"「人間」という生き物は、どこまで残酷になれるのだろうか。"
私は、大学2年時に学生NGOバングラデシュ国際協力隊を立ち上げて以来、児童労働問題に大きな関心を持つと共に、その改善に向けてバングラデシュ現地・日本国内両方で様々な活動に取り組んできた。
2015年9月の第三回現地渡航では、「ストリートチルドレン対警察の相互理解・関係改善」を目的としたプロジェクトの実施、また2015年6月12日の児童労働反対世界デーに行った早稲田大学での講演では、教室とバングラデシュ現地の青空教室をSkype(ビデオ通話)で繋ぐ取り組みも行った。それほど、私は児童労働に対し大きな問題意識を抱いていた。
(現地でのプロジェクトの様子(2015年3月の現地渡航より))
児童労働は、ILO138号条約・182号条約に基づき4つの形態に分類され、中でも子ども兵は「最悪の形態の児童労働」へと分類される。
これまで様々な文献や映像を通し、子ども兵問題に対する理解を深めてきた。知れば知るほど、その不条理さに圧倒され、悲しさと悔しさに打ちひしがれてきた。
良くも悪くも想像力と感受性が人一倍強い私は、世界中で起こる様々な出来事に対し、そこに自分との「繋がり」を見出そうとする。しかし、子ども兵問題はあまりにも不条理な問題であるからか、それは私の中で「どこか遠くの国の問題」であり続けていた。
決して無関心であるわけではないが、その問題に対する「イメージ」は私の中でぼんやりとしたものであり続けた。今回、その「イメージ」(=問題意識)を私の中でより明確にしようと決意し、ウガンダ北部で元子ども兵の社会復帰施設を運営する認定NPO法人テラ=ルネッサンスを訪問した。
(テラ・ルネッサンス入口にて筆者撮影)
ウガンダ北部における「子ども兵問題」
ウガンダ北部では1980年代から20年以上続いた紛争の影響により、人間としての基本的ニーズを満たせず暮らす人々(1日1.25$未満)が未だ半数以上残っている。
(ウガンダ北部にて筆者撮影)
90年代半ば以降、反政府軍である「神の抵抗軍(以下LRA)」による村の襲撃や子供の誘拐が多発し、約180万人の北部住民が国内避難民としての生活を余儀なくされた。
LRAは戦力補強の為、毎晩のように村や国内避難民キャンプを襲い子供を誘拐、これが「子ども兵」問題に繋がる。LRAは推定66000人の子供を誘拐、兵力の約8割を子ども兵に頼っていたとも言われる。
子ども兵は水汲みや食事の準備といった雑用から、政府軍との戦闘・村の襲撃・新たな子供の誘拐まで担わされた。また地雷原を渡る際の「人間地雷探知機」として利用されるケースや、少女兵の場合、性的な奴隷として使われたケースも多く存在する。
「LRAは子ども兵を洗脳するために、自分の手で、肉親や兄弟、親戚を殺させるんだ。」
施設長のJimmyさんはそう語る。
(筆者撮影)
"家族を殺す"事は、脱走を防止するためのLRAによる一つの手段にもなった。時には自分の手で母親の腕を切り落とす行為や、家族の鼻や耳、唇を削ぎ落とすといった残虐な行為も強要された。
そして、子どもたちの「帰る場所」は無くなった。
(筆者撮影)
「「子ども兵」として、生きた。~認定NPO法人テラ・ルネッサンス訪問~(後編)」へ続く
写真提供:認定NPO法人テラ・ルネッサンス
参考文献:『ぼくらのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?』小川真吾(著)
(2016年1月30日 「ウガンダ北部における子ども兵問題と元少女兵へのインタビュー-テラ=ルネッサンスを訪問して」より転載、一部修正・加筆。)