「許される拷問などあるのか?」 自民党憲法改正案の36条めぐって熱い議論に【争点:憲法改正】

日本国憲法36条「拷問及び残虐な刑罰の禁止」の条文から「絶対」が消えることの是非やその意味をめぐり、たくさんのコメントが寄せられたのでご紹介したい…
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A man visits Tuol Sleng genocide museum in Phnom Penh, 26 June 2006. Twenty-seven years after the fall of the genocidal Khmer Rouge, judges will be sworn on 03 June to a joint UN-Cambodian tribunal in a symbolic start to the prosecution of the regime's surviving leaders. The swearing-in is a 'significant and important event... to show that the legal process of the trial to try former Khmer Rouge leaders is taking place,' the tribunal's spokesman Reach Sambath said. AFP PHOTO/ TANG CHHIN SOTHY (Photo credit should read TANG CHHIN SOTHY/AFP/Getty Images)
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条文から「絶対」が消えた時、何が起こるのか---。

自民党が発表した「日本国憲法改正草案」の第36条「拷問及び残虐な刑罰の禁止」で、現行憲法の条文から「絶対」の言葉が消えていることをハフィントンポストが6月20日に報じたところ、改正案の是非をめぐり、コメント欄では「許される拷問などあるのか?」などと熱い議論がわき起こっている。どんなやり取りがあったのかを、以下にまとめてみた。

(原文の文意を損ねない範囲でコメントを編集しています。ご了承ください)

■「許される拷問」などあるのか?

戦争では自らの命を守るために相手を殺すことが当たり前。兵士を戦場に送りこむような状況下で「人権を守れ」と叫んでみても始まらないがだからといって戦争状態を想定して憲法をつくるバカはいない。テロとの戦いは戦争と同じ。たとえ「拷問は絶対に禁止」と定めていても10万人の命を救うためにそれしか方法がなければ拷問が許されないわけがない。

というcelttyさんのコメントから議論が始まった。「10万人の命を救うためにそれしか方法がなければ拷問にかけることも許される」という主張に対して、賛同や反論が寄せられた。

賛同のコメントには以下のようなものがあった。

想定されるのは、東京のどっかに核爆弾をセットした。24時間後に爆発する。実行犯は確保したけどなかなか白状しない。こういった状況じゃないでしょうか。こういう状況なら、結構な割合で拷問OKって人がいそうに思います。(avenoさん)

これに対し、「拷問から得られる情報の信頼性は低い」などの反論があった。

「たとえ『拷問は絶対に禁止』と定めていても10万人の命を救うためにそれしか方法がなければ拷問が許されないわけがない」もともと拷問という情報を得る方法があるという考え方が間違っています。拷問されたら、拷問されている人が拷問している人の欲しがっている情報を知らなくても、痛みを止めるために、なんでも言い出します。想像上の情報を含めて。拷問から得られる情報の信頼性はかなり低いので、拷問しか無い場合は、何も方法がないのと同様です。

(luinilyさん)

もし、あなたが冤罪で逮捕され、拷問されて、罪を認めない自信はありますか?拷問を許せば、密室の取り調べでいくらでも、本当でも虚偽でも自白は得られるでしょう。無実の罪で責められた場合、誰が責任を取るのでしょうか?

(hayabusa2さん)

「許される拷問」が議論されるのなら、「許されるテロ」も議論されるべき。アンフェアだ。ということになるので「絶対」という文言は必要なのだ。そうでなければ自国民に対する、国家テロに対してその国民はどのように戦えばいいのだ。

(east herbertさん)

■文言の統一に過ぎないのではという意見も

文言から「絶対」が抜けることで拷問禁止を厳密に定めた条文に穴を空けてしまうのではないかという危惧がある一方、「単に文言を統一しようとしているだけなのでは?」という反対意見もあった。

現在、国連の拷問禁止委員会では、英国の拷問に関する法制が問題となっているが、これは1988年の改正刑事裁判法において「正当な権限、理由又は根拠があれば」拷問が必ずしも禁じられないという回避条項が設けられまた適用されているからだ。もし仮に、日本でも類似の理由で拷問が「必ずしも禁止されない」という法律が制定及び適用されるならばそれは大問題だが、憲法上で明確に「禁止」と定められているのだから、他の禁止条項同様に、例外を設ける法的根拠とはならないと思われる。

(givingtree intlさん)

草案の他の部分で大きく手を加えていることと比較すれば単に文言の統一だろうと思うのですが。

(Narderさん)

「絶対に」という副詞がつくかつかないかで、「禁止」という言葉の意味は変わらないのだから。その強調性の議論は、文章にするときに、日本語学者に解釈してもらうレベルの話では?「絶対に」を取ったから、即拷問につながるという発想は、憲法改正を唱えれば、即戦前の日本に戻る的な発想と似ている気がします。憲法においてはもっと大事な議論がある。

(kapibaraさん)

この改正案自体は、「敢えて付ける必要のないものを取っただけ」というように私は感じます。もし何か実際の意図があるのなら、状況に応じて「拷問及び残虐な刑罰」が必要ということなのでしょうが、それを可能にするなら、まず先に司法取引の制度について議論すべき。(Bagholderさん)

☆引き続き、みなさんからのご意見お待ちしています。

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