こんにちはー。
縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。
ブラック部活という実態を紹介する記事がありました。理不尽な上下関係、根性論の指導で苦しむ子どもを紹介しています。
顧問らが部員に言う常套句は「俺らの時代はもっとひどかった」だった。
理不尽を強いられても我慢するのが、いまだに部活の美徳になっている。
顧問との話し合いを勧めても、「意見なんて言えない。逆らえば怒鳴られる」とうつむいた。
大学の同級生には「強豪校」から進学した人が大勢いました。なかにはこうした「理不尽」に耐えて強くなった選手もいたことでしょう。
またこの記事に反論して、部活はそんな「美談」だけで片付けられない!と主張する人もいます。
人間の成長には自分の思い通りにならない経験や多少の理不尽さを経験する時期が必ず必要です。
部活はブラックに決まってるんです!
覚悟して腹をくくって取り組みましょう。
みなさんはこの二つをどう考えますか?
自分は、もういっその「部活」というシステムを撤廃しちゃえばいいと思うのです。なぜなら日本独特の「部活動」という仕組みが、いくつもの弊害を生んでいるからです。
スポーツの二極化を助長する
あなたの学校には、何の部活がありましたか?
出身校にはお馴染みの「野球」「サッカー」「テニス」なんてのがありました。でもこの中に「縄跳び部」は存在しなかったんです。自分は高校から縄跳び競技を本気でやりましたが、全て外部で練習をしました。
このように大多数の学校には「メジャースポーツ」の部活はあります。でもマイナースポーツはほとんど無い。するとこの段階で種目間の競技人口に開きが生まれるんです。
学校に部活があれば黙っても人が増えます。マイナースポーツが必死に競技人口を増やそうとしても、部活に機会を奪われてしまうのです。
子どもの選択肢を狭める装置
一つの学校内でそこまで選択肢を増やすことはできません。顧問の先生にも施設にも限りがあります。つまり、知らず子どもの選択肢を狭めるコトになるんですよ。
選択肢がいわゆるメジャーなものしか無い。すると無意識にその中から選ぶことになる。でも実際に部活で取り上げる種目なんて、世の中にあるスポーツの一握りに過ぎません。もしかしたら別の種目で才能を発揮したかもしれないのに、部活に縛って選択肢を奪うことになるのです。
こんな考え方もできます。
野球が大好きな「A君」が進学したのは、県内でも指折りの強豪校。ただ残念ながらA君はそこまで上手ではありませんでした。でも野球を楽しみたい思いで部活に入りました。
するとどうでしょうか?部活に入ったA君は上手な同級生に追いやられてプレーをさせてもらえません。野球が好きなはずのA君は、学校内で「野球部」があるのに野球をする機会から弾き出されてしまうのです。
スポーツは「勝ち負け」や「勝利」を目指すだけじゃありません。同級生と一緒に汗を流して楽しみたい。部活はそんな選択肢を簡単に奪っていきます。
地域に子どもを返そう
いま、地域スポーツにほとんど中高生がいません。部活に行ってしまうからです。裏を返せば、部活があるから地域から中高生が居なくなってしまったのです。
もっと、地域に子どもたちを返すべきではないでしょうか。
地域スポーツでも本格的に競技に取り組む団体があります。そこに入れば部活でなくても競技力を伸ばすことができます。
また地域クラブならではのメリットもあります。
たとえば部活だと「中学生が大学生と試合」というのは簡単に実現しません。でも地域スポーツの場であれば可能性が生まれます。自分は卓球部だったんですが、やはり強い人と練習するほうが上達します。
また多様な年齢層に囲まれて練習をするので、部活のような閉じたコミュニティーよりも人間的な成長を図れます。また選択肢の範囲が「地域」なので、仮にコミュニティーに合わなければ別の場所に移動すればいい。
部活は原則として種目で単一の選択肢です。でも地域クラブは同じ種目でも複数存在します。指向性、年齢層、活動地域などを考慮して「所属したいクラブ」を選べば良いのです。
このように、違う年齢層と一緒に活動をする「地域クラブ」のメリットはいくつもあるのです。
おわりに
日本の競技スポーツは「部活動」によって支えられています。高校野球や高校サッカーのトップ選手がプロ入りする流れも、いまでは一般的になりました。
高校卒業と同時にプロ入りするのは個人の自由です。しかし未来の競技者養成の役割を「学校」の部活動に与えるのは違うと思うのです。他の種目でも「競技志向」が強くなり、部活の勝敗ばかりに注目が集まります。
スポーツは上手な人達だけのものじゃありません。仲間と楽しむスポーツだって良いじゃないですか。
強くなりたい人は、そういう地域のチームやクラブに入ればいい。楽しみたい人もまた、そういう地域クラブを選べばいい。
そろそろ、学校の部活動システムに限界が来ているのではないでしょうか?
(2015年11月1日「なわとび1本で何でもできるのだ」より転載)