【昭和天皇実録】10歳のときに創作した寓話「裕仁新イソップ」とは

「昭和天皇実録」には10歳の時に昭和天皇が創作した物語「裕仁新イソップ」や、当時の遊び「クロックノール」についての記述も盛り込まれた。

宮内庁が9月9日に公開した「昭和天皇実録」には、10歳の時に昭和天皇が創作した物語や、当時の遊びの様子なども盛り込まれた。あまり知られていない幼少時代の昭和天皇の様子が詳細に記されており、貴重な資料となっている。時事ドットコムなどが報じた。

当時10歳だった昭和天皇は物語を創作し、1912年3月16日に「裕仁新イソップ」と命名した。第1作の「海魚の不評」は、ホウボウ、タイなどが集まり、それぞれが他の魚の才能をねたみ、自身の不遇を述べ合うのを、ウナギがたしなめる内容。自分よりも不幸な者がいるときは、身の上の不平を言うなとの訓示も書かれているという。

 

続いて「二匹のはや」と題する物語を書き始めたが、途中でやめた。他に、日照りが続き水がなくて非常に苦しんでいるハヤをカエルが見つけて気の毒に思い、水のある所まで連れて行って助けたという「鮠(はや)と蛙」や、「魚の釣」との作品もあった。

 

(時事ドットコム「動物主人公に寓話=少年時代、日記や手紙も-昭和天皇実録」より 2014/09/09-06:05)

昭和天皇は1901年(明治34年)4月29日、東京・青山の東宮御所で生まれた。名を「裕仁(ひろひと)」、幼少時の称号を「迪宮(みちのみや)」と称した。

生後70日で枢密顧問官の川村純義に預けられた昭和天皇は、沼津御用邸で養育される。6歳(1908年)で学習院初等科に入学すると、院長の乃木希典(陸軍大将)の教育を受けた。昭和天皇実録には、初等科時代に書かれた昭和天皇の手紙の内容も収められている。

9歳だった10年9月15日には「御夕餐後、皇太子・同妃に宛て、葉山御滞在中の御日常を小田原の絵葉書三枚を用いて認(したた)められる」とある。「迪宮(昭和天皇)もじようぶで 毎朝すこしおさらひをして それから山や野原などへあみを持って 虫とりにでてうんどうをします」といった内容が原文のまま紹介されている。

 

(時事ドットコム「幼少期の手紙、鼻の手術=クリスマスにプレゼントも-昭和天皇実録」より 2014/09/09 06:04)

また、この頃の遊びについても記述がある。なかでも当時大変熱心にされていた遊びに「クロックノール」というものがあったという。

実録には例えば、8歳当時、沼津御用邸の学習院仮教場で3学期の授業が始まった1910(明治43)年1月、「午前は学習院の授業、午後は御用邸内においてジャーマン・ビリヤード、人取り、玉鬼、相撲、クロックノールなど種々のお遊び」との記述がある。

 

クロックノールについて、学習院大学史料館の長佐古(ながさこ)美奈子学芸員は、ゲートボールの原形とされる「クロッケー」の可能性があると推測する。

 

(毎日新聞『昭和天皇実録:謎の遊び「クロックノール」』より 2014/09/09 05:50)

このような子供らしい記録の反面、一人の少年がいかに天皇となるべく教育されていったのかを知る記述もある。養育主任の川村純義は当初から「教養も世界的」であるべきだと主張。「英仏其他(そのた)重要なる外国語」の習得を希望した。明治天皇崩御によって11歳で皇太子になると、陸海軍少尉に任官。本格的な軍事教育が始まったという。

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