地域医療の原点は専門にあり

少し遠回りに見えるかもしれませんが、研修医の先生には「一本筋の入った」医師になるための専門修行も経験してほしいな、と思っています。
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Gary Conner via Getty Images

私は都内の大病院を中心に10年余り膠原病の専門医療に従事していましたが震災のご縁で、2013年11月より相馬市に常勤医として定住しております。この1年の経験を通じ、自分の持っていた地域医療の認識が大きく変わりました。特に学んだことは、地域医療は総合医ではなくむしろエキスパートの集団によって支えられている、という事実です。

地域における専門医の存在意義には2つあります。1つは、他の医師に出来ない専門技術を提供すること、つまり個人の競争力です。もう1つは、地域医療を眺める視点が定まる事、つまり問題提起・解決能力です。

■ 総合診療医は都会の科?

地域医療は医師が少ないから総合診療医であることが大事、と考える方は多いと思います。初療で様々な疾患を診るという意味で、それは事実です。しかし病院に「総合診療科」が必要なのは、むしろ都会の病院だと思います。

都会の大病院は専門科による縦割り制度が強く、「うちの専門じゃないから」と患者さんが診療を断られるシーンが少なからずあります。診断のつかない患者さんがたらい回しにされかねない都会では、総合医の付加価値は益々高まっています。

たしかに、例えば村に唯一の診療所のような本当に医師のいないような場所であれば、専門の偏りがない医師が必要です。しかし病院が建つ程度の大きさの街、つまり人口が数万人単位の地域医療では、1人が全てをこなす訳ではありません。むしろ、個々の医師の専門技術が欠かせないのです。

■ 相双地区における専門医の窮乏

たとえば約10万人の人口を抱える相双地区の大きな問題は、開業医も含めて耳鼻科の常勤医師が1名も居ないことです。公立相馬病院に非常勤の医師がいらっしゃいますが、毎日ではありません。耳鼻科の専門医しか診れない疾患として、突発性難聴といって早期に診断を付けて治療を行わなければ失聴してしまう疾患があります。また扁桃周囲膿瘍という命に係わる感染症などもあります。相双地区ではこのような患者さんは車で1時間半以上かかる福島県立医大か仙台市の病院に紹介しなくてはいけません。

循環器科も同様です。相双地区の病院に常勤の循環器医は3名しかいないため、夜間の救急疾患までは手が回りません。このため夜間に発生した心筋梗塞の患者さんは仙台まで搬送されます。途中の山元町まで仙台側の救急車が迎えに来てくれ、患者さんは救急車を乗り継いで転院することになります。

このような疾患を初療に当たるのは、我々のような100床規模の病院の当直医師だったりします。周りに病院が少ないため、たらい回しは万が一しようと思ってもできないからです。つまり地域医療を行う為に総合力は必須条件。しかし医師が少ないだけに、その総合力に加えて、個々の医師が専門技術を持ちよることが重要になってくるのです。

■ 超高齢化社会の通院能力

私の専門である関節リウマチは全人口の0.5-1%くらいが罹る、比較的頻度の高い疾患ですが、同時に専門的治療の必要な疾患でもあります。関節リウマチの問題点は痛いこと。特に朝の痛みが強いため、午前中に車を運転して通院されることは本当に辛いそうです。相双地区では今でも車を運転して山越え受診をするリウマチ患者さんが大勢いらっしゃいますが、このような患者さんの負担を少しでも減らす役に立てれば、というのが私の目標です。

この通院の辛さはリウマチ患者さんにとどまりません。相双地区ではお元気に通院される超高齢患者さんが大勢いらっしゃいます。しかしご家族の運転・移動能力が低下するにつれ、遠くの病院に通院することができなくなっています。

今後全国的に進む超高齢化社会において一番大事なことは、地域で医療が完結する体制づくりです。このためには高齢者のアクセスできる範囲に専門家、それもある程度独立できるくらいの経験を積んだ専門医を備えた病院が存在する必要があります。つまり、今後地域医療における専門医の付加価値は一層高まるのです。

■ 思考の核としての専門性

このように、付加価値としての専門性も重要ですが、同じくらい大切なことが、地域社会を眺め、問題解決法を提示する軸としての専門性です。

私はリウマチとスポーツ医学をやっている、という経験から、自ずと地域の人々の骨や関節に関心があります。その結果見えてきたのが、社会問題としての骨粗鬆症リスクです。原発事故の影響で私が非常に恐れているのは、骨粗鬆症の増加です。理由は主に3つあります。

1つ目は、農業・漁業を禁止されたことや外での運動をしなくなったことにより、住民の方の運動量が減っている事。2つ目は、骨に大切なビタミンDやカルシウムを含む魚、キノコ、牛乳などの摂取が減ってしまうこと。3つ目は、放射線を恐れて外に出る時間が減った結果、日光に当たらなくなってしまうことです。骨の量は20-30代をピークに後は下がる一方ですから、もし子供たちがこれらの条件に晒されれば、将来的にも骨粗鬆症のリスクが上がるのです。

ですから地元の方に放射線のお話しをする時、私は常に放射線と一緒に骨のリスクをお話しすることにしています。

「XXX mSVの被ばくにより癌になるリスクがXXX倍になります。癌はもちろん怖いですが、治る可能性もあります。一方、骨粗鬆症で身長が3㎝縮むと、『死亡する』率が1.8倍になります。ですから、くれぐれも放射線を避けすぎて運動・ビタミン・日光が足りなくならないようにしてください」

骨粗鬆症は日本中で最も頻度の高い骨の疾患であり、寝たきりの原因の第3位を占める重要な疾患ですが、全国的にも2割くらい方しか治療を受けていないそうです。地域の健康を推進するため私に貢献できることには、この骨の健康の関心を高め、早期発見・予防・治療を行っていく事だと思っています。

■ 社会を診るレンズ

上記の例は私の専門性から見えてくる問題であって、他の専門医の先生方には他の視点があります。たとえば脳外科医の先生は「寝たきりの死亡原因1位である脳血管疾患が相双地区で高い事は食生活の塩分摂取の多さだ」と、住民の方の塩分摂取量を測定、フィードバックされています。精神科の先生は原発事故による家族構成や社会構成の変化により、これまで見えていなかった精神疾患が明るみにでた、と考察しています。

地域医療と都会の医療の一番の違いは、医師の方々の地域社会への関心の高さだと思います。患者さんも自分も同じ地域で長年暮らしているため、患者さんを診ることで地域社会が自然に見えてくる。自ずと、医師として地域社会へ貢献する意識も高まります。

しかし地域社会を漫然と眺めていても問題解決にはつながりません。どの分野でも同じだとは思うのですが、思考の軸としての専門性は非常に大切です。つまり専門性は、地域医療を眺めるレンズの絞りの役割を果たしているのです。

■ 総合医を目指す研修医へ

相双地区で最も大きい南相馬市立総合病院では、初期研修を希望する若い医師が増えています。今年は4名の研修医を受け入れる予定です。研修医の出身地は関東圏に留まらず、何と滋賀県からの研修医もいらっしゃるとのことです。

遠方からはるばるこの病院に研修に来る医師には特徴があります。1つは、社会への問題意識が高いこと。もう1つは、自分にしかできない医療を求めていることです。彼らの目標は地域での総合診療ができる医師。しかし私は彼らに、まず何か専門を決めてみては、とアドバイスしています。

医局制度が崩壊し、スーパーローテート制が導入された後から、「総合医」「何でも診れる医者」を目指す研修医が増えていると感じます。専門医という単語に付随したいわゆる専門馬鹿や、医局のヒエラルキー社会のような狭量なイメージが付いて回るせいかもしれません。また、専門医として一人前になるためには長い年月がかかりますから、どうせ地域で総合的な医療をやることになるのだからその期間がもったいない、と感じるのかもしれません。

しかし専門性と総合力というものは、併存可能であり、かつ全く別のものです。相馬中央病院の常勤医はわずか7名ですが、全ての先生が手術や内視鏡、糖尿病治療など高度な専門技術を持たれながら毎日一般診療をこなされます。面白いことは、研修医が見学に来ると全ての先生方が異口同音に、「まずは専門をきめなさい」と言われます。少し遠回りに見えるかもしれませんが、研修医の先生には「一本筋の入った」医師になるための専門修行も経験してほしいな、と思っています。