「ご出身はどちらですか」
“Where are you from?”
一見、簡単に答えられそうな質問だが、私にとっては最も答えにくい質問の1つである。
それは、ひと言で自分の「出身」を語ることができないからだ。
祖父母の出生地は朝鮮半島だが、私自身住んだこともない朝鮮半島を「出身」といってよいのか。生まれも育ちも日本だが、日本国籍を保有していない私が「日本出身」といってよいのか。それとも生まれ育った地域として「横浜」と答えればよいのか。
しかし、この質問をしてくる多くの人は、私の名前を知った後に聞いてくる。つまり、「日本人」ではないことを認識した上での質問だと考えられる。私の「出身国」を聞いてきているようだ。私にとって「出身国」とはどこなのか。そもそも「出身」とは何か。この質問では、どのような答えが求められているのだろうか。
「出身」、それは「自分は誰なのか」という問いと密接に関係する。しかし、「自分は誰なのか」この問いも、実に答えるのが難しい。
「自分は誰なのか」、自分は「Korean」だ。
初めて、自分が「Korean」だと自覚したのが5歳の時であった。それは、幼少期に過ごしたアメリカでのことだった。引っ越しから間もなく現地の学校に通い、日本語しか話せない私に対し、ある友人が「You are Japanese」と言ってきたのだ。
これに対し、私は「I am Korean」と反論した。何度も言われたため、忘れ得ない記憶だ。ここでいう「Korea」は、「日本人ではない何か」というぼんやりしたものだったと思う。
朝鮮半島の分断について、5歳の私が知る由もない。友人とのこの会話は、「他者」と接することで、初めて自分が誰なのかを自覚した経験だったといえる。
日本に戻ってからは、私は朝鮮学校に進学した。朝鮮学校では朝鮮語を学び「立派な朝鮮人」として生きるよう教えられた。その結果、「朝鮮人」としての強い民族意識を持った私は、Koreaへの帰属意識を抱いた。
「祖国のために…」━━部活でも勉強でも、何かとモチベーションにしていたのがこの言葉だった。ただし、この「祖国」とは、統一した朝鮮半島を思い描いての言葉だった。父方と母方、それぞれの祖父母が朝鮮半島の南東部出身であるのに対し、朝鮮学校では「北朝鮮」について多くを学んだからである。
出身地と支持する政府が必ずしも一致しなかったのは、珍しい現象ではなかった。約95%の在日Koreanのルーツは朝鮮半島の南であるにもかかわらず、多くの在日Koreanが共産主義を信じ、北朝鮮への支持を表明したからである。
戦後日本で彼らが設立した朝鮮学校は、現在に至るまで北朝鮮を支持してきた。このような複雑な環境の中で育った私にとって、いずれの「Korea」も自分の国だった。
大学に入り、また自分のアイデンティティが少しずつ変化した。日本での韓流ブームに便乗し、私は某K-popアイドルを追っかけ始めた。単なる趣味としての追っかけにもかかわらず、そこには常にナショナリズムが付きまとった。そのアイドルと韓国語が通じる優越感、そのアイドルと同じ民族としての自分を誇らしく思ったのだ。この時には、「韓国人」になりたいとさえ思った。
しかし、単なる趣味にもかかわらず、私はアイデンティティクライシスに陥った。韓国へ行っても「韓国人」として見なされることが一度もなかったのである。
運よくそのアイドルとの食事会に参加する機会に恵まれた。そのアイドルは私を「日本人」だと認識し、私の前で私について韓国語で話していた。悪い話ではなかったが、気分は良くなかった。「韓国人」として認識してもらえなかったことがショックだったからだ。
また、ソウルで買い物をしていると、ほとんどの店員が私に日本語で話しかけてきた。つまり、祖国だと思っていた韓国で、「韓国人」として見なされなかったのである。非常に屈辱的であった。
海外から日本に戻ってくる度に、日本でも「日本国民」でないことを度々認識させられた。日本で生まれ育っているのに、日本の入国審査では再入国を「許可」すると言われるからだ。常に外国人登録証(現在は特別永住者証明書)を携帯し、「日本語上手ですね」と頻繁に言われる生活をしていれば、「日本人」にとって私は外部者なのだと悟った。
「自分は誰なのか」
大学院に進学し、国民国家の中に自分を規定する必要はないと悟った。
「ヨーロッパ市民」という言葉に魅了され、「自分は誰なのか」という問いに対して、「日本の市民」という解を得るに至った。出身は横浜でルーツは朝鮮半島にある日本の市民。ようやく、特定の国家への帰属意識を求めなくなったのだ。
このような解にたどり着くと同時に、私は自分の国籍について再考し始めた。なぜなら、これまで国籍とエスニックアイデンティティは密接に関係すると思っていたからだ。
これまで、私は「朝鮮籍」を維持してきた。「Korean」である自分が持つべき国籍だと思っていたからだ。韓国籍ではなく「朝鮮籍」を維持してきたのは、統一した祖国を願い、分断に加担しないという強い信念に基づいていた。
しかし、帰属意識を求めなくなった私にとって、「Korean」にこだわる必要はもはやなかった。
そう思った私は、「朝鮮籍」が事実上の無国籍であるという解釈に基づき、国民国家を乗り越えられる1つの生き方だと自分を説得した。
朝鮮籍は、北朝鮮籍と見なされることが多いが、実はそうではない。朝鮮半島出身者のうち、韓国や他国の国籍を積極的に取得していない者が外国人登録証に示す「記号」に近いものである。
朝鮮籍を事実上の無国籍と解すれば、自分の中では折り合いがついた。しかし、折り合いがついたと思った考え方も、実は国籍をエスニックアイデンティティの一要素として見なす考え方に過ぎなかった。
現在は、国籍はエスニックアイデンティティを構成する要素ではないと考えている。国籍は、生きるための手段に過ぎない。国籍とエスニックアイデンティティを切り離す考え方には、賛否両論がある。
仮に、私が日本国籍を取得すれば、積極的に支持する者もいれば、その一方で「民族反逆者」、「パンチョッパリ(半分日本人という蔑みの言葉)」、「思想がない人」などと批判する者もいるだろう。
つまり、出生地/居住地を重んじるか、血統を重んじるかといった意見対立が生じることになる。
しかし、色んな生き方があっても良いのではないだろうか。国籍のために人の生があるわけではない。国籍を優先するあまり、本来尊重されるべき個の生き方、選択が軽視されていることにより疑問を抱くべきである。
ただし、国籍とエスニックアイデンティティを切り離す考え方も、1つの考え方であって絶対的なものではない。互いの選択に敬意を払い、尊重できる世の中になれば、より居心地のよい社会になるのではないだろうか。
現在も私は朝鮮籍を維持しているが、極端な話、(例えば)メキシコ国籍を取得したとしても、私自身は変わらない。
現実的に国籍を取得するとなれば、日本国籍、韓国籍のいずれかになるが、いずれの国籍を取得したとしても、私は変わらない。
紆余曲折を経た結果、辿りついたのが「地球出身の人間」という答えであった。自明のことであるため、出身を聞かれたときの返答としては、やや奇妙かもしれない。
「地球出身の人間で、具体的には日本という〈地域〉で生まれ育ち、祖父母の出身はKoreaという〈地域〉である」
この答えは、自分が悩んできたアイデンティティに対する現状の解である。
現状の解であって、将来的な解かどうかは不明である。なぜなら、他者との出会いにより、アイデンティティは常に揺れ動くからだ。
将来的に「火星出身の○○」に会った時には、再びアイデンティティが問われることになるだろう。 その時は、どのように自分をアイデンティファイするだろうか。
不安定で揺らぎ続ける人生だが、新たな自分に出会うこともまた楽しみである。