The New England Journal of Medicineという総合医学雑誌がある。臨床医学界のNatureというと語弊があるが、医師なら誰でも知っている超一流誌だ。2015年の7月に面白い記事がでた。それによると、米国で「リテールクリニック(Retail Clinic)」と言われるコンビニクリニック(Convenient Care Clinic: CCC)が急激に増加しているらしい(N Engl J Med. 2015 Jul 23;373(4):382-8.)。
Retailは日本語で「小売店」のことを指す。米国でのリテールクリニック第一号店は、2000年にミネソタ州ミネアポリス・セントポール都市圏にあるCub Foodsというスーパーマーケット内に出来た。リテールクリニックはこのように、食料品店や薬局の中に間借りして診療を行い、大手薬局チェーンのCVS、Walgreens、Targetや大手食料品店チェーンkroger、といった企業が運営母体となっている。
日本でも有名な食料品店、ウォルマートもリテールクリニック事業を始めている。メイヨークリニックという全米トップクラスの有名ブランド病院も、ウォルマートの中にリテールクリニックを設立した。リテールクリニックは2006年には全米で200店舗しかなかったが、2014年には1800店舗を超え、900%という驚異の増加を遂げている。
リテールクリニックの特徴はまず、上記のような特殊な立地が挙げられる。薬局や食料品店などの中にあり、日常生活の中で気軽にアクセスしやすいのだ。さらに、週末や夜遅くまで開いていて、予約不要で医療費も安いという特徴もある。虫垂炎の手術で数百万円もかかるなど、米国の医療費が高いことは悪名高く、医療費が支払えず破産者が出ることも問題になっている。
そんな中、リテールクリニックは、通常の医療機関への受診に比較し低価格で医療を提供しているのだ。例えば2009年の論文では、中耳炎又は咽頭炎、尿路感染症で受診した患者の1エピソードあたりの費用は、内科医オフィスで166ドル、救急では570ドルだったのに対し、リテールクリニックでは110ドルだったことが報告されている(Ann Intern Med. 2009 September 1; 151(5): 321-328.)。
この価格差が生じる主な要因は、リテールクリニックの診療主体が医師ではなくナースプラクティショナー(NP)やフィジシャンアシスタント(PA)だからである。医師は複数のリテールクリニックを掛け持ちして、プロトコールを作成するが現場にはいない。NPやPAがプロトコールに従って、検査・診療・処方を行い、時に予防医療(予防接種や健診など)も提供する。
ここまで読んで不安に思った方もおられるかもしれない。「医者じゃなくて大丈夫なのか」、と。その議論は当然米国においても巻き起こった。しかし米国で声高に反対意見を叫んでいたのは患者ではなく、米国医師会や米国家庭医学会、米国小児学会など、リテールクリニックに既得権益を脅かされる団体であった。
「ケアの質が下がるのではないか」、「一回あたりの受診費用は減っても余計な受診を喚起したり、よくならなかった後の二重受診したりで、総費用は増えるのではないか」、「薬局の中にあるからたくさん薬を出すんじゃなかろうか」、「地域の内科医と患者のネットワークを分断するのではないか」などの懸念が指摘された。
これらのうち、ケアの質やコスト、抗生剤処方行動についてはすでに複数の研究がなされており、その懸念は否定されている。しかし、リテールクリニックの受診者と内科医オフィスや救急部門の受診者では、重症度が異なる可能性があることには留意する必要がある。すなわち、受診者自ら判断して、軽症の急性期疾患の際にリテールクリニックを受診している可能性がある。米国のリテールクリニック受診者の解析では、18-44歳の若い女性が多く、受診理由は以下10疾患で90%を占めると報告されている。
すなわち、上気道炎、副鼻腔炎、気管支炎、咽頭炎、予防接種、中耳炎、外耳炎、結膜炎、尿路感染症、スクリーニング採血もしくは血圧測定、である(Health Aff (Millwood). 2008 Sep-Oct;27(5):1272-82.)。 明日までは待てないけれど、救急に行くほど重症でない人が、リテールクリニックを利用しているのだ。
それでは日本の状況はどうだろうか。日本において医療のコンビニ化は否定的な文脈で語られることが多い。コンビニ受診とは、日中から体の不調を自覚しながら、「日中は約束があるから」、「夜の方が空いているから」等の自己都合で、緊急処置が必要ないにもかかわらず、本来重症者の受け入れを対象とする病院の救急外来を休日や夜間に受診する行為だ。コンビニ受診は当直医・救急医を疲弊させ、医療崩壊を加速させる原因として批判を浴び、医療現場では忌み嫌われている。
嫌われる理由の一つは、夜の病院にはコンビニエンスストアと違い日中と同じ人数が待機しているわけではなく、日中と同じ診療体制を維持するのは現実的には困難だからだ。コンビニ受診を抑制するために、自治体や医師会、病院は、ホームページを通じて患者の受診に関する意識変革を促したり、深夜受診や軽症受診に時間外加算を追加するなど金銭的なバリアーを設けたりしている。私も医師として働いていて、このコンビニ受診は非常に大きな問題と感じている。
しかしその一方で、満たされない患者ニーズが存在することも事実だ。現在、夜間の軽症者の受け皿として夜間休日診療所があるが、処方は原則1日で、翌日の日中に再度医療機関を受診することが求められる。しかし、この翌日受診が働くサラリーマンには困難で、最近は非正規雇用が増加し、「1日でも休んだらクビになってしまうから、日中には病院に行けない」、という話も聞いた。
しかし日本でも「コンビニ受診大歓迎」と言っている医師がいる。ナビタスクリニック理事長の久住英二医師だ。彼は「日中働いていて、医療機関に受診できない会社員こそ、医療難民だ」と考え、立川、東中野、川崎の駅ナカに週末や遅い時間も診療するクリニックを2006年から経営している。日米の医療制度の違いから、ナビタスクリニックの診療は医師のみが行い、もちろん国民皆保険の保険診療であることから、米国のような価格弾力性は存在しない。
ナビタスクリニックの最大の特徴は駅ナカに存在することだ。日本の鉄道網の発達は世界有数で、世界の乗降客数ランキングの上位はほとんど日本の駅が占めている。2014年JR東日本駅別乗降客数ランキングで、ナビタスクリニックが位置する駅を見てみると、立川駅は15位16万人/日、川崎駅は10位20万人/日であり、いずれも膨大な人数だ。
さらに2016年春にはナビタスクリニック新宿がオープンする。JR新宿駅は乗降客数75万人/日で池袋、渋谷、東京、横浜などを抑え、JR東日本の中で1999年以降一度も陥落することのない不動の首位だ。新宿駅のJR・私鉄を合わせた乗降客数は364万人を数え、2011年にギネスブックに世界一と認定された。
ナビタスクリニックのもう一つの特徴は、平日は21時まで、土曜日は17時まで、と会社員が終業後に受診しやすい時間まで診療していることだ。患者からみると、アクセスの良い場所に終業後も受診できるクリニックがあることは便利で心強いものだろう。経営面からみると、通常の診療体制を夜間も維持するとクリニックとしてはコストが増加するが、駅ナカの立地では終業後の通勤客が多くいるので、採算の取れる経営が可能になったのではないかと推測する。
実際、受診は若い勤め人の熱・咳・咽頭痛・鼻水など風邪症状が中心である。受診時間帯は仕事終わりの18-19時頃に多い。小児科が併設されているため、子連れの母親も多い。普段大学病院にいるとなかなか気づかないが、ナビタスクリニックで診療すると、世の中にいかに風邪の人が多いのか実感する。「会社の中でみんな風邪です。うつし合っています。」「熱があって辛いのですが、仕事は休めないから、すぐによくなる方法はありませんか。」と言うのは診察室ではよく聞く話だ。
さらに、ナビタスクリニックは予防接種にも力を注いでおり、フルーミスト(鼻からのインフルエンザ予防接種)、旅行医学(仕事や旅行で発展途上国へ行く際の狂犬病や腸チフスなど特殊な予防接種)、ストップ風疹プロジェクト(先天性風疹症候群を防ぐために、妊娠を希望する女性や妊婦の夫等への風疹予防接種普及活動)など、街のワクチン・ステーションとして存在感を増しつつある。働くサラリーマンの予防接種実施率は低く、例えばこんなデータがある。
米国において2007年度、65歳以上のインフルエンザ予防接種率は69%あったが、18-49歳ではわずか17%だった(NCHS, Early Release of Selected Estimates Based on Data from the January-June 2007 National Health Interview Survey (Hyattsville,Md.: NCHS, 10 December 2007).)。
日本でも同様の推計がなされており、高齢者のインフルエンザ予防接種率は58.5%、対して一般成人は28.6%だった(日本公衆衛生雑誌2014;61(7):354-359.)。若年者は確かに基礎疾患が増えてくる高齢者に比べて、予防接種の必然性は下がるだろう。しかし、読者の中にも受験の冬にはインフルエンザの予防接種を受けた者も多いのではないか。
インフルエンザにかかれば本人も辛いし、家族や友人など周囲に感染を拡げたり、会社としても労働力の損失につながる。働く彼ら彼女らの医療機関へのアクセスをよくすることは、少子高齢化社会の活力を高める上でも有用となるだろう。
本年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智先生は、顧みられない熱帯病(neglected tropical disease)オンコセルカ症の治療薬を発見した。Neglected diseaseとは多くの患者がいるにもかかわらず、その大部分が貧困層であるために市場価値が見出されず、治療薬の開発もなされていないような病気をいう。働くサラリーマンもその健康状態を顧みられてこなかった、という点では同じだ。医療機関は病気の多い老人が受診するものであったからだ。
ナビタスクリニックは働くサラリーマンにとっての福音となれるのか?今後のナビタスクリニックの展開に期待したい。なお、私はナビタスクリニックの診療を時折手伝っており、なおかつ個人的にも親しくしていただいているので、利益相反は甚大であることを最後に申し添えておく。
(「2015年2月12日「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)