国際法無視の中国「海洋国土」論(上)米無人探査機「強奪」の意味--伊藤俊幸

中国の法解釈は、まず自らの価値観ありきであるということを、われわれはよく知っておく必要がある。

海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)は1982年に第3次国連海洋法会議で採択され、94年に発効した条約である。これは領海や公海はもちろん、海洋環境保全や海洋科学調査、そして国際紛争の解決にいたるまで、海に関する国際的なルールが網羅されているものだ。

アメリカやペルー、トルコ、ベネズエラを除く160以上の国と地域、それにEU(欧州連合)が批准しており、その中にはもちろんわが日本も、そして中国も含まれる。

ところが中国は、国連海洋法条約で定められたルールに反したり、無視したりすることが多い。そのいい例が南シナ海問題で、いわゆる「九段線」を主張して南シナ海の領有権を主張しているが、フィリピンが提訴していた仲裁裁判では、昨年7月、中国の主張を実質的に認めないという裁定が下ったことは記憶に新しいだろう。

中国はいったいどんな考えで、そのような主張を繰り広げるのだろうか。それは「海洋国土」という概念があるからなのである。

海南島事件で垣間見えた「海洋国土」

2001年4月、アメリカと中国との間で軍事的なトラブルが発生した。海南島事件と呼ばれるものだ。

米海軍所属の電子偵察機EP-3Eは、海南島の南東約110キロの南シナ海海上を飛行していた。目的は、中国国内の無線通信傍受であった。そこに中国人民解放軍海軍航空隊所属の戦闘機J-8Ⅱが飛来し、EP-3Eと空中衝突。人民解放軍戦闘機は墜落してパイロットは行方不明になり、EP-3Eは大きな損傷を受け、近くの海南島の飛行場に不時着した、という事件である。

事後の米中協議の中で、双方とも相手側が挑発した、と主張したのだが、米側が聞き逃さなかったのは、中国が"米軍機の領空侵犯"を言い出したことだった。

米軍機が飛行していたのは、先に述べたように、海南島の南東約110キロの地点で、中国の領海12海里の外、排他的経済水域(EEZ)の内側だった。

後に詳述するが、EEZは、公海と同じく上空飛行の自由が国連海洋法条約によって認められている。にもかかわらず、中国が"領空侵犯"と言うのはどういうわけなのか。米側が問いただしたところ、中国側は「わが『海洋国土』の上空を米軍機が飛んだからだ」と答えたという。

米軍が、中国の「海洋国土」という概念を知ったのは、この時が初めてだった。当時在米国日本大使館防衛駐在官だった筆者に、米海軍担当者が耳打ちした。「どうも中国は海洋に関して我々と違う解釈をしている」。日本にとっても初めて聞いた言葉だった。

「EEZには主権が及ぶ」という主張

いったいいつ頃から、中国がこの「海洋国土」概念を持つようになったかは定かではない。が、おそらく、尖閣諸島や南沙諸島などを中国の領土だと明記した領海法を制定した1992年あたりが最初ではないか、と推察される。

この概念は以後、特に中国のエリートに対して徹底的に教育を施したと思われ、2010年になってようやく、その内容が公になってきた。

海上自衛隊の山本勝也1等海佐が、中国軍の機関紙「中国国防報」の2010年11月30日付紙面に掲載された「『排他的経済水域』は『国際水域』ではない」という記事を分析しており、そこから中国が考える「海洋観」が窺える。

中国の第1の主張は、EEZとは沿岸国が「主権的権利」及び「管轄権」を有しており、「全ての国家に開放された」、「全ての国家が自由に利用できる」公海とは並列した異なる概念である、とする。つまりEEZは領海ではないが、沿岸国の「海洋国土」の主要部分であり、「国際水域」ではないというのだ。

第2の主張は、EEZにおける「航行及び上空飛行の自由」は、公海上の権利とは異なる、というもので、沿岸国及び内陸国を問わず、関連規定の制限の下でのみ、航行の自由及び飛行の自由を享受する、という。

国際法を恣意的に解釈している中国

だがこの2つの解釈は、明らかに意図的な国連海洋法条約の読み替えである。

国連海洋法条約第56条(排他的経済水域における沿岸国の権利、管轄権及び義務)で、沿岸国が有しているのは「海底の上部水域並びに海底及びその下の天然資源(生物資源であるか非生物資源であるかを問わない)の探査、開発、保存及び管理のための主権的権利並びに排他的経済水域における経済的な目的で行われる探査及び開発のためのその他の活動(海水、海流及び風からのエネルギーの生産等)に関する主権的権利」と、人工島や施設、構築物の設置や利用、海洋の科学的調査、海洋環境の保護及び保全についての「管轄権」と規定してある。

つまりEEZで沿岸国が有するのは、天然資源に対する優先的管轄権だけで、それ以外は公海としての性格を持つのが常識的な解釈なのだ。

また、第2の主張にしてもそうだ。まず海洋法条約第58条(排他的経済水域における他の国の権利及び義務)には、「第87条に定める航行及び上空飛行(中略)を享有する」と明記されている。第87条とは「公海の自由」に関する条文で、公海上では航行や上空飛行の自由があることが規定されている。つまりEEZを航行・飛行する場合は公海と同じと記述されているのであり、中国の考え方は、国際法上の常識からは著しくかけ離れている。

ところが中国はこの"国際常識"を認めない。それどころか、「海洋国土」は領海12海里や接続水域のみならず、EEZ及び大陸棚を包含する用語であり、「国家管轄海域」とも呼んでいるのである。

山本1佐によると、「中国国防報」の記事は「EEZが『公海』でないことと同様に、EEZの上空も『公空』ではない」、「米国はEEZを『公海』、『公空』と等しい『国際水域』、『国際空域』として概念を恣意的に混同させている」として、空域についても中国の管轄が及ぶと主張する。先に述べた海南島事件の中国側の論理が、まさにこれである。

専門家ですら「まず価値観ありき」

山本1佐は在中国日本大使館防衛駐在官として北京で勤務した経験があるのだが、彼は中国の「海洋国土」概念について、こう述べている。

「詳細な説明のない概念図や、新聞やインターネット上にあふれる幾分センセーショナルな記事からでは、多くの一般的中国国民や人民解放軍将兵が、『海洋国土』の一部であるEEZも領土と全く等しい『国土』であるという誤った概念を持つことも無理ではない」、「筆者が在勤中に意見交換した人民解放軍の将兵の多くが、そのような理解に基づく発言を繰り返し、米国のみならず我が国を含む周辺諸国が中国の主権を侵していると非難する者さえ少なからず存在した」。

実は筆者にも同様の経験がある。2011年、海上幕僚監部指揮通信情報部長在職時に中国を訪問し、国連海洋法条約について議論した。青島の中国海洋大学では、オーストラリアで博士号を取得したという海洋法の専門家が対応してくれたのだが、「そもそもEEZか大陸棚かどちらかを決めるのは、沿岸国の国力の差による」という発言には驚いた。

そんなことは国連海洋法条約のどこにも書いてない。ご承知の通り日中間では、ほぼ同様の権利があるEEZと大陸棚のどちらを採用するかが問題となっている。既に国際裁判により「その場合はEEZの中間線を採用する」との判例が出ているにもかかわらずだ。当然国力の差については議論すらない。だが中国では、海洋法の専門家でさえこの始末なのだ。

また上海では、海洋関係当局のナンバー2と意見を交わした。その中で彼は「EEZ内で軍艦の航行する際は、事前通報が必要である」というので、「EEZの航行の自由は公海と同じだ」と反論したところ、それに対する回答が珍妙だった。「そもそも軍艦は"汚染物質"だから、国連海洋法条約にある『海洋環境の保護及び保全』に抵触する」という理屈をくっつけてきた。

ことほどさように、中国の法解釈は、まず自らの価値観ありきであるということを、われわれはよく知っておく必要がある。

南シナ海で起こした「強奪」

ここまで述べてきたような中国の海洋観が如実に表れたのが、昨年12月15日に発生した、南シナ海での中国海軍艦船による米国水中無人探査機強奪事件である。

報道によると、事件の概要はこうだ。米海軍が民間に運用を委託している海洋観測船ボウディッチが、海中の温度や塩分濃度、透明度を観測した探査機2機を回収していたところ、中国海軍の潜水艦救難艦とみられる船が約450メートルのところまで接近。小型ボートを下ろして1機を収容した。ボウディッチは無線で返還を求めたが中国艦船は応じず、「通常業務に戻る」とのみ言い残して現場海域を去った。ちなみに奪われた探査機は民生品で、機密性は全くないものだった。

問題なのは、強奪された場所である。国防総省の発表によると、探査機を奪われた場所はフィリピンのスービック湾の北西約50海里だったという。つまりフィリピンのEEZ内であり、中国とは一切関係がない場所だった。

報道ではこの事件は、「1つの中国」に疑問を投げかけ、台湾寄りの姿勢を示すトランプ新政権への揺さぶりとする論評が多かったが、筆者は中央の指示ではなく、中国海軍の艦長の判断で行われたものだと見ている。というのは、ここまで述べてきた中国の海洋観を艦長レベルも信じ切っていると思われるからだ。

冒頭で述べたように、中国は南シナ海を自らの「海洋国土」と考えており、実際にそのように振る舞っている。今回のアメリカの行動はその「海洋国土」を侵すものだ、と艦長が判断した可能性があり、それで「探査機強奪」という行動を起こしたものだと思われるのである。

しかし実際には、アメリカが主張するように、この行為は完全な国際法違反である。EEZにおける海洋調査は、天然資源に関するものに関しては沿岸国にその権利があるが、それ以外の調査については公海と同じ扱いである。今回の米海軍の調査は、潜水艦の運行や対潜水艦作戦を行う軍事関連の調査であり、EEZで行っても何の問題もないのである。

さらに決定的なのは、中国軍が探査機を強奪した地点はフィリピンのEEZであって中国のEEZではない、という事実だ。つまり中国は二重の意味で国際法に違反していたのだ。

そのことに気づいたのか、中国はわずか5日後の12月20日に探査機を米国に返還し、あっけない幕切れとなった。(つづく)


伊藤俊幸

元海将、金沢工業大学虎ノ門大学院教授、キヤノングローバル戦略研究所客員研究員。1958年生まれ。防衛大学校機械工学科卒業、筑波大学大学院地域研究科修了。潜水艦はやしお艦長、在米国防衛駐在官、第二潜水隊司令、海幕広報室長、海幕情報課長、情報本部情報官、海幕指揮通信情報部長、第二術科学校長、統合幕僚学校長を経て、海上自衛隊呉地方総監を最後に2015年8月退官。

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(2017年1月26日フォーサイトより転載)