【ケルン集団暴行事件】毅然とした対応を取らないのは左派の自滅行為だ

リベラル派は鏡をのぞいて自分を見る必要がある。
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ロンドン―― シリアのアサド政権軍に包囲され、補給路を絶たれたマダヤの町の衰弱した人たちの写真を見て、どれほど多くの人が息を飲んだだろうか? シリアの人道的危機は相変わらず絶望的な状況にあるが、ドイツ・ケルンで大晦日に難民とみられる集団による性的暴行事件が起きてからは、ヨーロッパ全土は右派の大衆主義者による「難民を歓迎しない」感情が勢いを得ているようだ。

1月11日には、スウェーデンのストックホルムで起きた集団による性的暴行が、右派の反発を恐れたスウェーデン警察によって隠ぺいされた疑惑が持ち上がった。ニュースのグローバル化がどんどん進むれている現在に於いては、特にドイツのようなヨーロッパ連合(EU)の国のこととなると、「彼ら」の問題はドイツ国内の問題だけでなく、「私たちの」問題にもなりえる。ヨーロッパのどこであっても、「偏見をもっている」と右派を糾弾するだけでは人々の高まる恐怖心を鎮めることも、議論に勝つこともできない。リベラル派は鏡に向かい、自分を見つめる必要がある。そして、ある程度の妥協をしなければならない。

ケルンの事件が1週間近く経ってから報道されたことで、警察や政府が事件を隠ぺいしたとする非難が、陰謀論のような最悪の様相で広がってしまった。残念ながら、それが何故なのかを理解するのは難しいことではない。女性や10代の少女たちが、大勢の「アラブや北アフリカ出身のような外見」の男たちによって組織的な攻撃をうけたと証言した。女性たちを集団でとり囲み、掴んだり激しくまさぐり、彼女たちの体にはアザが残った。

しかし、当初の報道発表で警察は、その晩は「何事も無く過ぎていった」と主張した。その後、事件が発覚。亡命希望者が関わったという証拠は何もないと繰り返される日々が続き、ケルン市長のヘンリエッテ・レーカー氏は、難民が関わっていることをほのめかすことは「容認できない」とさえ言い切った

7日に発表された国際警察の報告書の情報を入手したとするドイツの週刊誌「シュピーゲル」は、暴行犯の一部が自分たちはシリア難民であると断言したことが報告書に暴露されていると報じた。一人は警官に向かってこう言ったという。「丁重に扱ってくれよ。メルケルさんが俺を招待してくれたんだからな」。別の男は居住許可証を警官の目の前で引き裂き、「お前らは俺に何もできないぞ。明日また新しいのが貰えるんだから」と挑発するように叫んだ。

私たちは事実に向き合わなくてはならない。事実とは例えば、危険で好ましくない人々が、きちんとした保護を受けるべき難民たちに交じってEUに入る道を見つけてしまうだろうということなどだ。

ケルン事件がドイツで明るみに出た後、イギリスでは右派のメディアだけが、嫌々ながら報道を始めた。警察報告が信憑性を与えたように見えたからだろう。

私たちリベラル派はよく、こういう「無実の難民の中に、腐ったりんごが混じっている」という話を、無視したがる。一部では、さらに日がたってようやく、「移民が関わっているかどうか、本当は誰も知らない」という調子に終始した、左寄りの記事が見られた。多分これは、外国人嫌いが飛びつきそうな類のことだからという理由で、左派の多くは触れたがらなかったためだろう。しかしこれは、少数派や、あるいは、ワンパターンで政治的な同族意識へ、配慮したからなのだろうか?

普段は意見を述べることを恐れない人々が、政治的正しさという理由から警察に情報を提供するの恐れると、健全性が置き去りにされてしまうことを私たちは知っている。こういった曖昧さは、非常に危険だ。真犯人を見つけることを難しくしてしまうだけでなく、分別のある人々を左派から離れさせ、結果、彼らは右派の大衆迎合主義の腕の中へ落ちてしまう。

現在、ドイツ警察はこれまで取り調べを行った人々の半分以上が難民であると公表し、右派は勝利のダンスを踊っている。コメント欄をスクロールしていくと、増え続ける「EUから退去しろ」という要求の中で、「好ましからざる人物」として左派を意味する「Libtards(リベラルと称する間抜け)」や「the left(左)」の言葉が見つかるだろう。

そしてアメリカの読者はこれがまさしく、トランプとその取り巻き連中が付け入るような、「ヨーロッパが脅される」という意見に持ってこいな話だ。9日にケルンで抗議を行っていた反人種差別主義者の言葉で言えば、「チャレンジにオープンであって欲しい。私たちを『保護しても』意味がないんです、それでは人種差別がさらに悪化するだけです」ということだ。

率直に言って、左派の私たちは目を覚まし、世界をありのままに言い表そうとしなければならない。事実に向き合うと、例えば危険で好ましくない人々が、きちんとした保護されるべき難民に混じってEUに入る道を本当にみつけてしまうだろう。そうではないにしても、近い将来、移民反対派の言い分を煽ろうとする右派だけでなく、私たちの公共サービスを張り切って解体するような人々に支配される可能性に直面するかもしれない。

右派の大衆迎合主義は、リベラル派の原則のために立ち上がることにすらしょっちゅう失敗している曖昧なリベラル派を、イデオロギー上のおあつらえ向きのサンドバッグと考えている。ケルンの件では、被害者批判とでも呼ぶべきものさえ目撃した。ケルン市長のレーカー氏は女性に、男性から「腕の長さ以上、離れていること」を含む、公共の祝祭イベントの場での「行動基準 」をアドバイス。「お祝いムード」でいることにさえ警告した。イギリスの民放「チャンネル4」が放送したインタビューでは、あるチュニジア人難民が真面目くさった顔で、「難民のせいじゃありませんよ。そこにいた難民の中の数人が犯人だっかもしれません。合法的な仕事を見つけるまで半年や1年待てなんて言う、ドイツの法と官僚のせいです」と答えていた。おいおい、ちょっと待ってという感じだ。

右派の大衆迎合主義は、リベラル派の原則のために立ち上がることにすらしょっちゅう失敗している曖昧なリベラル派を、イデオロギー上のおあつらえ向きのサンドバッグと考えている。

最近、私の知人の2人の活動家が「少しだが、ドイツは国境を閉じた方がいいのではないかと考えさせられた」と認めた。彼らは、移民関連の仕事から戻ってきたばかりだったが、前線で時間を過ごしたことで、そう感じたのだという。彼らが見たほとんどの移民は、本当の難民ではなかったと彼らは言った。そして私を見ながら、私が彼らのことをナチスだと糾弾するのではないかと思っているようだった。

これは驚くことも無い話だ。ニュアンスや実際的な考え方が、このデジタル時代のイデオロギーの塹壕では、ますます厄介になっている。ツイートやインターネット上のコメント欄で常に簡潔さが求められるがために、認識違いが生じるのはよくあることだ。「あなたはこう考えているのだから、それならああいう風にも考えているに違いない」。この現象は、抑制された討論や左派の中での意見の相違、デジタル時代の反共産主義のようなものを含んでいる。

こういうものが公共サービスや民主的権利を守る非常に政治的な団体から、人々を遠ざけてしまう。例えばあなたが「性的暴行を行う亡命希望者は、国外退去にすべき」と提案したとすると、すぐさまヒトラーと比べられ、為す術も無く非難の的にされるだろう。個人的には私は絶対に政治的中心地の左にいて、反難民感情への危惧を共有しているが(「えり好みおばさん」と呼んでくれてかまわない)、私たちの故郷のイギリスにトーストとお茶を楽しみに入ってくる性犯罪者には、私は線引きをして歓迎しない。

先週、女性と子供を含む4万人のシリア人がアサド政権の戦争によりマダヤに足止めされ、飢餓で死んでしまうので最後の手段として草を食べていると報じられた。しかしここで疑問が湧く。罪のない何千人という難民希望者たちは、余りにいき過ぎたリベラル派のアポロジズム(「言い訳」主義)に対する右派の連続攻撃さえ差し迫っていなければ安息の地を与えられるのに、その難民を救おうとしているヨーロッパの規範や法律を愉快そうに馬鹿する気満々の若者をどう隠すのか?

例えば、性的暴力で有罪となった難民の国外退去を命じられるようメルケルが権限強化を図ろうとすると、左派の一部は「大衆迎合主義の圧力に頭を下げた」と認識した。しかしメルケルは正当ではないのか? 私たちが、移民が恐ろしいケルンの襲撃事件に関わったとするこの痛ましい、しかし信用できる報道に正面から向き合うことに消極的だったために、難民に安らげる場所を与えることを全否定した人々を、私たちは知らず知らずのうちに支持してしまったのだ。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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