「拡張家族」で子育てしてみた
2017年9月から、渋谷キャストの13階にあるコミュニティ、拡張家族「Cift」のメンバーとして19部屋40人(当時)で家族の実験を始めた。
たくさんの人に、様々な場所で、拡張家族とのコミュニティ子育てを紹介して1年半。驚きや共感、そして批評と様々な声が届いた。その体験を振り返ってみたい。
もともと、都内に自宅とオフィスがあり、夏に滞在する大分県竹田市の一軒家との多拠点生活だった。そこにCiftが加わって、超近距離・多拠点生活が始まった。
ベビーカーに積んだ「着替え一式」さえあれば、その日の気分で好きなところに帰れるスタイルが私には合っていたし、子どもも意外とどこでも大丈夫だった。
「(同じ)家に帰らなければいけない」という暗黙のルールがなくなったことで楽になれたし、何より誰かが迎えてくれる、人のいる家に帰れることが幸せだ。
Ciftで、4組でシェアを始めたその部屋は、「子ども部屋」というコンセプトで、私とアッコが子連れ、トムとエリが未婚の単身者というライフスタイルだった。
実験的に始めた暮らしの中で、タイムシフト的に入れ替わりながらシェアする時期から、やがて自然に共に寝起きして、生活のタイムラインを重ね合わせるようになっていた。
夫が出張の時にはCiftで過ごし、新潟、沖縄、大分とCiftメンバーの拠点を訪ねる「拡張家族の旅」もした。
愛は赤字だったけど、子育て部門は黒字だった
私の生活を、「信頼経済」的に表現すると、2018年は子育て部門は黒字だった。
2018年6月、Ciftに入って半年を過ぎた頃、私は「愛が赤字です。」と言っていた。
引越先で保育園が見つからず、もともと通っていた私立の認可園に、区をまたいで電車登園しなければならず、その大変さに途方に暮れていた。
それから半年ほどで、黒字と言えるようになったのは、毎日の生活で暮らしを共にしてくれる人たちのおかげだ。
Ciftでも、最初は同じ部屋の4人+子育て経験者の10人以下だった"子育て応援団"が、今では20人くらいになったと感じている。
もちろん、隣に座ってご飯を食べる、息子には手を出さないけれど、食事やおやつを作っておいてくれる、10分廊下で遊んでくれるなど、息子との接点とその面積は、それぞれだ。
子どもを囲む輪が少しずつ、部屋のメンバーの4人から、60人になった拡張家族に広がりながら溶けていった。これからも、きっと息子と関わりながら見守ってくれる人は少しずつ増えていくだろう。
一般に、いまの社会では、都心に暮らす子どものいない人が、隣近所の子どもと食事を共にしたり、10分遊んだりすることには、大きなハードルがあるだろう。暮らしを共にするだけで、ゆるやかにつながる機会があるのだ。
子育てを開いた結果、いまでは、子どもを1泊2日預けても不安のない人が5人はいる。
核家族が大半で、日常的には祖父母にも頼れないこの時代に、5人もの人が! 私たち親子や1人の子どもに、いつでもおいでと声をかけてくれる。
こんなママでいたい。自分のエゴが苦しめたことも
こんな私でも、子どもが生まれたことで、アイデンティティ・クライシスのようなものを経験した。
子育てをしていると、この時間までに食事を用意し、できるだけ遅くならないように寝かしつけして......と、たくさんの「なるべく」がのしかかってくる。
それは、社会や一般常識を内面化しただけの単なる私の思い込みかもしれないが、「なるべく」良いものを食べさせ、健康に、文化的に、おしゃれに......と、子どもといえど、1人の人間の生活環境を整えて、人に見せても恥ずかしくないように演出し続けることは相当な労力を必要とした。
フリーランスに産休はないから、産後6週間で復帰した仕事。一時保育の予約も大変だった。慣れない子育てをしながら、思った通りの働き方はできなかったが、子育ても仕事も「なるべく」両立したいと思っていた。
「なるべく」こんなママでいたい、という私自身のエゴが自分を苦しめていた。思い通りの自分でいられないことを、自分で認めたくない......自分の姿が見えなくなっていた。
でも本来、「なるべく」と言うのは何の強制力を持ってはいないはずで、「なるべくしてなる」か、「なるようにしかならない」のでは、と拡張家族の実験の中で気がついた。
部屋を完璧に掃除して、子どもを一張羅に着替えさせて友人を迎えた直後のお漏らし。徒歩5分の駅までの道のりを30分かけて寄り道して「探検したい」と泣く息子。
とにかく私自身や、大人や社会の都合で「なるべく」こうしたいという考えを、息子がことごとく破壊してくれたからだ。
彼は、いつも通り食べて出して、汚すだけ。「なるべく」汚したくない、なんて理屈は一切通用しない。
彼が大好きな山手線に、朝の通勤ラッシュの時間に乗れないことも、15分に1本のりんかい線だったらなんとか電車登園できることも、知る由もない。
そんな時、「なるべくしてなってしまった」食卓の惨状を、「なるようにしかならない」息子の気持ちを、Ciftを通して出会う人々がそっと支えてくれた。
私たち親子のどうにもならない瞬間を、一緒に泣いて笑って、なんとかしてくれる。その小さな経験によってひとつずつ集めた勇気で、Ciftでできたことを、少しずつ外側へ持ち出してみることにした。
これはもう、ひとつの社会だ。
私が開いてみた子育ての小部屋が、小さな広場になった。
「子連れ100人カイギ」でみんなと語りたい
2018年の暮れに、私はCiftメンバーとして住んでいた渋谷キャストの部屋を手放した。部屋はまた別のメンバーが引き継ぎ、私はまた帰りたい時にどこかの部屋へ帰る。いまは、自分の部屋はなくても、受け入れてくれる家族がいる。
渋谷キャストを手放した私達は、飛騨高山にまたひとつ新しい部屋を持つことにした。高山には、夫の仕事を通じて出会った家族とも呼べる仲間達がいる。
私の人生はいつも、半年と同じ状態が続かない(笑)。
私のような暮らしや、Ciftのような場所は、どこでも誰にでもできる訳じゃない。でも、みんなが子育てしながら社会とつながる場所があるといいなと思う。私も、なんとか自分と息子の居場所を社会の中に作りたいと願ったことが原点だった。
そんな思いから、「子連れ100人カイギ」を立ち上げた。
実は、子連れ100人カイギは、2017年暮れに行われたハフポストの取材をきっかけに誕生した。
初めはCiftの話を実践者として紹介していたのだが、インタビュアーの笹川かおりさんと話しているうちに、お互いの息子が同級生で、この2年ほどを同じような境遇で乗り越えてきた仲間だとわかり、意気投合。そのままブレストのように、お互いの想いが溢れ出た。
当時騒がれていた熊本市議の議会への子連れ出席の是非をめぐる報道、「#子連れ会議OK」というTwitterの呼びかけ...。
「子連れを取り巻くネガティブなイメージを払拭するような、ポジティブな子連れの場を開きたい」
こうして「爆誕」した子連れ100人カイギのコンセプトを話すと、次々と仲間が見つかった。3カ月後には渋谷キャストのホールで2日間のイベントができてしまった。
声をかけるまで出会えなかった、この場があったから来てくれたたくさんの子連れの人たち。気軽にみんなで集い、考え、語り合う対話の場なったように思う。子どもたちの時間も大切にして遊び場も工夫した。
3回目の子連れ100人カイギは、3月24日。
子連れ出勤など、様々なワードが飛び交う中でもポジティブな子連れのあり方を話し合って、ムーブメントにしたい。大人も子どもも楽しく学べて、新しいアクションを始めるきっかけになればいいと思っている。
もちろん、子どもがいない人でも気軽に足を運んでほしい。あえて「親子」ではなく「子連れ」という言葉にしたのは、年の離れたきょうだいや拡張家族など、親子関係に限らない多様な子どもとのパートナーシップを広めたいという気持ちを込めた。
子連れ100人カイギに来てくれたら、"即席子連れ"になれる。
大人と子どもも、1:1ではできないことも、100:100ならできるかもしれない。
休日、都心で子どもとの行き場がないかつての私のような親子や、子どもと接点がないけどサポートしたい気持ちはある人も、気負わずに集まれる場になるように。
子どもの時間は、わたしたちのすぐそばに転がっている。
ちょっと立ち止まって、しゃがんで、同じ目線で覗き込んだら、ほら、子どもの時間
親も、子どもも、ひとりの人間。
100人いたら100通りの子育てがあり、正解はありません。
初めての子育てで不安。子どもの教育はどうしよう。
つい眉間にしわを寄せながら、慌ただしく世話してしまう。
そんな声もよく聞こえてきます。
親が安心して子育てできて、子どもの時間を大切にする地域や社会にーー。
ハッシュタグ #子どものじかん で、みなさんの声を聞かせてください。