こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。
今日は
NPO東京養育家庭の会
川の手支部(江東区・江戸川区など)の里親さんにお声がけいただき、
児童相談所職員さんや施設の方々も参加する新年会に夫婦でお邪魔しました。
多くの里親さんや関係者の方々に
「ブログ読んでますよ!」
「海外まで視察に行くなんて、すごいですねー」
「…いつも過激ですよねえ」←スイマセン。。
とお声がけいただき、こうした情報発信がきっかけで
ご縁が広がっていくのは本当に嬉しい限りです。
社会的養護・児童養護に関する過去ログはこちらから⇓
意見交換した内容は多岐に渡りましたが、
やっぱり出たのが「日本における親権の強さ」について。
これまでも再三、児童養護の問題を取り上げる際に
「日本は親権が強すぎるあまり、子どもの人権が蹂躙されている」
ということに言及してきました。
と言っても、一般的な方にはなかなかイメージが湧きづらいのではないでしょうか。
増え続ける実親・保護者からの児童虐待案件数に対して、
日本で親権停止にまで踏み切った事例はわずかに年間数十件に留まります。
児童虐待最多の8.8万件 14年度20%増、親権停止17件
法制度が異なるため厳密な比較にはなりませんが、
先日視察に訪れたドイツでは親権停止は年間1万2千件、
イギリスでは平均して年間5万件以上のケースで親権停止または剥奪されています。
これがほとんど行われない我が国の児童養護現場では、
果たしてどのような事態が起きているのでしょうか。
※
以下のケースは必ずしも今日ヒアリングした内容ではなく、
これまで様々なところで伺った事例をまとめたものです。
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ある要保護児童は、実親から激しい虐待を受けて里親に措置されてきました。
今でもその実親は子どもに執着し、ストーカーのように子どもの行く先を探し、
隙あらば取り戻そうと画策しています。
それでも日本では、このような親の「親権」も容易には停止できません。
そのため要保護児童は「通称名(里親家庭の苗字)」で生活をし、
実親の追求から逃げ続けます。そして20歳になれば成人し、晴れて自分の意志で里親さんと
養子縁組をして苗字を変更し、ついに実親の支配から完全に逃れることができるのです。
裏を返せば、それまでは常に危険と隣り合わせです。
学校は通称名で通うことができるが、実社会に出ればそれはできなくなってしまうため、
「20歳まで措置延長をするために、短大・専門学校に進学させなければ…」
と考え、里親さんは必死で進学先を探したそうです。
このエピソードだけでも、いくつもの明白な矛盾が現れています。
・20歳まで待ってから養子縁組をしなければならないこと
・通称名で暮らすために進学を選択するという、本末転倒な事態が起きていること
この2つの事象はどちらも、親権停止が適切に行われていれば
生じるはずがなかったことではないでしょうか。
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あるいは、こうしたこともあったそうです。
物心ついたころから乳児院にいたある要保護児童が里親措置となり、
12歳ごろまで問題なく養育されていました。
そこに突如現れた実親が「子どもを引き取りたい」と申し出ました。
児童相談所は、実親の強い意向を尊重し、子どもを返すことを選択したのです。
待っていたのは、激しい虐待でした。
数年と待たずに、その児童は再び社会的養護を受けることになります。
しかしながら、関係が良好であった里親の元に戻ることはできませんでした。
その虐待を加えた実親が
「前の里親のところで贅沢を覚えた。あんなところに戻すのは許さない!」
と逆恨みし、施設への措置を強く希望したからです。
結局その児童は18歳まで、施設の元で育ったそうです。
このようなとんでもない実親の意向が子どもの人権や希望を上回り、
尊重されるのが現在の法体系であり、厚生労働省のガイドラインなのです。
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もちろん以前の記事で取り上げたように、
虐待の事実がないのに誤認保護してしまうケースもありますし、
実親・家族の権利もまた重要であることは言うまでもありません。
しかしながら、上記のような事態が発生する我が国の現状は、
残念ながら著しくバランスを欠いたものになっていると言わざるを得ません。
こうした現状を打開するため、私も心ある国会議員たちと連携し、
子どもの権利を尊重し家庭養護を促進する法案提出の準備を昨年から進めています。
また、児童福祉法の改正がヤマ場となる年でもあります。
ブログで吠えるだけでなく(?!)、
具体的かつ実効性のある政策提言をしっかりと形にしてまいります。
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新年会は残念ながら最後まで参加はできませんでしたが、
小学生までの里子の方々もいらっしゃって終始アットホームな雰囲気でした。
お招きいただいた川の手支部の皆さま、本当にありがとうございました!
「地元」を回るのも大事だけど、
こういう「政策」別分野で会合にたくさん呼ばれる議員でありたいですね。
というより国会議員や広域自治体の政治家は、本来そうあるべきな気がする…
それでは、また明日。
(2016年1月24日「おときた駿オフィシャルサイト」より転載)