私の夫、そして、まだ少年だった頃のあなたへ

彼に愛していると伝えるために、彼の実家の芝生を素足で感じるために、そして、彼と少しでも多くの時間を過ごすために。
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あなたがこの記事を読む頃にはきっと、私は夫のロブに会うため、ニュージーランドへ向かっていることでしょう。

彼に会うために、私は9カ月も待ちました。彼に愛していると伝えるために、彼の実家の芝生を素足で感じるために、そして、彼と少しでも多くの時間を過ごすために。

この再会は、あなたが想像するようなものではないでしょう。

私の夫は、空港まで私を迎えに来てくれません。砂浜をふたりで歩きながら、エサを探してあちこち突っつくミヤコドリを見て笑ったり、世界中のどこよりも大きく見える広大なオークランドの青い空の下で、手を握り合ったりすることもありません。

陽の光の中に現れた虹のように、彼はここにいるし、ここにはいません。

重度のうつ病を患って数年後の9カ月前、彼は自ら命を絶ってしまったから。

ロブはオークランドで亡くなりました。だから、墓地に眠る彼を最後に訪れてから、考える時間がたくさんありました。今、彼が眠るその場所には、彼のお母さんと私が一緒に墓石を選ぶまでの間、夫の名前が書かれた十字架と、墓の目印となるコーファイという木の小さな鉢が置いてあります。

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彼の名前は、本当は十字架に書かれているべきではないのです。

彼の名前は、本当は、40年後にどこかの公園のベンチの上にあるべきなのです。ふたりで座っていることが好きだったことを、ふたりで川の流れを眺めていることが好きだったことを、そして快適なお決まりのズボンをふたりで着るのが好きだった場所であることを記念して。

ロブの死の意味を見出すだめに、メンタルヘルスに関する文献を読み漁りました。自殺の心境を理解したくて。もしかしたら私は、彼の死を論理的に理由づけして理解することで、彼を失ったことを不条理だと思う自分の心をなだめようとしているのかもしれません。

ある自殺遺族支援グループで私は、子供や両親、兄弟姉妹、そして配偶者を失った人々たちに出会いました。彼らを通して気づいたのは、人は大切な誰かを自殺により失うとき、決して「これでよかったんだ」と心の整理をつけることはできないのだということです。でも、私は理解し、心を整理しようとしているのです。

会いたいと望むその人は、私たちの手も声も届かない場所に、自らの気持ちを話してくれないまま旅立ってしまったのです。

いくつかわかったことがあります。メンタルヘルスに問題を抱える人たちのすべてが自殺を考えるような精神状態になるわけではないのです。でも、自殺した人の圧倒的多数は、精神的健康上の問題を抱えていました。

生涯にわたり心の病を抱えている成人の50%以上が、幼少期に苦しみ始めているのです。

ロブは、愛情に溢れた、ごく一般的な家庭に生まれ育ちました。でも、幼少期から苦しんでいたことを、彼が教えてくれたことがありました。30代になりきちんとした精神病に関する医療機関を受診した時に、ロブは初めて、自分は幼い頃から、恐らくまだ10歳になるかならないかのころから、うつ病だったということを知りました。

でも当時の幼かったロブは、自分に起こっていることがわからず、それを表現するすべも知りませんでした。他の誰も、それに気付いてあげられる方法や知識、道具などを持っていませんでした。

人生最後の数年間、彼は、なぜ自分が行儀のよい静かな子供から、教えられたことすべてを破る悪魔のようなティーンエイジャーに変貌したのかを理解しようとして、多くの時間を割いていました。

心の中を私にさらけ出してくれた日には、頭が良くて物静かで小柄な少年だった頃、いじめを受けていたことを教えてくれたことがありました。そして、未だに、30代に入ってからも、当時のことや感じたことなどをよく思い出すことを。

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少年だった頃のロブ

「これって普通なのかな」と聞く彼に、私は答えが見つからず、ただ抱きしめました。

過去25年ほどで精神疾患の治療分野がどれほど大きく進歩したかを考えると、心の病を抱える子供たちを見つけ、支え、治療していくことに関しては、なぜいまだに限られたことしかできないのかと疑問に思います。

多くの場合、思春期の子供が健全な反抗期なのか、それとも心の病に苦しんでいるのか見分けることはとても難しく、しかもそれが14歳未満の子供の場合はさらに難しくなります。子供自身が自分の感じていることを言葉で表現し、説明することができないから。

親もまた、どうすれば良いかわかりません。何が子供に起きているのか見極められず、どのようにしたらその問題にその子が立ち向かうのを後押しできるのか、また、実際に親として(専門家の助けなしに自分たちで)対処できることなのかの判断もつかないことが多いのです。

(イギリスでは)成人の精神疾患の治療分野に対して資金的援助が足りていないのは確かですが、問題の根本的な解決を目指すならば、より長期的な目で見るべきだし、そこ(成人の精神疾患の治療分野のみ)に多くの投資をするのは得策ではないでしょう。だって、それは対処療法でしかないのだから。

心の病を抱える子供たちを支援すれば、成人になって心の病を抱える人を半数にできることがわかっているなら、子供の治療こそ優先的に進めていくべきではないでしょうか。

苦痛の人生から救い出すことができる人の数を考えてみて欲しいのです。暗闇と絶望に打ちのめされ、終わりが見えないような感覚に疲弊し切って、そこから抜け出すたったひとつの方法は、自らの命を絶つことだと感じているのです。

もし、幼少期に助けの求め方を教えられ、「普通」かどうかではなく、自分が辛いと感じたら助けを求めてもいいんだということを知り、生きていて辛いとき、どのように生き抜けばいいのかを理解する機会があったなら、それが社会に与えうる(ポジティブな)インパクトは計り知れないものでしょう。想像してみて欲しいのです。

いえ、想像するよりも、いっそ始めてみましょう。

(心の病に苦しむ)子供たちやその親を支援しないことは、私にはとんでもないことのように思えます。幼少期における心の病の治療には、その家庭に入り込んでいくことが非常に効果的だということがすでにわかっているのです。

自分の子供たちに最も素晴らしい未来を望むなら、今私たちができることを、すべてをやっていくしかないのだと思うのです。

このブログはハフポストUK版に掲載されたものを翻訳しました。

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