ゴミ拾いはコミュニケーションツール。「地域」で見つけた、多世代が交わる"学びの場"

今の武蔵小杉チームにとって、おそうじはツール。 メインはコミュニケーションを取ることです。

「よく話すね。」

自己紹介をした後によくいわれる言葉です。

初対面の人とあいさつをする時、相手の目をみて話すことが私の得意とすることです。

第一印象で相手にどう思われるかによって、その人の印象が変わります。

だからできるだけ話しやすいように、

"自分をオープンにすることで相手と会話する姿勢をみせれば、自然と相手も自分のことを話してくれて、

今度は聞き手に回ることで相手を知ることができる。"

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私が行っている月に一回のゴミ拾いで教わったことです。

活動時間は約1時間程度。

この場では、地域にまつわる話や個人の職業の話、また参加に至った経緯など、とにかくたくさんの情報が行き交います。

ほぼ半数の方が初参加ということは少なくありません。

最初は緊張している方もいますが、参加前と後で比べてみると、会話量の違いから場に馴染まれたように伺えます。

参加して下さる方の目的は様々で、

中には「空き時間にボランティア活動をしよう」といった40代の方や、

「ゴミ拾い自体したことがないため経験してみよう」と参加してくれる20代の方、

「普段は、あまり進んで参加しないけど自分じゃない他者のためになにかしたいな」と関わって下さる10代の方もいます。

動機は人それぞれ。年齢もばらばら。だから面白い。

ただゴミを拾うだけですが、色んな方が集まります。

そんな環境から学んだ多世代と交流する大切さについて書きたいと思います。

■ゴミ拾いはあくまでツール。会話を通して現場から学んだこと

私が川崎市内でゴミ拾いを主体的に始めたのは、今から2年前の2015年の9月。

当時高校3年で、まだ制服を着こなしていたころです。

朝7時過ぎには武蔵小杉駅から東急東横線和光市行の通勤急行に乗って渋谷まで行き、放課後は都内で過ごし、寝るために地元に戻ってくるという学生生活を送っていました。

街との接点と言えば、生活拠点が市内にあるだけ。

手紙や小堤に自分の住所を書く時くらいしか自分がどこに住んでいるかなんて気にもしたことありませんでした。

「武蔵小杉?乗り換えで利用するくらいで、あんまり駅以外は行ったことないな。」

今では反省すべき状態のもと、私はこの地でグリーンバード武蔵小杉チームを立ち上げました。

チームを立ち上げた当初、

当たり前のことかもしれませんが、私の友人のほとんどは高校や学生団体で繋がった自分と同世代の学生でした。

私にとって年の近い人と一緒に行動するというのは、慣れない場でも親近感が湧き、安心できるようになっていました。

一方で、武蔵小杉を舞台に集まってくれた人たちの大半は初回にして、自分がこれまで関わってきた友人とは明らかに異なる世代の人たちでした。

完全に多世代が入り混じった状態。

これまで赤ちゃんからご年配の方までが暮らす自身が住んでいる地域の方とさえ、接点を持つことのなかった私は、この状態に完全に固まりました。

でも、そんな場所に飛び込んで気づいたことは、

多世代の方と関わることで、これまで知らなかった情報を一番親しみの持ちやすい対話という形で得れることでした。

以前、外から吹く風が新しいものを作るといった話を聞いたことがあります。

まさにその通りで、当時の私にとって、これまでお会いしたことのなかった世代の方々から伺う話はどんな話題でも未知で新鮮に聞こえました。

転職を試みるサラリーマンの体験談。

小さいお子さんを持つお母さんからのキャリアや子育ての話。

多くの参加者の方から伺う何気ないこのようなお話は、ゴミ拾いという場を私にとっての学びの場に変えてくれました。

だから今の武蔵小杉チームにとって、おそうじはツール。

メインはコミュニケーションを取ることです。

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■関係の幅を広げることは自己成長させる

普段、日常生活で触れている人のコミュニティーには、似たカテゴリーの人が多いです。

大学生は大学生、高校生は高校生どうし。

主婦は主婦どうし、職場の人や、同業者の人、趣味趣向が合う人どうし...など、私たちが気づかないうちに同じ枠でくくられた人たちと生活を共にしています。

仲の良い友人や知り合いが増えることは、人と人が「見える関係」になるということ。

気があう友人や気兼ねなく話せる友人が多いことは楽しいことや悲しいことを共有したり分かち合うことができます。

そんな中、同世代以外の世代の方との接点とは、自らが歩み寄っていかなければ、関わりを持つ機会は少ないように感じました。

今、私たちに必要なのはコミュニティーのカテゴリーの壁を超えて交流を増やすことです。

なぜなら会話を通じて他者の話に耳を傾けることは、自身を成長させることに繋がるからです。

■カテゴリーを超えることで学んだこと

私は多世代と交流することで自分自身の価値観や世界観を広げてきました。

地域には、昔から住まれている方や最近引っ越してきた方、出身も違えば、経験も違うといった幅広い方が住まれています。

そんな方々とコミュニケーションを通じて情報交換することは、多様な価値観に触れることで自分の世界観を広げるきっかけとなります。

同時に、他の考え方を受け入れる力も養ってきました。

例えば、私が中学生の頃の話です。

自宅の近所の町内会で、道路の使用に関して話し合いが行われたことがありました。

その場ではいくつもの案が出され、最終的に二つの案に絞られました。

一つはなにか安全のための設備を作ること。

もう一つは安全に配慮したルールを作ること。

どちらも異なる視点からの解決策ですが、経験や自身が得意とするノウハウを取り入れることで、この問題は無数の解決策が導き出されることになりました。

そのためこの問題を解決するためには多世代と関わろうとする以前に、自らが歩み寄る姿勢を示す必要がありました。

正直なところ、私自身の経験からしても他者の意見や考え方を理解することは、なかなか簡単にはいかないものです。

しかしこの場で学んだのは、「理解を示す」という言葉どうり、相手の考えを受け入れて自分の中で消化すること。

すなわち、理解するというよりは解釈するといった表現の方が近いでしょうか。

自然と他者と関わる機会が増えることで多様な価値観を受け入れることができるようになりました。

■これから向き合うべき課題の乗り越え方

学生は学生、社会人は社会人と同世代以外の接点とは、歩み寄らない限り持ちにくいものです。

しかし、多様な価値観を受け入れ、他者に対する理解を深めるには横のつながり以外にも縦のつながりも大切です。

年齢や世代にとらわれない幅広い価値観を受け入れる力は、今後の日本においてかなり大事に考えられることでしょう。

私は自身の学びの場を通じ、これまで以上に人との関わり方から多世代と交流する重要性を感じ取ってきました。

物事の変化が著しい世の中ですが、同世代間の理解にとどまらず、これまで以上に異なるものに対する理解を示す必要があります。

年齢や世代に左右されることなく尊重し合える関係を築くことが、これからの課題です。

この課題を乗り越えていくためにも、世代を超えた新たなコミュニティーの在り方こそが多様な社会へと導く近道なのではないでしょうか。

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*Photo by Jun Kawamura