見えていますか? 子どもの貧困 その② 地域で支える石巻市の子ども食堂

子どもの貧困対策として、注目を集めている。
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子どもの貧困対策として、もう一つ注目を集めているのが「子ども食堂」だ。「取材するなら石巻市の取り組みを」という助言を得て、石巻市を拠点に活動するNPO法人TEDICの門馬優代表理事を訪ねた。

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TEDICのスタッフのみなさん

─なぜ、この活動を?

私は、石巻市の湊という海沿いの町の出身なんです。石ノ森萬画館のすぐそばで、東日本大震災では大津波が押し寄せたところです。当時、私は東京在住の大学4年生で、4月からは教職大学院に進学が決まっていたんですが、祖父母や幼なじみが身を寄せる避難所に飛んで帰った。そこには被災した子どもたちがたくさんいました。再開できない学校も多く、不安な生活を送る子どもたちのサポートをしたいと、大学院の仲間に声をかけて立ち上げたのがTEDICの始まりです。活動は8月で一旦区切りをつけようと考えていたんですが、ちょうどその8月に、中学3年の男の子に出会い、「震災がきて、救われた」という言葉を聞いてしまった。

自宅は全壊、近くに住む親戚も亡くなったのにどうしてそんなことを言うのだろうと話を聞いてみると、中学1年生の時から不登校で、時を同じくしてお父さんがリストラにあって、専業主婦だったお母さんがパートの仕事に出たけれども、お父さんは昼間からお酒を飲むようになってお母さんに暴力をふるうようになった。高校生の姉は、こんな家にいたくないと家出、家族が壊れてしまった。彼はそんな状況の中でも、自宅に引きこもることしかできなかったのですが、震災によって、ある意味では強制的に外に放り出され、たまたま避難所で支援者に声をかけられて、何気ない会話をしていく中で、少しずつ元気を取り戻していった。それが「震災がきて、救われた」という言葉になって口に出たんです。そして、「自分はラッキーだと思う。全国には、自分と同じように悩んでいる子がきっといる。今度は自分が支える側にまわりたい。勉強して高校に行って大学に進学したい」と。

彼の置かれていた状況は、今まさに問題とされている「子どもの貧困」の状況、そのものでした。彼が言うように、地域にはそういった状況に置かれた子たちが実はたくさんいます。私たちが気付かないのか、見て見ぬふりをしているのか、でも確実に声を上げられずにいる子どもが地域にはいます。

子どもたちに、こんな言葉を二度と言わせてはいけない、どんな境遇に生まれようとも、すべての子どもが「生きてて良かった」と思える社会をつくりたい。それで東京の大学院に通いながら、石巻でTEDICの活動を継続し、修了後は石巻に拠点を置いて本格的に活動を始めたんです。地域の力を結集して、地域の中で支え合える仕掛けを創っていこうと。

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-その仕掛けの一つが「子ども食堂」...。

そうですね。「ていざん子ども食堂」は、が主催となっていますが、実態は、学校と町内会と社協との者の協働運営です。食材を集め、料理を作り、子どもたちと関わってくださるのは、地域住民のみなさん。私たちはその取り組みをコーディネートし、サポートしている。同様の形をモデルにしながら、現在市内カ所で子ども食堂が開設されています。地域の子どもたちに関心を持ち、子ども食堂や居場所に関わってくれる地域の方々を巻き込んでいく。それも大事な仕事だと考えています。学校が積極的に関わってくれているのも、「ていざん子ども食堂」の大きな特徴です。地域の子どもと地域の大人の縁の紡ぎ直しをする「子ども食堂」だと位置づけています。

トワイライトスペースも子ども食堂も、やっていることはすごくシンプルです。一緒に勉強して、ご飯を食べて、トランプをして、誕生日会や季節の行事をすることもあります。でも、そんな家庭でごく当たり前に行われていると思われていることが、子どもたちにとっては、当たり前ではなかったりする。本当に大事な時間になっているんです。

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─これからの課題は?

私の担当は、深刻で複雑な問題のもとに置かれている子どもの元へアウトリーチ(訪問)し、支援につなげることです。小学校年の君は、小学校に通っていなかった。母親は、離婚再婚を繰り返し、肝臓病とうつ病を患い、家事もままならない。君は満足に食事もできず、コンビニやスーパーで補導されそうになることもしばしば。そこから訪問を始めて、私を含め医療や福祉、教育の関係者十数人が関わって、就学、母親の治療や支援制度の利用を進め、やっと学校に通えるようになり、トワイライトスペースにも来られるようになった。ここまで年半かかりました。

こうしたケースでは、さまざまな関係者が情報を持ち寄り、働きかけの仕方、接触のタイミングなど、役割分担や関係機関連携をして、取り組まなければなりません。声なき声に出会うためには、そうした地域のネットワークをつくる必要があると考えています。学校、教育委員会、スクールソーシャルワーカー、スクールカウンセラー、保健師、医療機関、福祉事務所、生活困窮者自立支援相談窓口、子育て支援課、虐待防止センター、児童相談所など、地域の関係機関のネットワークが築かれることで、アウトリーチが必要な深刻なケースの支援に動くことができます。そこまで取り組まなければ、出会うことができない子どもたちがいるからです。

※本文中のケースは、個人が特定されないように、複数のケースを組み合わせて、構成し直しています。

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 門馬 優

NPO法人TEDIC 代表理事

貧困・格差を解消し、ともに支え合う社会を

日本では、子どもや子育ては「家庭の問題」という意識が強く、それが子どもの貧困問題への対応を遅らせてきた。介護については、家族だけでは支えきれないと、年に介護の社会化をめざす介護保険制度がスタートしたが、子ども・子育て支援の政策の充実は民主党政権が誕生してからであり、その遅れが深刻な少子化、子どもの貧困を招いてきたのだと思う。

第のセーフティネットとして生活困窮者自立支援制度が創設され、子どもの学習支援事業などが貧困の連鎖防止策と位置づけられ、地域での福祉や教育機関の連携が広がっていることの意義は大きい。

連合も、地方連合会と労福協が連携して生活困窮者自立支援の事業やフードバンクなどの事業に関わっている。地方連合会や単組では、地域の児童養護施設にボランティアに入ったり、寄付などの支援も行っている。

政策的には、まずは非正規労働者の処遇改善などの安定雇用の実現や、社会保険の適用を拡大することだ。また教育費の家計負担が重すぎるという問題もある。さらに税制の所得再分配機能の強化なども組み合わせて対策を進めていく必要がある。

貧困問題を解決していくことは、一人ひとりを大切にする世の中にしていくこと。そう考えて取り組みを進めていきたい。

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平川則男

連合総合政策局長

スタッフは全員平成生まれの代。東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻市の避難所で活動を始めた、早稲田大学教育大学院()の学生によるボランティア活動が発端。年に法人登録。メイン事業は、トワイライトスペース(生活困窮者自立支援制度に基づく学習支援、週日市内カ所で開設)、ほっとスペース(不登校児のためのフリースクール)。

また、学校・地域と協働し、校区内に子ども食堂など「こどもの居場所」をつくる取り組みや、関係機関と協働し、困難なケースを支える取り組みも行い、関係機関をつなぐ役割を果たしている。