釜山の日本総領事館前に旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する少女像が設置された件で、韓国政府が苦しい立場に立たされている、と報じられている。
ロイター 2017年1月6日
日本側は対抗措置として、(1)在釜山総領事館職員による釜山市関連行事への参加見合わせ、(2)駐韓大使や在釜山総領事の一時帰国、(3)日韓通貨スワップ取り決め協議の中断、(4)日韓ハイレベル経済協議の延期、を打ち出した。かなり強い対応といえよう。
Yahoo!ニュース 2017年1月13日
この記事に出てくる韓国外交部の尹炳世長官の発言はどうにも苦しそうで、政府間合意と国内世論との板挟みになったご苦労が偲ばれる。先の日韓合意で少女像の撤去は韓国政府側の少なくとも「努力義務」にはなっていたわけで、日本政府の菅官房長官は「引き続き、少女像の問題を含め、日韓合意の着実な実施を韓国政府に求める」といわば突き放した格好だ。
確かに「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認」したはずなのに、というのは自然な感想だろう。日本側は合意に基づく10億円を拠出した。合意を破棄して10億円を返せ、という主張も韓国内ではあるようだが、自分たちから言い出して「不可逆」という文言を入れさせた韓国政府としてその主張に乗ることは難しいだろう。「ゴールポストを動かすのか」という批判はかねてからいわれている。
とはいえ、だ。以上を前提としてだが、このまま「突き放した」状態を放置するべきではない、と思うので、できるだけ手短に。
いわゆる従軍慰安婦問題は、特に被害の大きかった韓国と中国が強く主張し、ことあるごとに持ち出して日本政府を責め立てる材料に使ってきた。一方これに対し日本政府は、「何度も謝罪した」「賠償問題は解決済み」「強制連行の事実はない」として反論している。たまに新しいネタも出てはくるが、ざっくりいえば互いの主張は既に尽くされていて、議論自体は膠着状態にあるといっていい。
一方で慰安婦だった方々は高齢化していく。早くなんとかしないと間に合わない、主張を一部枉げてでも、というのが合意の趣旨だったのだろうと思うが、それが韓国側がいわば蒸し返したわけだ。選挙をにらんだ動きという側面もあろうが、このままいけば、また同じような膠着状態に陥り、そして救済は「時間切れ」になってしまう。合意への反発は少なからぬ人々の意見を反映してのものだろうから、韓国世論に「自粛」を求める、というのも期待できない。
だからというわけではないが、日本側で何かできることがあるのではないか、と思う。韓国側の動きに反発する人も多いだろうから、何をいってるんだお前は、とも言われるだろうが、先方に迎合せよ、という話では必ずしもない。
よく講演のあとの質疑応答などの際、的外れ、筋違いの批判が来た場合の対応として、「批判者にではなく、聴衆全体に向かって答えよ」というのがある。1対1の応酬に陥るのではなく、筋道に沿った対応を全体に対して行うことで、流れをコントロールしようということだが、それと少し似ている。私たちが意識すべきは、既に議論を尽くして膠着状態になっている相手ではなく、国際社会の目だと思う。
その視点からみると、慰安婦問題というのは、かつて旧日本軍や当時の日本人が何をしたかという問題であると同時に、治安の悪化した地域などで頻発する性暴力やヒューマントラフィッキングなど、女性を苦しめている「今そこにある」人権問題と地続きととらえられている。
少なくとも韓国に関していえば、もともと慰安婦が問題になる前は「キーセン観光」が問題視されていた。ヒューマントラフィッキングについては、たとえば米国務省の2016年のレポートでは日本はTier 2 (人身売買撲滅のための最低基準を十分に満たしていないが、満たすべく著しく努力している国)に分類されていて、「Japan is a destination, source, and transit country for men and women subjected to forced labor and sex trafficking, and for children subjected to sex trafficking.」と書かれている。
慰安婦のことを「sex slave」と表記する場合があって、日本側は反発しているが、このような表記に「現代の視点」が含まれていること、すなわち、この問題は現代の問題意識をもって対処すべきであるという認識があることをもっと重く捉えるべきだろう。
こう考えると、日本が国際社会に向かって主張すべきことは、「韓国は国際合意を守っていない」でも「強制連行はなかった」でもない。日本はかつて行ったことの反省に立ち、戦後は一貫して女性の権利を守り、女性に対する人権侵害に立ち向かう活動に取り組んできたしこれからもそうしていく、という姿勢ではないかと思う。
そこでだが、件の「少女像」について、1つ提案したいことがある。しかるべき場所に、日本政府の手で、「少女像」に代わる、女性の人権保護を訴える像を設置してはどうだろうか。
「しかるべき場所」はどこなのかという問題はあるが、たとえば韓国内の日本大使館や領事館の敷地内でもいいし、別の国、たとえば英国やオランダ、あるいは米国でもいい。もちろん日本国内でもいい。何なら釜山の「少女像」を撤去した跡地、もし納得が得られないならその隣に設置したいと言ってみてはどうか。
それは、「強制連行」され慰安婦にされた韓国人女性を象徴するものでもあろうが、それだけではない。
経済的事情から身売りした日本人女性かもしれないし、業者に騙されて慰安婦にさせられた中国人女性かもしれない。あるいはベトナム戦争時に韓国軍兵士が行った性暴力のベトナム人被害者女性かもしれないし、沖縄駐留米軍兵士による性暴力で傷ついた日本の少女かもしれない。またはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時の「民族浄化」で性暴力の犠牲者となったムスリム女性かもしれないし、今この瞬間にもミャンマーやIS支配地域で続く性暴力の被害者かもしれない。
もちろん人身売買の犠牲者となっている世界中の女性たちも入る。「少女」の像である必要は必ずしもない(年齢で差別するのもどうかと思う)が、弱者の象徴としての少女というのも表現としておかしくはない。
過去から現在まで、こうした事例は数多くある。慰安婦問題について「他の国でもやっていた」と発言して炎上した人がいたが、それは言外に「だから日本だけ悪くいうな」という本音が透けて見えたからだろう。そうではなく、世界中にあるこうした問題すべてを日本は深刻にとらえ、対処していく、というメッセージを発信し、実際にそう行動していくのだ。
少女像に反発する人たちも、こうした世界各地で犠牲になった、あるいはなり続けている女性たちの問題について、何の問題もない、何もしないでいいとは思わないだろう。そういう位置づけの像で、かつ日本人自身の手で設置するのであれば、反発する理由があるとは思えない。
問題は強制連行があったかどうかではないし、韓国や中国に限った話でもない。相手が約束を守らないからとへそを曲げてそっぽを向いていればいい話でもない。より高い視点でとらえ、前向きに対処する態度を打ち出すことでしか、慰安婦問題を政治的外交的に利用しようとする動きには対処できないだろう。未来志向とはそういうことではないかと思う。
(2017年1月14日「H-Yamaguchi.net」より転載)