廃校を活かしたまちづくり~地方移住者の拠点としての可能性は~

廃校の活用事例は?
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増加する廃校

少子化の進行や大都市部への人口の流出等によって、全国で学校の廃校が進んでいる。文部科学省が2014年11月に公表した「廃校施設活用状況実態調査」結果をみてみると、2002(平成14)~13(平成25)年度の公立学校の廃校の推移は、年間500校前後で推移しており、この間の累計(5,801校)を都道府県別で比較すると、北海道が597校で他の都府県と比べて圧倒的に多く、以下、東京(245校)、岩手(233校)、熊本(232校)、新潟(201校)と続いている。

施設が現存している廃校5,100校のうち、3,587校(70.3%)がその後も活用されているが、活用の用途が決まっていない廃校数も年々増加傾向にあり、調査時点で1,081校(21.2%)が活用されていないのが実情だ。活用の用途が決まっていない理由として、「地域等からの要望がない」「施設が老朽化している」「立地条件が悪い」などの理由が多く挙げられている。

文科省では現在、「みんなの廃校プロジェクト」を立ち上げ、廃校の情報を文科省のホームページに掲載するなどして、民間企業等の活用希望者と廃校を所有する地方公共団体のマッチングを図っており、廃校を地域の拠点にしたり、人が集える場所にしたりして、地域活性化の起爆剤にしようと試みているところもある。

「村」の再評価

9月16日夜に脱東京ビジネス研究会(代表:東大史さん)が主催して開催された「脱東京移住計画~「日本で最も美しい村」連合編」(共催:中小企業庁委託事業シニア等のポジティブセカンドキャリア推進事業)では、同連合に所属する自治体を代表して、群馬県中之条町の元町長でNPO法人ぐんまCSO理事長の入内島道隆さんと、北海道美瑛町東京事務所所長の観音太郎さんが登壇し、廃校の活用策を中心にそれぞれの自治体の取り組みが紹介された。

「日本で最も美しい村」連合は、美しい地域づくりや地域の活性化を推進・支援するために2005年10月に創設されたNPO法人で、「長年の歴史に培われた世襲財産を継承しつつ、次世代の若者たちが働き暮らしていくこと」によって「地域の自立を目指していく」運動と位置付けている。会長は現在、美瑛町の浜田哲町長。同連合に加盟している町村・地域は、2015年3月時点で47町村7地域。同連合の審査基準をクリアし加盟する町村・地域は年々増加している。

こうした運動が繰り広げられる背景には、平成の大合併により日本の「村」が大幅に減少しているという事情もある。

1999(平成11)年度末時点で586あった「村」は、2010(平成22)年度末には184にまで減少。さらに遡れば、1922(大正11)年には10,982だったことを考えると、2%以下にまで減ったことになる。

「村」と聞くと、イメージとしては、「古臭い」「時代から遅れている」「都会から遠く不便」などを浮かべる人がまだまだ多いかもしれないが、最近では、「昔ながらの日本の伝統を残す古き良き場所」「里山が息づく風景」などとして再評価される向きもあり、田舎暮らしや田舎体験ができる場所として人気が高まっている地域もある。

今回登壇した入内島さんも、2004年から12年までの中之条町の町長在任中、周辺自治体との合併協議に際して、市や町ではなく「日本一の村」を目指して合併することを提案したという経緯がある。地域のよさを「村」という形で残そうと奔走した稀有な人物でもある。

アートを活用した地域づくり

入内島さんは、同町を舞台にしたアートの祭典「中之条ビエンナーレ」を2007年に立ち上げ、廃校も積極的に活用するなど、中之条の地域資源を活かしたまちづくりを実践した。入内島さんは、「人口が集積した地域には、3つの歴史がある。1つ目が肥沃な土地、2つ目が交通(情報)の結節点、そして3つ目がクリエイティブ・クラスが集まること」とし、アーティストを招いたり、廃校を有効活用したりすることによって、人と人との交流が活発になると説明した。

入内島さんはイベントの効果として、「2年に1度行われるイベントの準備のために、多くのアーティストが半年ほど滞在している。なかには完全に移住をする人も増えてきた。クリエーターが移住してくることで地域にも活気が出る。よく地域再生が難しい要因として『雇用がない』ということが言われるが、雇用がすべてではなく、アートを通じて地域を再生することも十分に可能だ」と語る。さらに、田舎の都市化を進めようという動きもある中で、「人の居心地がいい場所」となることの必要性を指摘し、「都市化ではなく、田舎化が必要ではないか」と力説した。

企業との連携による廃校の活用

美瑛町の観音さんは、未利用校舎活用事例の紹介を行った。

美瑛町の歴史は、1894(明治)27年、兵庫県人が入植したことに始まる。山形、和歌山、新潟、富山のほか、四国などからも入植者が入り、戦後1950年代には緊急開拓として多くの働き盛り世代が流入。一時は2万2,000人近くの人口を有した。その後は減少の一途を辿り、2015年1月現在で1万593人と半減している。

現在、美瑛町では、1.丘の景観、2.美瑛軟石、3.青い池ーーなどを活用しながら、観光に力を入れているとのこと。2011年度に一旦113万人まで減少した観光入込客数は、14年度に約180万人まで拡大させ、15年度には200万人に達する見込みだという。200万人ともなれば道内トップ10も狙える位置にある(14年度に道内観光入込客数は16位)。

ただし、美瑛町は人口減少に伴い、平成になってから学校の廃校が相次いでいるのが現状だ。土地の特性上沢づたいに集落が形成されていたことや戦後の緊急開拓で人口が急激に増えたことなどで最も多いときに町内にあった24の小中高の学校が、現在は9校まで減ってしまった。そこで美瑛町では、廃校の有効活用を目指し、1994年に旧旭中学校を食品加工会社に売却したことを皮切りに、美術館や交流施設への転用を積極的に推し進めている。

例えば、旧美田小学校は、移住者対策として、農村で「生業興し」を目指す人たちの起業支援や社会的雇用促進を展開する拠点施設「森と農の美田学舎」として活用されているほか、旧北瑛小学校は、主要な丘陵観光ルート「パッチワークの路」のほぼ中心に位置しており、美瑛の魅力の1つである広大な小麦畑もあることから、2014年4月に「北瑛小麦の丘」としてレストランや宿泊もできる施設として生まれ変わっている。

また、美瑛町は、企業との地域づくりの一環で2013年12月にヤフー株式会社との相互連携を実現。ヤフーは美瑛町に対して、旧旭小学校を拠点にした美瑛ベース(地域人材育成研修施設)を利用した企業活動の展開や、IT技術を生かし地域連携による人材育成及び美瑛町の活性化へ寄与を図る一方で、美瑛町は施設の提供や、ヤフーのノウハウやアイデアを活用した協働によるまちづくりを推進したりするなど、相互に連携を行い、社員研修やサテライトオフィスをはじめとして、地域交流、次世代交流、地域事業者との交流などを実行するとしている。

さらに、ヤフーなど異業種5社(アサヒビール株式会社、株式会社インテリジェンス、株式会社電通北海道、日本郵便株式会社)による「地域課題解決プロジェクト」を2014年5~10月にかけて実施し、各社から選抜された20代後半から40代前半の社員が複数の異業種チームを作り、各チームで美瑛町が抱える課題の発見から実施可能な解決策の提案までを行うなど、企業との交流も盛んに行っている。

観音さんは、「美瑛町内外のさまざまな人たちが集い、地域の課題を考える機会を今後も設けていきたい。ヤフーが拠点を置いた旭地区の住民も意識が高まっている」と企業連携を行ったことで地域が刺激を受けていることを指摘。こうした取り組みが効果を上げている背景として「北海道は多くが移住者で作られた土地。他の地域よりは外からのものを受け入れる土壌があるのではないか」と説明する。

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廃校をNPOや企業などの民間に活用してもらうことで、外からの訪問者が増え、新たな交流の場、つまり可能性の場が生まれていく。中之条ビエンナーレのように廃校そのものを活用することも可能であり、美瑛町のように廃校を拠点にして、さまざまな地域の課題解決の場として位置付けることもできる。これは廃校を抱える自治体だけの問題なのではなく、1つの社会問題として考えていくことが必要であろう。広く外からの人材を活用し、既存の地域住民と一体となって進めていくことにより、地域の特性を活かした廃校の利用が広がるのではないかと考える。

脱東京ビジネス研究会では、今月30日にも≪「脱東京移住計画」~群馬県桐生市編~≫を開催。NPO法人キッズバレイ代表理事の赤石麻実さんを招き、「若者・子育て世代のくらし」をテーマに地域経済の活性化を考えるとしている。