子どもの「食育」は、誰のために行われているのか

「食育」が迷走してしまったのは、なぜだろうか?
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Students in protective kitchen attire serve lunch to their classmates at the Dai Nana Sunamachi Elementary School in Tokyo. (AP Photo/Toru Takahashi)
ASSOCIATED PRESS
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■ 迷走する食育

平成17年に『食育基本法』が施行され、国民の心身の健康を支援するために「食育運動」が推進されることになった。子どもの頃からの食習慣が重要であるとされ、保育所や学校、家庭を中心に食育を進めるというものだ。

特に義務教育では、食育推進の中核的な役割を行う職種である栄養教諭という新たな資格が創設され、栄養士・管理栄養士が直接子どもに対して食育授業(担任との連携が必要)やアレルギーを持つ児童・生徒に対する食事指導などを行えるようになった。

しかし、現実に行われている子どもの食育の内容を見ると、全国的に統一されておらず、まったく根拠のない情報や、特定の主義主張に偏った情報が紛れ込んでいる。

このように「食育」が迷走してしまったのは、なぜだろうか?

■ 食育基本法の条文

まずは、食育基本法の条文を見てみよう。

前文では、食育により身に付けるべき能力として『「食」に関して信頼できる情報に基づく適切な判断を行う能力』を挙げ、家庭や保育所、学校、地域等が推進せよと謳っている。

第七条 より

食育は、我が国の伝統のある優れた食文化、地域の特性を生かした食生活、環境と調和のとれた食料の生産とその消費等に配意し、我が国の食料の需要及び供給の状況についての国民の理解を深めるとともに、食料の生産者と消費者との交流等を図ることにより、農村漁村の活性化と我が国の食料自給率の向上に資するよう、推進されなければならない。

本来、子どもの食教育においては、健康維持や健やかな成長を目的に、栄養学の知見を踏まえて科学的に妥当な情報を伝えることが何よりも最優先されるべきだ。

しかし、食育基本法には、評価の難しい「伝統」や「食料政策」なども同等に大切な問題として取り組むように書かれている。食育において「健康」や「栄養」という観点の他にも、「食料生産」や「文化」等にも配慮するべきであるというのはその通りで、異論はない。しかし、それらはあくまでも「従」であり、子どもが健康に成長していくために必要な栄養の知識よりも優先されるべきではないだろう。

ところが、公的教育の中で行われているような食育にも、栄養学的な正しさよりも、文化の継承や食料自給率の向上が主たる目的となっていると考えられるものが数多くあり、それが自治体レベルでも推奨されているという現状がある。

その代表的な事例が、極端な「米飯給食」の推奨だろう。

■ 米飯給食の推奨

米飯給食は、昭和51年の「学校給食法施行規則等の一部を改正する省令」により、学校給食制度上でも明確に位置付けられ、これまでのパンを中心とした給食から米飯を主体とする給食への転換が図られた。

昭和51年には平均して週に平均0.6回であった米飯給食は、平成19年には平均3.0回となり、現在では平均3.3回以上が米飯給食だ。献立の多様性を考えると、今の水準でも十分すぎるくらいだと私は考える。ところが、中には「完全米飯給食」実施する自治体もあり、米飯偏重ともいえるような状況になりつつある。

子ども向けの食育教材には「米飯食のよさ」が書かれていることが多いのだが、その内容には誇張や虚偽が少なからず含まれている。具体的に言うと、たとえば農林水産省の「めざましごはん」のページを見ると、ごはんのよい点として、「ごはんそのものは食塩を含まない」ことが挙げられているが、ごはんを主食とする食事はトータルで食塩摂取量が増える傾向にあることはよく知られている。また、腹持ちがよいなどの栄養面での利点が米飯特有のものかのように誇張されている教材、パン食や食の洋風化が非行やいじめの一因だから米飯給食で改善できるというような全く根拠のない虚偽の記載がある教材もあるのだ。

つまり、子ども健康のためと謳いながら、実際には食育が「食料自給率」や「米消費量の向上」のための方便として利用されているのではないだろうか。

もちろん、食育を通して子どもが食料自給率問題について考える機会は大切であるし、主食穀物としての「米」の優れた点を学ぶことは悪いことではないが、パンや小麦製品などを不当に貶めるような表現やウソの記述は不要なものだろう。

以上のように米飯給食の推進の目的の一つは、米の消費量アップだと考えられるので、米飯給食回数と米消費量の推移を比較してみたい。

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米飯給食の割合を増やしてから30年以上が経つが、国民の米消費量は減少の一途をたどっている。つまり、米飯給食を導入したことで米の消費量を少しは上乗せできているとしても、給食で使用する量は米の目標生産量の1~2%程度であり、さほどの効果はないと言える。となると、子どもの食の選択の幅を狭くしてまで、完全米飯給食を行う必要はないのではないか。

しかし、現在も食育界隈では米飯給食の推進が続いている。

■ 親への重圧

このような伝統や文化の継承や食料政策などの思惑が絡む現在の食育は、子育て世代に不要な心配や負担をかける要因になっている点も問題だ。

「朝ごはんを食べよう」という、一見よさそうな食育テーマを例に考えて見よう。

成長期の子どもは体の大きさの割に必要な栄養量は多いのだが、一度に食べられる食事量は大人に比べ少ないため、栄養学的に考えると毎食しっかり食べることが望ましい。朝食はしっかりと食べるにこしたことはない。

しかし、「朝食をとりましょう」ではなく、「食事は母親が手作りするべき」、「伝統的な和食がよい」というような規範を押しつけてくるようなものも存在する。

子どもが朝食を食べないと一口に言っても、その理由は様々だ。塾や部活動などで就寝が遅いために朝寝坊しがちで食事時間が確保できない、体質的に朝はたくさん食べられない、親が朝食を用意できないなど。つまり、それぞれ異なる対策が必要である。近年は共働きの親が多く、残業などで生活時間が夜型にシフトする子育て世帯が多くなっており、それが朝食欠食や朝食の用意を難しくしている大きな要因だろう。

こうした社会的な要因を放置したままで、子どもの欠食は家庭に問題があるとばかりに責任を押しつけても根本的な改善には繋がらない。近年、朝食欠食率は改善傾向が見られるが、多くの親たちが子どものために努力しており、無理にでも朝食を用意し、学校に送り出していることの現れだろう。多くの親(主に現状では母親)は真面目に子どもの健康を考えているが、食育で謳われているような「子どもにとってよいこと」に敏感な親は、真面目に考えすぎて無理をしてしまう傾向があるのに、重圧をかける必要があるだろうか?

国民運動としての食育を謳うのであれば、親個人に不要な重圧をかけるのではなく、子育て世代が残業せずにすむような環境の整備など、社会の側から問題を解決するということにも取り組んでほしいものだ。

■ 根拠なき情報の氾濫

そして、現在の食育の最大の問題点は、根拠のない情報が多く含まれていることだろう。

食育を謳う書籍だけでなく、本来なら正しい知識を啓蒙すべき幼稚園や保育園などで行われる食育講義にも、少なくない割合でデマが紛れ込んでいる。

たとえば「玄米菜食がよい」「肉や砂糖、牛乳は毒」「加工食品を食べると病気になる」「親の不摂生によってアレルギーになる」、「発達障害は親の不規則な生活や、食の欧米化が原因である」などは、すべて科学的・栄養学的な根拠がない。

このような不安を煽る根拠のない情報は、真面目なご両親の子どもを思う気持ちや、言われのない罪悪感につけこんで広まってしまう。特に子どもにアレルギーや発達障害などがあると、つい信じてしまうということがある。

しかし、根拠の無い食事法や健康法をうっかり信じて実行すると、貴重な労力やお金が無駄になるばかりでなく、栄養が偏ることによって子どもの成長が阻害されたり、病気になったりしてしまう危険性さえあるのだ。

子どもにとって本当に必要な栄養と食事については、厚生労働省によって『食事摂取基準』や『食事バランスガイド』(農林水産省と共同)などが作成されており、ここから大きく外れていなければ大抵は問題ないと考えられる。子どもは精密機械ではないので、食欲がない日もあれば、たくさん食べる日もあるだろう。そうした子どもの状態にあわせ、偏った食事が続かないように配慮をしてあげるのが大人の役割だ。

しかし、残念ながら、この当たり前のことを伝える食育関連の書籍や食育教材は少なく、子育て中の親が妥当な情報にたどりつけるかどうかは運任せという状況である。だからこそ、拙著『管理栄養士パパの親子の食育BOOK』には、本当に当たり前のことを書いた。

繰り返しになるが、食育において、「栄養学」よりも「伝統」や「食料政策」を優先したり、必要以上に親に重圧をかけたり、根拠のない(はっきりしない)情報を広めてはいけない。

食育は、子どもの発育と健康を守るためのものであるべきで、それを実現するために必要なのは正しい知識の啓蒙と社会環境の整備だ。偏った思想、栄養学的に間違った主義主張、商売が持ち込まれている現状は、改善していかなければならないだろう。

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著者/訳者:成田崇信

(2015年9月10日「SYNODOS」より転載)

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