映画『弁護人』から見る韓国社会の今

映画『弁護人』が、日本にやってきた。日本で公開されたその日に100万人の市民がソウルの都心を埋め尽くしたのだから、これ以上ない絶妙なタイミングである。

映画『弁護人』が、日本にやってきた。観客動員数1,100万人という大ヒットから2年以上の時間差があるが、日本で公開されたその日に100万人の市民がソウルの都心を埋め尽くしたのだから、これ以上ない絶妙なタイミングである。

『弁護人』は、1981年に韓国釜山で起きた冤罪事件「釜林(ブリム)事件」をモチーフにしたファクション(faction)で、ざっくり言えば、一人の弁護士が窮地に立たされた冤罪被害者を救うために、国家権力に立ち向かうという物語である。

その一人の弁護士は、農家で生まれた高卒で、この事件を機に人権派弁護士に転向し、後に大統領になる男。彼が弁護する冤罪被害者は、E.H.カーの『歴史とは何か』などを読んだことを理由に、国家保安法を違反したとして起訴される平凡な大学生である。そして国家権力は、1980年の広州事件を起こした全斗煥の率いる軍事政権で、冤罪被害者に不法監禁と拷問を行う。

一見、よくある法廷ものである。それに、『ペパーミント・キャンディー』(2000年)『大統領の理髪師』(2004年)『南営洞1985~国家暴力、22日間の記録~』(2012年)など、軍事独裁の暴力と野蛮を描いた、しかも完成度の高い韓国映画はこれまでも少なくなかった。それが2014年に、なぜあれだけの韓国人は、この映画に熱狂したのだろう。

『弁護人』の成功は、李明博(イ・ミョンバク)の時代に続き、朴槿恵の時代を生きている人びとの認識や感情なしでは理解することができない。なぜ韓国人はこの映画に反応したのかという問いは、なぜ100万人以上の人びとはソウルの都心を生む尽くしたのかという問いにつながる。

第一に、崩壊する「民主主義」に対する危機感と不安が強く働いていた。朴槿恵大統領は、政権初期からレッド・コンプレックスに基づいた恐怖政治を復活させた。それこそ不法監禁や拷問のようなことはなかったものの、あらゆる「合法的」手段を用いたさまざまな統制と抑圧を行っていった。

主流放送と新聞のジャーナリズムが「合法的」に掌握され、左派政党が「合法的」に解散され、政府に批判的なあらゆる領域の人びとに「合法的」な制裁がなされた。『弁護人』への反応は、それまで民主主義の成熟を信じていた人びとが感じ始めた疑問の表れでもあった。

第二に、「善き指導者」への渇望がそこにはあった。それは主人公の実在モデルである故盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領に対するノスタルジーでもあったが、朴槿恵という新たな指導者に託していた期待の裏返しでもあった。

つまり、映画の主人公に映し出された、自分の理念と言葉を持ち、国民の生命と安全を守るために自分を犠牲にしてまで闘い続ける指導者というイメージとそれを求める強い力は、朴槿恵政権に対する失望が生み出したものでもあったのだ。

第三に、「連帯」への熱望が強く表れていた。イム・シワン演じる冤罪被害者が経験しているように、暴圧的権力は、個々を分裂・孤立させ、他者への恨みを持たせ、連帯の意志と可能性を奪う。

したがって、連帯することは、それ自体で闘いの始まりであり、それ自体で闘いの手段となる。韓国の観客は、映画の中だけではなく、映画の外で、つまり映画を見、映画について語ることをつうじて、孤立している現状を脱却し、連帯の可能性を見つけようとした。

不幸にも、この映画が上映された2014年と比べても、韓国社会ははるかに深刻な状況に置かれている。「セウォル号」事件で、「崔順実ゲート」で、朴槿恵政権への失望は、深い絶望と怒りへと変わっている、映画『弁護人』に投影されていた人びとの思いも、その分、いっそう強くなった。民主主義への、善き指導者への、連帯への熱望が、毎週都心を埋め尽くしているのである。