10月14日、ホリエモンこと堀江貴文氏がTwitter上で「保育士は誰でもできるから給与が低い」と発言したことで物議を醸した。(僕は正しいと思う。理由はTwitterで)
これに関連して、偉そうな人たちが「こうでこうだから給料が上がらないんだ」「給料をあげるためにはこうしたらいい」などと語っている。だが、これらのほとんどが現場の保育士の"いま"求めているものではないと感じる。
いち保育士として現場に立っている僕が、多くの保育士の代弁をさせてもらいたい。
そもそも、保育士の不満は"給料ではない"。
一般の人が「保育士」と聞いて何を連想するだろうか?いろいろあると思うが、その1つに「低賃金」というワードが浮かぶことと思う。これは保育士をしている人、保育士を目指している人たちも同様だ。だから、「保育士=低賃金」ということは重々承知のうえで、この業界に飛び込んでいる。なので、今さら「給料が低い!知らなかった!」などと怒っている人はいないし、いるとすれば社会勉強を怠ってきた人だ。
では、何が本当の不満なのか?
保育士のほとんどが抱えている大きな不満は「負担の大きさ」である。
給料に対しての負担の大きさ。これが本当の不満だ。「つまり給料が低いってことだろ?」と思う方がいるかもしれないが、それは少し違う。
冒頭で述べたような「こうでこうだから給料が上がらないんだ」「給料をあげるためにはこうしたらいい」などという、"いつ叶うのか分からないような空論"に、保育士は飽き飽きしている。とりあえず、まずはこの負担の大きさを削ってほしい。そう考えている。
実際、負担を削る方法はいくらでもある。
「遊んでいるだけ」と思われがちな保育士だが、その裏には様々な業務がある。
・保護者への連絡帳
・保育日誌
・年間案
・月案
・週案
・日案
・園便り
・児童票 ほか
書き物を少し挙げるだけでこれだけある。
これに加えて、壁面構成(壁に貼る飾り)や行事の準備、日々の活動の準備など、子どもと遊ぶこと以外の業務が山ほどある。壁面構成なんて一体誰が見て喜ぶのかわからないが、ここでは触れないでおく。
さらに問題なのが、このほとんどを「手書き」「手作業」でやっていることだ。中には「間違えても修正テープ禁止!一から書き直し!嫌なら鉛筆で下書きをしろ!」というところもある。これは冗談ではなく、実際にそういった園が少なくない数あるのだ。
リクルート社の「キッズリー」をはじめ、様々な便利で使いやすいソフトがある中、それらを採用する園は少ない。なぜ採用しないのかといえば、年配の園長や経営者が「デジタル」を怖がり、多くの保育士が「変化」を拒むからだ。
例えば、上で挙げたうちの「保育日誌」は手書きでやれば何十分もかかる。これをパソコンやスマートフォンで入力すれば劇的な時間の短縮に繋がる。時間が短縮されれば他のことに時間を使えるので、当然残業は減るし負担も削ることができる。
何度もいうが、これを実施するためのソフトはすでにあるし、無料で配布しているところも多い。
なぜ、このような思考停止状態が蔓延しているのか。
業界全体として、「面倒くさいこと」「大変なこと」を"美徳"として捉える傾向が強い。だから「大変だ」「辛い」と言いながらもそのやり方を改善しない。「仕方のないことだ」「どうにもならない」と諦めている。そもそも、先述した通り負担が大きすぎるので、そんなことを考える余裕すらないのが現状だろう。
保育士は「変化」を拒むと言ったが、それは例え新しいやり方に慣れる一定期間であったとしても「もうこれ以上負担が増えるのは耐えられない」と感じているからだ。
そして、最も癌になるのが長年その古いやり方に固執してきた園長・経営者・おつぼねで「私たちがこうだったから、あなたたちもこう」と、何も考えずに若手や新人、実習生である学生に強要をする。意見をしたら人間関係の悪化に繋がるのではないかと恐れ、「私たちの代でやり方を変えよう!」という勇気のある者が出てこない。
給料が上がるなら、それは大変嬉しい。
だが、いくら上がったとしても負担が大きすぎるせいで、結局は不満を抱えたままだ。給料が上がったから解決する話ではない。こういった、今すぐにでも解消できる部分が無くならない限り、保育士は変わらない。
いつ叶うのか分からない「賃金値上げ」よりも、目の前の「負担軽減」。
負担が軽減されると、ようやく「専門性」を高める余裕を持つことができ、それが賃金値上げに繋がる。
これこそが、保育士たちが"いま"願うものではないだろうか。
行政にその責任を押し付けている園長・経営者は、今すぐにでも保育士の負担軽減について考えて、行動をしてほしい。書き物のデジタル化、無駄な制作物の撤廃など、できることは多くある。
新しいやり方が浸透するまでの間くらい、現場に顔を出して保育士の手伝いをしたらどうだろうか。何度でもいう。今すぐ改善できることばかりなのだ。