「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」のブログを書いてから、いろんな方々からご連絡をいただいた。書いたのは2014年の1月で、さすがにこのところはなかったのだが、久しぶりにメールが届いた。朝日新聞・生駒支局の筒井さんという記者の方からだった。
生駒市の広報誌「いこまち」でぼくのブログを話の入り口に、「赤ちゃんに優しいまちになるために」と題した特集を組んでいるので、そのことを記事に書くのにブログを引用させてほしい、との連絡だった。へー、書いてからずいぶん経つけど、市の広報誌に使ってくれたりそれを新聞で記事にしてくれたり、うれしいなあともちろん快諾した。
「生駒」という地名は、むかーし憂歌団のライブアルバムで「いこまは哀し〜い おんな町〜」という短い曲が唄われたのを覚えている。でもどんな町なのかまったくわからない。ちょうど大阪に出張があり、しかも夜の用事なので、その前に寄ってみようかなと、筒井記者に連絡した。
そんなわけで、新幹線を京都で降り、近鉄で奈良に向かった。関西で私鉄に乗るのはあまりないのでなんだか楽しい。ちょっとした遠足気分だ。
奈良の手前で乗り換えて、京都駅からほんの40分ほどで生駒駅に到着。京都と奈良、大阪の距離感がようやく掴めた気がする。三つの都市が、関東の感覚よりずっとギュッと凝縮されていて近いんだなあ。
生駒の駅を降りて南側に歩く。ちょっとした商店街があり午前中から賑わっているが、いかにも小都市のたたずまい。1〜2ブロックの商店街を抜けたらもう、住宅街だ。市役所に向かう途中に、大きな保育園があった。立派な建物だし、周囲もゆとりがある。子供の声がうるさいなんていうクレームとは無縁そうだ。こんなに住みやすそうで、「赤ちゃんに優しいまち」にしか見えないのに、広報誌で特集を組む必要あったのかなあ、と不思議な気持ちになった。
市役所で筒井記者と落ち合い、広報誌の担当者にお会いした。大垣さんと伊田さんという二人の女性。写真も撮りますねとiPhoneを向けたら、笑う笑う。自分たちが撮られるとは予想していなかったのだろう。照れちゃって笑い続けるのが面白く、何枚も撮ってしまった。
さて彼女たちはどうしてこんなに穏やかな町で「赤ちゃんに優しいまちになるために」という特集を組まねばと思ったのだろう。
生駒市は、歴史も文化もある町で、ずいぶん昔から人々が住んできた。だが同時に、戦後にベッドタウンとして発達した町でもある。奈良市から近いだけでなく、最初に書いた通り京都へも大阪市内へも3〜40分で出られてしまう。だからとくに、大阪で働く人のベッドタウンとなっているそうだ。平均収入も近隣より高く、つまり大阪のそれなりの企業で働く人たちが家を持つために移住してきた。そんな流れで数十年かけて最近まで、何段階にも分かれて住宅地が開発されてきたのだそうだ。
昔からずっと住む人も多いが一方で、最近家族となって越してきて子育てを始めたばかりの若い夫婦も多い。そういう人たちにとっては、地縁血縁があまりない土地で孤独に子育てすることになる。子育ての大変さをひとりで抱え込んで、頼る人も少ない状況のお母さんは意外に多いのだ。
そこでそんな悩みを持つお母さんに取材し、特集を組んだ。赤ちゃんに優しいまちにするにはどうしたらいいか。みんなで考えようと呼びかけた。すると、思ったよりずっと多くの反響があったそうだ。私も感じていました。とても共感しました。そんな声が寄せられ、大垣さんたちは手応えを感じている。
この広報誌はなんと、WEBでも読めるのでざっと見てみるといい。広報誌としての賞も取ったことがあるそうで、非常によく編集構成されており、デザインも素敵だ。
実物はこんな感じ。手に取った感じもいい。
広報のお二人とお話ししたあと、なんと市長さんも会いたいと言ってくださっているという。歴史ある町の市長さんなら、白髪の年配の方だろうとイメージしてお会いしたら、意外にもぼくよりお若い青年市長だった。小紫雅史市長は、以前は霞ヶ関の環境省で働いていたというのでてっきり出向してそのままいついたのかと思ったら、たまたま副市長の公募があって応募したそうだ。コネも何もなく、純粋に何名もの候補の中から選ばれて副市長になった。数年働くうち、前市長が県知事選に出馬することになり、後任として立候補して見事当選したのだそうだ。
地縁がない分、肩書きにあぐらをかいている感じがない。常に真剣に、改善を考えていることが伝わってきた。小紫市長は広報誌の育児特集について「彼女たちは私に事前に何も教えてくれないでいつの間にかこんな特集組んでたんですよ」と、嘆いているようなことを言いつつ、いいテーマだと思っていることがありありと感じられた。大垣さんのことを「彼女みたいにクレイジーな人が行政には必要なんですよね」と、けなすようで褒めている。"クレイジー"とは、ぼくが前にブログにアズママの甲田恵子さんのことをそう見出しに書いたことをとりあげてくれて言っているらしい。
小紫市長は、ぼくの訪問に備えて事前に一通りのブログ記事に目を通してくださったようなのだ。かなりの量なのに、光栄なことだ。
市長と一緒に、障がい福祉課の石倉さんと子育て支援センターの三原さんも同席してくださり、保育だけでなく生駒市の福祉全体の話もうかがった。ぼくが取材しているのは保育関係だけだが、福祉に関わる事柄だけでも多岐にわたる領域があり悩みがあることがよくわかった。行政とはほんとうに大変な仕事だと思う。
せっかくだからと、記念写真を撮らせてもらった。市長にはぼくの本を持っていただいたので、ぼくは生駒の特産品である茶筌を手に持った。さすが、歴史ある町だなあ。
市役所の訪問はほんの2時間ほどだったが、何かたくさんのものをもらった気がする。東京でMacに向かって記事を書いているだけではわからないこと、東京の保育の取材からは見えてこないことを受けとることができた。
赤ちゃんに優しいまちをめざしているのは、東京だけではない。日本中の町で日々、ママたちが育児について悩み、苦しみ、抱え込んでしまっている。あるいは一緒に乗り越えていきたいパパたちも困り果てている。育児は社会みんなでやるものだ。それを忘れたのは東京だけではない。日本という社会全体が忘れている、ということだろう。
今年、札幌と福岡から声をかけてもらって講演をしたのだが、日本中に育児の悩みがある。そして生駒市の大垣さんたちのように、それを乗り越えるための呼びかけをしている人たちもいる。
ぼくたちはいまやっと、社会として育児に向き合おうとしているのだ。そうしなければならないことに気づくまであまりに時間がかかりすぎ、この国の人口ははっきりと減少をはじめた。
だから生駒でも、札幌でも福岡でも、もちろん東京でも、社会は育児を迎え入れなければならない。社会活動のもっとも重要な要素として、育児を捉え直さねばならない。いちばん大事だったはずなのに、いちばん端っこに追いやってしまっていた。社会全体の問題なのに、お母さんだからやんなさいよと押し付けていた。
大垣さんが編集した広報誌「いこまち」を開くと、「赤ちゃんに優しいまちになるために」という特集のタイトルが目に飛び込んでくる。ああ、ぼくはあのブログを書いてよかったなと思う。そうやってぼくたちは、影響しあいながら「育児という宿題」を発見し、共有する。共有が拡散して広がっていけば、きっとそれぞれの地域で解決へ向かうのだと思う。
市役所を出てぼくは、ケーブルカーの駅に向かった。憂歌団が唄った昔の色街の跡を見に行きたかったのだ。大垣さんと、筒井記者が案内してくれた。ケーブルカーの駅でお二人と別れ際に写真を撮った。
ぼくたちがまた会うのかどうか、わからない。でも不思議なことに、ぼくがブログに書いた記事を、大垣さんが広報誌で記事に書き、それを筒井記者が新聞の記事にした。そのことを聞いてぼくは生駒にやって来た。記事が連鎖反応を起こしたから、この写真がある。だからこれは、拡散の証、なのだ。この写真の向こうには、また新たな拡散が広がるのかもしれない。だとしたら、この短い訪問にも先々まで波及する意味があるのだろう。そう考えると、けっこう意義深い写真なのかもしれないね。
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コピーライター/メディアコンサルタント
境 治
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