「コミュニケーションが成り立たない」を越えていく力

「コミュニケーション能力の高い人物像」を想像してみると...残念ながらそんなパーフェクトな人にはなかなか出会わないのが現実だ。ではどうするのか。

コミュニケーション能力=「上手く話す能力」!?

「コミュニケーションのお仕事をされているんですか。素晴らしいですね。私はコミュニケーションがどうも苦手で...ぜひ今度教えていただきたいです」

プライベートで知り合った人と名刺交換をしたとき、こんな言葉をいただくことがある。

そんなとき相手は大抵、名刺にある「コミュニケーションコンサルタント」という肩書を見て、私のことを「話し方の講師」だと思い込んでいる。

でも実際のところ私は、初対面の人と話したり大勢の人の前で話したり、とっさのタイミングで気の利いたことを言う...といったことはあまり得意ではない。普段手掛けている仕事は、組織内の情報伝達を最適化するためにメディアやコンテンツを設計し、伝えるべき情報を整理して主に文字やビジュアルで伝えること。

名刺の肩書きには続きがあって、本当は「コミュニケーションコンサルタント/コンテンツプランナー」だ。「コミュニケーション」という言葉から発想するものは人によってさまざまで、扱いの難しい言葉だなといつも思う。

経団連による「2016年度新卒採用に関するアンケート調査結果」を見ると、企業が新卒社員を採用する際「選考にあたって特に重視した点」のトップは13年連続で「コミュニケーション能力」なのだそうだ。しかも、2001年に「コミュニケーション能力」を最も重視すると答えた企業が50%程度だったのが、2016年には87%まで上がっている。

企業がそれほどまでに求める「コミュニケーション能力」とは一体どのようなものなのだろうか。

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「コミュ力高い人」を想像してみる。

巷にあふれるビジネスノウハウ本を参考に、「コミュニケーション能力の高い人物像」を想像してみよう。

明るく社交的で、誰に対しても元気に挨拶をし、人の話をしっかりと聞いて理解し、要点を絞った話ができ、気の利いた雑談で場を和ませ、相手のちょっとした変化にも敏感に気付き、相手の立場に立った提案ができる。場をわきまえてふるまうことができ、相手を立てて人間関係を構築し、完璧な根回しをしながら仕事を進めることができる。

和を乱すことなく、言いにくいことも相手を嫌な気持ちにさせず上手く伝え、時には毅然とした態度で交渉しこちらの言い分を通すことができる。ロジカルに話を組み立てつつ、ビジュアルを生かして右脳に訴えるアプローチでプレゼンテーションすることができる。

さらに欲を言えば語学に堪能で異文化に理解があり、相手のバックグラウンドに合わせた対応ができる。

残念ながらそんなパーフェクトな人にはなかなか出会わない。

実際に周囲を見回すと、

「立て板に水のように話して相手をひきつけるが、メールの文面は誤字脱字だらけ」、

「立場の高い人への対応はパーフェクトだが、部下からの信頼は薄い」、

「明るくフランクで行動的。同じタイプの人間とはうまくやれるが、タイプの違う人がチームにいると対応を間違えて、相手のモチベーションを下げてしまう」、

「文章で伝えることは得意で、緻密かつ正確な仕事をするが、人前で話すことが極端に苦手」

など、デコボコなのではないだろうか。

そんなデコボコな人たちが個々の良さを認めてチームワークを発揮すれば、お互いの苦手を補いあって全体として力を発揮することができる。しかし同じメンバーでも悪い点ばかりを見ていれば、お互いに否定しあってチームが崩壊し、「こんなことなら1人でやった方がよっぽどましだ」となることもあるだろう。

コミュニケーションのプロフェッショナルとは

ビジネスからやや遠い場所で「私たちはコミュニケーションのプロフェッショナルとして社会に貢献する」という言葉を聞いた。知的障害者の就労支援や生活支援を行う社会福祉法人の職員の方が、同法人の理事が常日頃職員に語っている言葉として教えてくれたのだ。

福祉の現場で働く人たちは、世間でいう「コミュ力高い」のイメージに合う人ばかりではない。決して華やかな仕事ではないし、仕事がきつく待遇が見合わない職場、というイメージもあるだろう。しかし、職員の方々の話や行動の端々からは、仕事に対する使命感やプロ意識が伝わってきて、いつも身が引き締まる思いがする。

福祉の対象となる方は本当にさまざまで、意思伝達するための身体機能が極端に限られていたり、行動や感情に偏りがあったりして、決してマニュアル通りの対応はできない。相手の声なき声に耳を傾け、相手の特性をつかみ、良さを生かして少しでも日々を快適に過ごし、社会に参画できるよう支援する。

そこで鍛えられる「相手の状態を読み取る」、「相手が理解できるように伝える」、「相手の良さを引き出す」といった能力は非常に高度なものだ。

そこで、前段の理事の言葉につながる。

地域社会にはさまざまな人が住んでいて、中には癖のある人がいたり、価値観や利害関係の異なる人どうしがお互いの言い分を主張してトラブルが起こったりすることもある。そんな時に間に入って話を聞き、本質をつかんで、お互いをつなぐ。それがコミュニケーションのプロフェッショナルとして自分たちが社会に貢献できることではないか、というのだ。

目から鱗だった。

「さまざまな人がいる」というのは地域社会だけでなく、その縮図である職場も同様だ。

かつて終身雇用が基本で、「専業主婦の妻がいるサラリーマン」が主流だった時代の職場とは異なり、今後の少子高齢化、進むグローバル化の中で、職場における人材の多様性はますます高まっていくと考えられる。

「あうんの呼吸」「ツーカーの関係」はなかなか望めず、仕事を進める中で「自分にとっての『当たり前』が通用しない」「コミュニケーションが成り立たない」という場面に直面することも増えていくだろう。

しかし「価値観が異なる」「理解できない」といって異質な人材を排除し、同質性の高い人ばかりを集めるのは困難だし、人材の同質性が高まれば企業の可能性を狭めるリスクにもなりかねない。

マネジャー層はもちろんのこと、現場の従業員に対しても「自分が力を発揮する」だけではなく「チームとして力を発揮する」ために、「多様性を理解し、受け入れる」「相手の良さを生かしてチームとしてのパフォーマンスを高める」といった個々のリーダーシップを発揮することが重要視されるようになるのではないか。そんな時、ビジネスノウハウの本や講習だけでなく、福祉の現場から学べるコミュニケーションのヒントも沢山あるかもしれない。

Text by Seo

2016年12月14日 Sofia コラムより転載