「大量廃棄生活」の凄さがわかる画像集

1人の名も無い消費者である私たちにとって、自分の日常的な消費や無駄遣いがもたらす物理的な影響は想像の範囲外かもしれない。だが、一人ひとりがもたらす影響それ自体は注意を向けるほどではないように思えても、個人の行動が積み重なった結果を見れば、そこから目をそらすことは難しい。
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1人の名も無い消費者である私たちにとって、自分の日常的な消費や無駄遣いがもたらす物理的な影響は想像の範囲外かもしれない。だが、一人ひとりがもたらす影響それ自体は注意を向けるほどではないように思えても、個人の行動が積み重なった結果を見れば、そこから目をそらすことは難しい。

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写真家のクリス・ジョーダン氏は、私たちの社会が絶え間なく生じさせていく廃棄物の山に注目し、携帯電話や車のスクラップ、回路基板などから成る巨大なゴミの山の写真を撮影していった

「Intolerable Beauty: Portraits of American Mass Consumption」(耐えることのできない美しさ:アメリカにおける大量消費の肖像)と題されたこの写真シリーズは、アメリカ文化の恐ろしく、奇妙で、陰鬱な側面をまざまざと見せつけている。

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ジョーダン氏は、何重にも積み重なった廃棄物の山を、圧倒されるほどの地層の重なりによってできたグランド・キャニオンにたとえている。

「私はこうした光景に大きなショックを受けたが、同時にその光景に引き込まれ、畏怖と魅力を感じた」とジョーダン氏は、米ハフィントン・ポストに対してメールで述べてくれた。「私たちが消費した巨大な山は、荒涼さ、薄気味悪さ、奇妙なおかしさ、そして皮肉を感じさせるだけでなく、陰鬱な美しささえ醸し出している。その驚くほどの複雑さが、私にとっては魅力なのだ」

「自分自身がアメリカ社会の消費者である以上、私はこれを非難できる立場にはない。だが、答えが存在しない難しい問題についてじっくり考えるとき、私たちの注意は内側に向かうことを私は知っている。そのとき、思考や行動は多少なりとも進化するかもしれない」とジョーダン氏は語る。

「だから私は、これらの写真が、自らの文化について問いかけるための入り口になることを期待している。楽な道ではないかもしれないが、思い切って自分を見つめれば、われわれも”目が覚める”かもしれない」

回路基板(アトランタ、2004年)
携帯電話のバッテリー(アトランタ、2004年)
スクラップされたクルマ No.2(タコマ、2004年)
ガラス瓶(シアトル、2004年)
電子機器のゴミ(ニューオリンズ、2005年)
木材置き場(タコマ、2004年)
リサイクルゴミ置き場 No.6(シアトル、2004年)
鉄くず(タコマ、2004年)

[Priscilla Frank(English) 日本語版:佐藤卓、合原弘子/ガリレオ]

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