伝えていくということの大切さ(高畑紀一)

教訓を活かすことができるかどうか、ということはとても大切です。そしてその前提として、「次世代に伝え続けること」が必須です。
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Mother and her son holding hands together, and watching a big tree.
Kohei Hara via Getty Images

こんにちは、木曜日担当のPlus Action for Children 高畑です。

もうすぐ3月11日を迎えます。

東日本大震災から、丸4年。

多くの方々が、まだその当時の多くの出来事を鮮明に記憶しているのではないでしょうか。

当時、幼稚園児と小学生であった息子たちも、まだ当時のことをはっきりと覚えているそうです。

一方、阪神・淡路大震災からは20年が経過し、当時を知らない世代も増えてきて、また記憶も徐々に薄れつつあることが指摘されています。

私自身は成人していたこともあり、横倒しとなった高速道路の高架や、神戸の市街地から上がる黒煙、横倒しとなったビルなど、未だに鮮明に思い出すことができますが、震災後に生まれてきた息子たちは、「たまにテレビで観る遠い過去の出来事」と思っているようです。

私は1971年の生まれですから、息子たちにとっての阪神・淡路大震災がそうであるように、関東大震災などは、たまに報道で目にしたり、大人から話を聞いたり、学校の社会科の授業などで触れる位で、「遠い過去の出来事」と感じていました。

「ああ、そういうことがあったんだな」という印象にとどまり、自らの身にも起こりうる、当事者となりうるとは想像できませんでした。

そして、漠然と根拠無く「当時と今は違う。科学も工学も発達し、当時と同じような被害は被らないのではないか」と思い込んでいたような気がします。

私の父は、独身時代にチリ地震による三陸津波を経験しています。教師として岩手県沿岸部の都市に赴任していたのだそうです。

津波が来たときには海のそばにいて、あわてて高台に逃れて九死に一生を得た、としばしば話してくれました。

「津波っていうのは、普通の波とは全然違うんだ。津波から走って逃げられるなんて思うなよ。津波が来ると思って、海岸から遠く、高いところに逃げるんだ」と、最後はいつも注意を促していました。

東日本大震災では、津波による甚大な被害が生じました。

チリ地震による三陸津波の経験を活かせた部分も、残念ながら活かせなかった部分もあったと思います。

私自身が、震災時に被災地に居たらどのような行動をとったのか、考えても答えはでてきません。

父の世代から伝えられた教訓を活かせたのか、はたまた活かすことができなかったのか。

教訓を活かすことができるかどうか、ということはとても大切です。

そしてその前提として、「次世代に伝え続けること」が必須です。

私たちは、過去の苦い経験を次世代に繰り返させないためにも、教訓を活かしてもらうためにも、伝え続けなければならないのだと思います。

予防接種と感染症の歴史においても言えることであり、ワクチンの開発と予防接種制度の充実により、過去に人類を苦しめた感染症のいくつかが日常的にはあまり目にすることが無いほどに排除されています(天然痘は撲滅されました)が、そのことが結果としてその感染症の怖さを知らない、という状態につながっています。

年配の方々からは、「夏休みがあけると、登校してこないクラスメートがいるんだよね。何故だと思う? 日本脳炎に罹って命をおとしたからなんだよ」という話を聞く機会があります。

また、麻しん(はしか)で幼い兄弟を亡くした、という辛い経験をお話ししていただくこともあります。

私にとって、日本脳炎は知人で罹患した人が居ない疾病ですし、麻しんも、命を落とすほどの疾病だという印象は実感としてはありません。

しかし、衛生環境の改善や医療・予防接種の充実などでこれらの感染症が排除されつつある恩恵を受けているだけであり、これらの感染症による脅威は、依然として私たちの身近にあるのです。

私たちはどうしても、直接的に目にしたもの、経験したものは強く印象に残るものの、そうではないものについては、ついつい忘れがちであったりします。

これは人間という生物の性質上、避けられない現象なのでしょうが、だからこそ、繰り返してはいけない苦い経験・体験を、次世代に伝え続け、意識の中に置きつづけて教訓としていかせるようにしていかなければならないのだと思います。

子どもの頃に大人たちに聞かされた戦争の話、震災などのこと、当時の私は「つまんない話しだなぁ」なんて、今思えばとても不謹慎なのですが、感じていました。

しかし、大人となった今では、それらの話から得られた事柄がとてもとても大切なことだったのだと、実感したりしています。

子どもたちにとっては、辛く暗い過去の話はあまり面白くないものでしょう。

けれども、自分自身がそうであるように、彼らが生きていく未来において、それらの教訓が活かされる場面がやってくるかもしれません。

毎年この季節になると、改めて「伝えていくことの大切さ」を再確認させられます。

私も息子たちに、「つまらないなぁ」と思われても良いので、伝えていきたいと思います。

木曜日担当・高畑紀一@一般社団法人 Plus Action for Children

2004年、当時3歳だった長男がインフルエンザ菌b型(Hib/ヒブ)による細菌性髄膜炎に罹患、「今晩一晩が山」という状況に陥る。

幸い、奇跡的に回復することができ、「運悪く稀な病気に罹り、運良く回復できた」と考え、それ以降は病気のことを考えない、思い出さないようにして日々を過ごす。

その後、ヒブによる細菌性髄膜炎がワクチン(ヒブワクチン)で防ぐことができる疾病であること、2004年当時、既に多くの国々でヒブワクチンが導入され子 どもたちが細菌性髄膜炎から守られていたことを知り、「運悪く稀な病気に罹った」のではなく、ワクチンで防ぐことのできる疾病から守ってあげることができ なかった、自分自身を含む大人たちの不作為で生死の淵を彷徨わせたのだと後悔する。

この経験をこれ以上、繰り返さないため、ワクチン後進国と揶揄されるわが国の状況を改善し、子どもたちがワクチンで防ぐことのできる疾病から守られる環境を整えるため、活動に参加。

その後、ワクチン・予防接種だけにとどまらず、子どもたちを取り巻く環境を改善するため、そしてそのために行動する大人を支援するため、「一般社団法人 Plus Action for Children」を設立、現在に至る。

(2015年3月5日「ムコネットTwinkle Days 命耀ける毎日」より転載)