も育児休業もまだなかった時代ですね。
いくら大学を出て、いい会社に入っても、女性は寿退社するのが当たり前。それしか道がなかった。そんななかで「結婚後も仕事をする」なんて言ったら、もう変人扱いですよ。
でも当時の私は専業主婦には絶対なりたくなかった。大学卒業後は貿易会社に就職して、27歳で結婚した後は広告会社に転職しました。仕事はやりがいがあったし、30歳で娘を産んだ後も、絶対に復帰するつもりでいたんです。
――「働き続けたい」という気持ちは人一倍強かった。にも関わらず、専業主婦という選択をしたのはなぜでしょう。
娘の安らかな寝顔を見ていたら、「この子を育てることが私の最大の仕事になるんだ」という直感のような、啓示のような感情が、すごくクリアに自分のなかに湧き上がってきたんです。
それですっぱり仕事を辞めて、その後17年間、家事と育児に専念しました。
■会社で仕事をするように、家事をしようと決めた
――仕事が好きだったなら、葛藤もあったのでは?
葛藤も未練も、もちろんありましたよ。実際に辞めた後も、働いている周囲の女性たちを羨ましいと思う気持ちもあった。
でも最後の最後に自問自答したんです。「万が一、この子の人生が何かよくない方向へいってしまったら、私は絶対に自分のことを責めるだろう」って。それは耐えられそうにない。
だけど成長して「お母さんはもう要らない」と言い出すのなら、そのときは私が自分で自分のことをなんとかすればいいだけ。それなら受け止められる。
自分のことならなんとかなるでしょう、と思って育児に専念することを決意したんです。
――夫と協力して育児をしよう、という発想はなかった?
ありませんでしたね。夫は仕事柄、転勤が多いし、家にいない時間のほうがずっと長い。子育てを夫婦間で「50:50」で分担するのは絶対に無理。となると自分が100やるしかない。
夫本人がその状況をどうにかできるわけではなかったので、そこは揉めても仕方がないと思ったんですね。そこに納得できないのなら離婚するしかない。私は幸いなことに、「子育てが自分にとっての最大の任務」だと思えた。となると、その条件下でベストを尽くすしかないですよね。
だから私は、主体的に「専業主婦」を選んだんです。広告会社の営業から、専業主婦に転職した。そういう気持ちで家事と育児に全力で取り組むことにしました。「会社で仕事をするように、家事をしよう」って。
■ルーティン化によって徹底的に家事を合理化
――かつて主婦業は「三食昼寝付き」と言われるほど、世間からはお気楽なものと考えられていました。でもシンシアさんは専業主婦を「キャリア」と位置づけた。
三食昼寝付きとは絶対に言われたくなかったんですね。夫にただぶら下がるだけじゃなく、私も私でちゃんと家庭に貢献しているんだ、ということを証明しようと決めたんです。
そのために、徹底的に家事を合理的にやることにこだわりました。
――家事を合理的にやる、とは?
具体的には掃除、洗濯、買い物など、一日の家事仕事の手順を決めてしまい、できる限りの効率化、ルーティン化を図ったんです。その日の気分で掃除をやったりやらなかったり、ということはしない。だって「仕事」ですから。
そんな風にルーティン化して土台を作ってしまえば、無駄なことは考えなくて済むし、他のことをやる余裕も出てくるんですね。
――本で紹介されていた「1カ月の夕食の献立ケジュール」はその象徴ですね。
私、「今夜は何を作ろうか」って悩むのが、すっごく耐えられなかったの(笑)。それなら1カ月分の献立を先に決めておこう、って。
月曜は豚肉、火曜は魚、水曜は牛肉......と曜日ごとにメイン食材を割り振って、1ヵ月分の基本献立をあらかじめ決めてしまうと、あとは本当にラクですよ。
冷蔵庫を見ながら毎日頭を悩ませなくていいし、無駄な買い物がなくなるし、栄養バランスも自然とよくなる。ルーティン化して最も効率化が図れたのは料理ですね。これが私の家事仕事のベースにもなりました。
■家族にちゃんと貢献していると認めてほしかった
――とはいえ、他人の目や評価が関わる仕事とは違って、主婦業は自分ひとりでやるものです。そこまで自分を律することができたのはなぜでしょう。
だって大好きな仕事を辞めたんですよ。その代わりに何かを実らせないと、「自分の人生は何だったんだろう?」ときっと思ってしまう。
専業主婦という自分の選択は正しかった、ということを証明したかったんです。それと、プライドでしょうね。夫にも娘にも、私が家族にちゃんと貢献しているんだということを認めてほしかった。
――専業主婦になって、わかったことは?
主婦の仕事って、複数の仕事を同時進行でこなすマルチタスクなんですよ。
非常に煩雑だし、夫の給料という限られた予算内でやりくりしようと思ったら費用対効果も考えなければならないし、自分なりの工夫やクリエイティビティが必要な仕事だと思います。
――育児業はどう捉えていましたか。
子育てだって同じ。「与えられたもの」でやらなくちゃいけない。わが子の持って生まれた性質が気に入らないからといって、「やーめた」と手放すことなんてできませんよね?
自分の子どもなんだから、良いところとも悪いところとも親は向き合っていかなくちゃならない。あるものでやらなきゃいけないんです。
「このやり方がダメならこうしてみよう」と常に工夫するしかないし、その繰り返しによって、問題解決能力も知らず知らずのうちに身についていきます。
■ワーク・ライフ・バランス、短いスパンで捉える人が多すぎる
——専業主婦の人には、ビジネスに応用できるスキルがあると。
家事や育児で磨かれたスキルは、実は仕事にもすごく応用が効く。専業主婦の人たちにはそのことにぜひ気づいてほしいですね。
私が47歳で仕事に復帰できたのも、専業主婦というキャリアがよいトレーニングになっていたおかげなんです。
ワーク・ライフ・バランスって言葉がありますよね。私はこの言葉を、短いスパンで捉えている人が多すぎると思っているんです。
私のように専業主婦の時代が17年間あって、70歳までの次の20年間はワークの時代、というワーク・ライフ・バランスだっていいじゃないですか? スパンの長短は人それぞれでいい。みんながそれぞれの覚悟を持って、それぞれの生きかたを選べばいいんじゃないでしょうか。
(取材・文 阿部花恵)