身体は過去や未来に同調する力を持っている
幼い頃のアルバムを見ると、ふと心が和みます。
それは、一〇歳の頃の自分の写真を見ているとき、あなたの身体が当時の空気、音、匂い、感覚......無意識のうちに思い起こしているからだと、僕は考えています。
古典や歴史、あるいはSF作品に触れている時も、同じようなことが起きています。それらの作品世界に没入することによって、私たちは遠い昔や、はるかな未来を生きる人々の世界の空気や音、においや感覚に、同調しているのです。
僕はこれを、ある種の心理学的テクニックとして、オススメさせていただいています。
遠い昔であれば、『古事記』や『日本書紀』といった日本の古典、『三教指帰』や『般若心経秘鍵』といった、弘法大師、空海が残した著作などを読んでみる。あるいは『孔子』や『孟子』といった中国の古典や、ギリシャ悲劇やケルト神話などでも良いでしょう。
そういった古典を読むことで、千年単位をさかのぼった古い時代の<空気>と同調する。
あるいは、未来に目を向けるのであれば、SF作品を読んで見る。
「SFなんて、ただの作り話でしょう?」と思っている人もおられるかもしれません。しかし、一流の作家の想像力は、尋常ではありません。
『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』などの作品で知られる松本零士さんは、「西暦二二二一年、星野哲郎が銀河鉄道999で旅立つ」など、作中の年代を正確に設定されていることで知られています。
それができるのは、松本零士さんが、さまざまな資料や知識を踏まえたうえで、五〇年後、一〇〇年後といった未来の世界を、あたかもリアルに生きたことがあるかのように感じているからです。
そうした作家が生み出したSF作品を読むことで、私たちは、作家がたどり着いた「仮想の未来世界」に、同調することができるのです。
時間軸を超えることで得られる癒し
古典やSFを読むことで、私たちは「自分たちが、自らの寿命をはるかに超えた時を刻む世界の中で生きている」という当たり前の事実に改めて気づかされます。それは普段、私たちが生きている「小さな群れの感覚」よりもはるかに大きなスケールで、自分や世界を捉え直すことにつながります。
はるか昔の先祖から命を受け継いできて、今の自分があるということ。
長い人類の歴史があって国が作られて、現代につながっていること。
そして、自分が死んだ後も、世界が続いていくこと......。
最近は「数年単位でしか物事を見ない」という人も増えていますが、そういう近視眼的なものの見方は、人を身近な群れの中の人間関係から生じるものに他なりません。そして、そうした近視眼的なものの見方こそが、私たちを疲弊させているのです。
自分の人生を一〇〇年、五〇〇年、一〇〇〇年......という長い時間軸の中で捉えなおすことによって、私たちは群れの人間関係の中で染みついた、小さな世界観の殻を破ることができます。
よく「物事を俯瞰的に見ましょう」ということが言われます。でも、そういう言葉を口にしている人の多くが、せいぜい十数年、たいていは二−三年のスケールを無意識のうちにイメージしていることが多いように感じます。
何百年、何千年という大きなスケールの中で自分の人生を位置づけてみましょう。
リアルな実感として、大きなスケールの世界の中で生きている実感が持てれば、「仕事をクビになったらどうしよう」「今、これをやることで自分にメリットはあるのだろうか」といった、群れの中での自分の立ち位置に囚われることが減っていくと思います。
すべてを理解する必要はない
古典は難しい、という印象があるかもしれませんし、SF作品になんとなくハードルの高さを感じる人もおられるかもしれません。でも、最初からすべてを理解し、楽しむ必要なんてないんです。
意味のよくわからないところや、いまひとつピンと来ないところがあっても、慌てずに、一つひとつの言葉や表現に、自分の身体を感応させることを心がけてみてください。
読書百遍義自(おの)ずから見(あらわ)るという言葉がありますが、意味がわからなくても、字を追っていれば、だんだんと心の中の時間軸が大きく広がっていきます。
船が進路を間違わないために、昔の船乗りは「動かない星」である北極星を目印にしていました。
長い時間軸を持つことは、群れの価値観を超えて自分の立ち位置や、目指すべき方向性を見失わないための羅針盤を、自分の心の中に育てることにつながるのです。
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この記事は「名越康文メールマガジン『生きるための対話』から転載しました。