「地域活性化」や「町づくり」という名目で、多額の補助金を注ぎ込んで進められる公共事業。しかし、鳴り物入りで建物がオープンしてみるとテナントは埋まらず、客足も売上も見込んでいた目標に届かない。建物のライフサイクルコストは総工費の4〜5倍かかるといわれ、建設費用に300億円かけた場合はその後、1500億円が必要となる。巨額の維持費用は地元自治体が補填、やがて住民の生活に重くのしかかるという悪循環へ−−。
そんな公共事業の失敗例を「墓標」と呼んでレポートを発表しているのが、エリア・イノベーション・アライアンス代表理事の木下斉さんだ。各地で地域の再生を手がけ、公共事業の現場で実践してきた。安倍内閣は「地方創生」を大きな目標に掲げ、12月27日にはその「長期ビジョン」と「総合戦略」を閣議決定した。
2015年からは本格的に「地方創生」へと動き始めるが、全国で「墓標」を生み出してきたこれまでの地方支援と同じ轍を踏まないようにしなければならない。そこで、「墓標」の数々をつぶさに見てきた木下さんが必要性を説くのが、「稼ぐインフラ」への転換だ。地方にとって今後、何が本当に必要なのか。木下さんに聞いた。
■これまでの地域活性化には「失敗例」がひとつもない?
−−「地方創生」の話の前に、安倍首相が石破地方創生相にこれまでの地域活性化関係の政策を検証するよう指示したそうですが、各省庁からは見事に失敗事例がひとつも上がってこなかったそうですね。「なかなかこれは失敗作でございましたということを言いにくい」と石破大臣も10月の会見で述べていました。その上で、今回の「地方創生」があるわけですが……。
従来の地域再生法がうまくいっていないことを反省せずに、新たな戦略を立てていますよね。地域創生の基本戦略を組み立てる際には、地域再生法の失敗をまず理解しなければうまくいくはずがありません。まず、これまでのように計画を国から都道府県へ、さらに市町村に、と上から下に落としていって予算をつける方法で、うまくいった試しがないわけです。いくら地方に自由度を高めるといっても、国が指針を出して、予算まで組み立て、それにおける参考事業まで紹介していたら、皆同じことをやることになりますよね。時間もないですし。
もしも、地域創生を本気でやるんだったら、計画を立てて、国から都道府県、市町村へという枠組みをまず止めるのがスタートです。では、どうすればいいのか。国も都道府県も市町村も、現場の民間が勝手にやることを邪魔しないというのが大事。計画を立てることも邪魔なんです。その計画に添わないとか邪魔が入ることがある。そういうのを一回、全部やめないといけない。
ですので、各地域独自にやれる民間事業のリストを作って、それらに投融資をする金融機関へ支援するなど、より割りきった金融支援策に全て切り替えるくらいの思い切った判断が必要です。各事業で利益を出すことを優先で手続きなどは全て行政側で行って、民間には事業に集中させる。それこそが地域にとっては活性化のエンジンとなり、安定雇用も増え、自治体財政の税収増にもつながるわけです。
今回のように計画行政の枠組みのまま、予算を配って展開してしまうと、過去と同じことになってしまうでしょう。残念でなりません。せっかくの臨時予算であるからこそ、様々な公共サービスに投入しなくてはならない予算と分離されているわけですから、思い切った運用で地方に稼ぐ力を生み出すべきと思います。
廃れる地方の商店街。再生できるのか?
−−衆院議院の解散直前に、地方創生に関する法案が先の臨時国会で2014年12月に可決成立しました。そのひとつが、これまで各省庁でバラバラに行っていた支援策を総合的に運用する目的の「地方再生法の一部を改正する法律」です。この概要には、「やる気のある地域に対して集中的に政策資源を投入」と書かれています。さらに12月27日の閣議決定後の会見で、石破大臣は「地方創生の先行的な取組を支援する新しい交付金措置を盛り込んだ緊急経済対策や地方財政措置などの「財政的支援」により、地方公共団体を支援する」としています。これは、これまでの方法と同じようにも見えますが?
そうですね。違いを見つけるのが難しいです。これまでも国が全体方針を出しつつも、細かな内容については地方自治体側に計画を立ててそれを国が認定し、支援するという形式は採用されてきたわけです。しかしながら、地方再生法を筆頭に様々な基本計画を組み立て、それに補助金や交付金を出してきましたが、結局のところ地方の再生という意味ではほぼ効果はなかった。だからこれも大きく転換が必要なわけです。
活性化計画では、すぐに予算金額と経済効果ばかりが評価されます。しかし、これはまやかしです。沢山の予算を提供しても、その対象事業が儲けのでないような事業であれば意味がありません。ところが、これまでは行政の予算は儲けてはならない、民間にはできないことを行政がやるといって全て赤字事業に予算をぶち込んでしまったわけです。結果、地域には何も残らなかった。経済効果も結局のところは、その事業での伸び幅ばかり強調されますが、需要の先食いであったりして、負の経済効果もありますが、それは評価されません。
もっと実益に叶うやり方をしないと地方再生はムリなのです。地方でしっかり活力を生み出している事例は、地域のものを都市部で販売したり、地域に来訪する人を増やして彼らを相手に商売をするなどして、雇用を生み出し、企業として利益を出して民間から資金調達を達成している取り組みです。
だから先に述べたように、交付金・補助金をそのまま民間に流して、しかも儲けてはいけないみたいな話ではなく、返済義務・利回りを生み出す義務のある金融支援策のほうが有益なのです。地方だから何やっても儲からないなんてことはありません。難しくても、不可能ではなく、そこと向き合って知恵をだすしかないのです。もし、これを行わないのであれば、いつまでも支援をもらい続けるしかなくなってしまいます。
予算の使い方が、もしも今までと同じで配って終わりだとしたら、僕は従来通り地方に予算がつきました、けどあれは何だったのだろうか?と数年後に皆で頭を抱えることになると思います。つまり、予算を使った時は「こんな事業でこれだけ経済効果が生まれました」ということばかり出されるけれども、実質的に地域においては一過性でしかなく衰退トレンドは変わらないという「不都合な真実」が残るだけなのです。
「不都合な真実」? 廃れる地方の商店街
−−なるほど。だから、石破大臣のもとには「失敗例」が報告されなかったわけですね。
まぁ上司に失敗事例報告とかしないですよね。けど、逆にいうと、失敗を認められない人たちに改善なんて無理なんですよね。不都合だけど、何兆円の予算を地方に投資したけど、再生しなかったわけです。私が専門としている中心市街地活性化などでは、平成16年に総務省行政評価局がその施策の失敗を指摘したことはありました。
かなりの例外ですが、こういうのをもっとちゃんとやらなくてはならないのですよね。この問題指摘から法律改正などにもつながったのですが、その後でも成果はこれといって生まれていません。結局のところ、もはや現場のほうで最先端で、官僚や政治家が地域再生をやる時代ではないのです。これは一部の官僚、政治家も当然気づいています。しかしまだ従来の方法を抜本的に変える、というイメージが共有できていないのですよね。
なので、我々のような民間で現場を張っている仲間が集まり、様々な失敗、成功共に情報をまとめて発表するのが大切であると思っています。特に失敗事例は世の中に出にくいので、様々な事業分野で発表していく必要があります。そして、このような整理された情報をもとにして、民間の活動に対して行政が少し後追いする形で、全体に投資するときの優先順位を上げていけばいい。民間主導行政参加です。
今までは、行政が線を引けば、民間がそれに従うという前提が動いてきた。さらに、行政だからといってでかい規模の事業をやれば成功すると思い込んできた。でも、掛け声だけで、できあがったものに予算を入れ続けないと破綻するのが、今の公共事業なのです。これに代わるモデルを一つでも多く世の中に問うていくことが求められています。そして、それができるのは、地方の現場、しかも民間です。
■公共事業の失敗「墓標」シリーズの衝撃
−−失敗事例といえば、木下さんが指摘する「墓標」ですね。木下さんは過去の中心市街地活性化の失敗事例をまとめた『あのまち、このまち失敗事例集「墓標シリーズ」』で、「スカイプラザ三沢」(青森県三沢市)や、「ココリ」(山梨県甲府市)などの実例7つを解説したところ、大きな反響を呼んでいます。なぜ、この墓標シリーズを調べようと思われたのでしょうか?
やはり、このようなことを言えるのは、柵のない民間だからこそできることだと思っています。しかも、別に個別都市を攻撃しようという趣旨ではなく、どこの地域も「自分の地域をよくしよう」みたいな話から結局、失敗します。国からも多額の予算をとり、自治体も、地元経済団体も投資したりしています。けど、失敗する。
つまり、そもそもスキームに何か問題がある、プロセス自体にも何か欠陥があるのではないか、それを検証するためにはまずは失敗事例集だけでも出そうということで、うちでだしているメルマガ「エリア・イノベーション・レビュー」で連載しました。でも、あれだけ気持ちが沈む連載ってないなと思うぐらい、いい話が何も出てこなかったですね。読者は町の再開発をしている方はもちろん、国の官僚や行政マンも多かったです。
木下さんが「墓標」と指摘する事例、青森県青森市の複合施設「Festival City AUGA(フェスティバルシティ・アウガ)」
それでも、国の執行組織の中にはあれだけの状況になっても「失敗」とか「失策」とは思っていない人はいまして、普通だったらできないような建物が国が支援してやってできただけいいだろうというような反論を受けたこともありました。予算を出して立派なものを建てれば、それが人を救っていると勘違いしている人がまだいます。このような失敗が起きていることについては、財務省主計官の方も知らなかったりして、驚かれていました。つまり、このような情報が正確に集められ、客観的に検証されて政策に生かされていないのですよね。民間弱小団体が調べた失敗事例程度ではなく、本来は政策評価として細かな分析をうけるべきことだと思っています。
そのようなプロセスがないから、正当な反省もないわけで、総理大臣から担当大臣に検証するよう指示があっても、事務方としては「失敗が一例もありません」というような状況になってしまっているわけです。そういう失敗を認められない、もしくはそもそも失敗事例を知らない人たちが、再度計画を建てたとしても、過去と同じような結果になってしまうと思うのです。国がいくら支援してもできた建物は資金を回収できず、年間の維持費を埋め合わせるだけで自治体の純粋な収入から億単位で予算を投入したり、はたまた潰れてしまったり。活性化のためのはずが、いつからか地方の重しになり、場合によっては衰退の象徴にさえなったりするわけです。
こんな不幸はありません。国としても良かれと思って支援をしているのでしょうが実効性がない。この事実と向き合わなくてはならないですし、むしろ政治家もこの状況をしっかり訴えなくてはならないのではないかと思いますが、やはり土壇場にくると予算をいくら出すという話が先行してしまうんですよね。こうなったら事務方だって結局はその予算消化方法にとらわれるようになり、過去の手法を採用するという話になってしまう。
結果として、次々と赤字になる事業が地方活性化の名目で地方で立ち上げられ、その失敗を埋め合わすために自治体予算が投入される。その分、本来は自治体にしかできない事業、たとえば公的扶助や子育て支援とか、そういうところに使わないといけない予算が減り、地元の人たちのさまざまなサービスを劣化することさえあるわけです。最も割を食うのは、働く若い人たちです。そういう予算事業の直接的な恩恵を受けるわけでもなく、雇用機会が減ったり、負担が増加したりしてしまう。それであれば、少しでもより良い機会がある都市部へ出てくのは当たり前です。そんなことを散々しておいて、「地方の若い人が減っちゃった」っていうのもひどいなと思います。減るようなことを「地方活性化」の名目でこれまでやってきてしまったわけですから。
−−本当の地方創生には、これまで「墓標」を作ってきた人たちに「降板」してもらわないといけないわけですね。
90年代以降も様々な経済対策を名目にして地方に対して国はさまざまな公共事業を展開してきました。でも、それだけでは全く地方は良くならなかった。むしろ公的予算への依存度を高めて、より多くより多くの予算が必要になってしまったわけです。地方から東京などの大都市部へのシフトは、戦前から一貫してあるわけで、今に始まった話ではありません。高度経済成長などによって右肩上がりの成長をしてきたので、その衰退構造の実態が見えづらかっただけです。国単位での少子高齢化の問題も、地方の過疎化といった人口問題も、私が小学生の時代からずっと教科書にさえ乗っているくらい一般的な課題だったわけです。けど、それに対する対応策は失敗に終わった。それで、今になって地方が消滅すると大騒ぎしているわけです。
例えば、1970年代から考えたって既に45年たつわけです。45年間負け続けた手法と組織のまま、今一度挑戦すると言われても、全く成功する気がしません。サッカーでいったら、45年負け続けた日本代表がいたら、そりゃメンバーや戦術について、さすがにメンバーの選抜方法かえて入れ替えよう、戦術も抜本的に見直そうとなりますよね。今までのメンツと今までの方法論の延長線上に改善しようとしても失敗します。地方創生なんとかモデル事業という名目で交付金もらっても、より負債が増えるだけで、地方にとっては過去の繰り返しになってしまうだけのところが多いでしょう。必要なのは巨額の予算以前に、やる人(例えば、行政から民間へ)、やり方(例えば、交付金補助金ではなく金融支援)の変更なのです。
廃れる地方の商店街。どうすれば「再生」する?
■「地方創生」で若者は地方で増えるのか?
−−2014年は、元総務大臣で「日本創成会議」の増田寛也氏による「地方消滅」(中公新書)が自治体関係者に大きな衝撃を与えました。このまま少子化と東京の一極集中が進めば、2040年までには896の自治体が「消滅」するという内容でした。「地方創生」を進める背景にもなっていますが、どのようにご覧になりましたか?
「地方消滅」の唯一の功績は、地方が危ないことは危ないぞと言ったことですね。ただ、そこから解決策も人口問題に結びつけてしまい、処方箋も見ればわかりますが、ターゲティング出生率みたいな方式だったり、東京から機能移転などまぁ過去に何度も試みて結局は目標倒れになったものばかり。つまりは問題は指摘したけど、何の解決にもなっていません。
ただ、これまでは大地震が来るぞといったらパニックが起きてしまうのと一緒で、地方が危ないということさえ言えなかったという点では良かったと思います。処方箋は全く困ったものばかりで、本来、必要な都道府県や市町村の再編にも全く触れられていません。行政改革なくして人口縮小に対応する社会構造は実現できないはずなのですが、未だ高度経済成長期からの転換ができずに、むしろ先祖返りしているような感じさえ受けます。
それから、地方で東京などから会社機能を移転して、都会から若い人を呼びこむという解決策ですが、地方はもう高齢者の死亡による人口の自然減が多い。社会増だけで解決できるわけでもなく、一瞬嵩上げできても、プラスマイナスで行ったらマイナスになることを前提に社会設計するほうが現実であると思います。実際に農山漁村で事業や取り組みで都会から人がきた!といった成功事例がいくつかありますが、それらエリアでも社会増減においても一瞬増加に転じた年とかもあるものの、その後は慢性的に社会減に戻っているのです。
つまりは、定住者を増やすというような発想そのものに問題があって、従来になかったような交流人口や一次滞在人口といったような構造の中で、どう地域の機能を維持できる負担と供給の関係を維持できるか、といった従来の公共とは異なる環境と向き合う必要があると思います。何より、「定住人口が増加できなかったら破綻やむなし」という話になってしまっている現状こそ、大変無責任だと思うんですよね。
そんな簡単に人は増えない。突出した成果を収めているエリアでさえそうなんですから、全国1800ある自治体全てを見渡したら、都市から山ほど人が移住して、人口増に転じるなんて無理なものは無理というところが山ほどある。無理なものを無理といってはいけない!と言い始めるから、現実と乖離してしまうわけです。
例えば、じゃあ、地方で若い人の仕事がないなら、国がお金を出して地方で働いてもらいましょうというのが、総務省が実施している「地域おこし協力隊」です。政府はこの隊員を現状の1000人から3000人に増やそうとしているそうですが、僕は「焼け石に霧吹き」と言っています。毎年何万、何十万人と都市部に移動している構造があるのに、国家予算をつけて1000人だろうが3000人だろうが一時的に地方にシフトさせていっても問題解決になりません。もっと構造的な変化に対応するという考え方でないと話にならないと思うわけです。一時的な予算措置で代謝療法では何も解決しないというのは過去に学ぶべき要点です。
−−「地域おこし協力隊」では、受け入れる地域の覚悟がないと実りある活動の実現は難しいと聞いています。
「地域おこし協力隊」とは、隊員の人件費と事業費のセットで国が予算を出すモデルなのです。つまり、隊員の給料と、彼らが行う事業に必要な様々な経費をセットで出してくれるから使い勝手はいいんですよね。しかし、問題は、地方において国がやるっていってるから、他の地域も手を挙げているから、うちも手を挙げなきゃって。しかし、本気で地域をよくしようと思って手を挙げる地域はほんの一部にすぎないわけです。それ以外では、集落の人たちの話を聞いて回るといったような役回りばかりであったりして、地域でもあまり自治体でもやりたくないような仕事を、国に予算出してもらって都会から人を招いてやるといったようなこともあるわけです。
その地域に残るという人がいるとしても、それではそれで何か地域が活性化するのか、再生するのか、といえばそれはまた別次元の問題です。地域にない産業を生み出したりして稼ぐ仕組み作り出していくようなことにつながっていくためには、最初から予算ありきで取り組んでいてはだめなのは、先にも言ったとおりです。さらにはそういう生産的な仕事に従事するのではなく、地域での集落巡回とか、自治体での面倒くさい仕事を引き受けるポジショニングとして若者を非正規雇用するというのは、ある意味でブラックであるように思えます。
地域活性化は極めて善意をもった若者の多く関わるため、それをいいことに条件面では大変不利な内容であっても、これはこの地域を救う意義あることだと思い込ませて、国が支援しているという体裁でやらせてしまうところはあります。しかし若いうちはいいですが、ある程度年齢が上がっていった時に、そこで生活が成立していけるか否か、ちゃんと向き合わないといけません。
つい先日、とある町での外国人を研修生として向かい入れて、大変な条件で働かせていた問題が表面化していましたが、このような地方に若者を送り込むという政策自体もしっかり出口を考えないと、若いから何事も経験、といったような話でやることは決していいことばかりではないと思います。
かくいう自分も高校時代から商店街や様々な地域に関わりましたが、決してその分野で成果をあげて、その成果からの収入だけで生活を成り立たせるのは簡単な話ではありません。だからこそ、もし若者を向かい入れるのであれば、迎え入れるだけの準備をしなくてはならない。単に国が一時的に予算をつけてくれるからそれでいいんだ、みたいな姿勢だと、これまで同様に若者を使い捨てにしてしまうことになるのではないかと危惧しています。
衰退する地方。若者を呼べば復活する?
■人口減の消滅より先にくる自治体の財政破綻
−−では、地方に若者が増えずに人口が減るとして、自治体はどうなるのでしょうか?
増田さんが言うとおり、2040年までに人口が減少して、消滅は不可避になる自治体が増加する場合もあるでしょう。しかしながら、残念なことにその前に自治体の財政が破綻するほうが先でしょう。だったら、今の行政単位を変えてスリム化するために市町村を合併しましょう、合併に抵抗があるようなら、業務的に連携しようと。行政事務組合をより広域でやっていく枠組みに、国がインセンティブを出すということなど生産性の高い業務モデルに転換することは大変重要だと思います。
簡単な話、3つの自治体が同様の業務を個別バラバラにやるよりは、電話の受付とかを共同でやる。地元で一番、給料の高い地方公務員にコールセンターみたいな仕事をさせてはダメなんですよ。だったら、事務組合にして人を雇うとか、そういうことをどんどんやっていけば、5年ぐらい破綻まで時計の針を伸ばせるかもしれない。その間にもう少し構造を変えよう、新しい産業を考えようという動きがあってもいいと思います。
−−人口減と財政破綻、その2つの問題を混ぜて考えてはいけないわけですね。
日本は人口8000万人の時代もありましたが、地方自治体もあったわけです。「地方で人が減ったら、どうして日本が破綻するのですか?」という話です。それは単純な話、一時期1.2億円の売上があった会社が、0.8億円になるってことです。しかも、1.2億円の時代より、0.8億円の売上から、働けない人たちに支払う給付金はもっと出さなくてはならない。売上が減少して、恒常的な支出は拡大するという経営状況なわけです。従来からのやり方で通用しないと考えるのが当たり前ですよね。売上が減っているのに、そのまま体制を維持しなくてはならない、なんていっているから破綻するわけです。
つまり、人口減少は「人口」という売上部分の問題は指摘するものの、人口規模に対応した自治体経営という経費部分については目を向けません。ここが問題です。本来、このような状況に陥ってしまった以上、地方創生政策は国の枠組みを考え直そうという議論であるべきなのに、国や自治体は変わらないで、計画をもう一度立てて、若い人を地方に送るという。それですべてが解決するというわけです。
これまでも少子化対策はずっと「待ったなし」といいながら、現状があるわけで、そう国が指針を出したからといって楽観的に流れが変わるとは考えにくいわけです。しかも、それは構造的に誰かが割りを食うような構造では、成立しにくい。ある程度若者にとっても、地方にとっても、都市部に位置する企業にとっても、明確なインセンティブがなければなりません。
地方創生は大いによろしいと思いますが、地方が創生されるのに必要なのは、何も人や財を東京からむしりとることでもなく、若い人に地方で割りを食わせることでもなく、何をもって地方で稼ぎだすのか、なんですよね。短期的な予算事業で若者が食えても安定雇用にはならず、安定居住にもつながらないのです。しっかり利益を生み出す事業開発なくして、地方の生活基盤は成立しないわけですから。
木下さんが挙げる地方の事例、高知県四万十町の「株式会社四万十ドラマ」。地域商社を発足し、特産物の商品開発や販売、流通、道の駅経営、観光事業などを幅広く展開、地元に所得、雇用を生み出している。
■地方に残っている小さな内需を小さなリノベーションで
−−実際、若い人にとってどういう働く環境が考えられるのでしょうか?
ひとつ地方で行われているのは、地方にまだ残っている地域内の内需市場を対象にしたビジネスを中心に集積するため、過去に投資された建物にリノベーションを行ってお金を回そうという試みが増加しています。これは、事業的に一体堅調な需要がある地域内の住民などのおさいふを対象にする事業のほうが競争が比較的ゆるいということ。なおかつ過去に建設された建物を改修するだけなので投資が限定的で住むため、家賃も安く設定でき、若者でも商売を始めやすく、儲けを出しやすい環境を実現できます。
さらに、最近ではそういった拠点を持ちつつ、企画販売に他地域に出かけたり、インターネットでも商品を販売することで、複数の販売チャネルを持つことで、事業の成果をあげているケースもあります。限定的な投資で日銭が稼げるってことは、とても大切なまちのセーフティネットだと思っています。
こういう環境があると、東京から地方に戻ってくる人もいます。都内でもともと経営していてショップの経営者の方で、ネットで半分は売れていると、地方に拠点移して倉庫とかのコストを削減して、実店舗も経営したりします。もともと地域で住宅などでクラフト製品を自分でつくってうっていた人なども、まちなかにシェア店舗などができるとそこに出店して商売を成長させたりもします。
もしくは、地域での生産物の加工・販売を行う地域外需要を狙った地域商社型の取り組みですね。地域でとれる農産物や木材などの原材料を地元で加工し、それを地元での販売店(道の駅など)で販売したり、都市部の様々なお店で取り扱ってもらって売り上げて、雇用を形成するケースです。生産から加工、販売までを垂直統合で実施することで、利幅もとれ、生産現場、加工現場、販売現場での雇用を連鎖的に生み出すことになったりします。このようになると、地域に戻ってこられるような雇用があり、それらは市場と向き合って稼いでいるので、一定の安定的な基盤になります。勿論、経営が常に順風満帆ではない場合もありますが、当然ながら自分たちの努力で成長させることもできるからです。
このように重要なのは、しっかり地域で事業を立ち上げ、売上から雇用を生み出すというプロセスです。こういう積み上げでしか安定雇用は生まれません。単に施策で予算で雇用しても、それが切れたら終わりになる。これは個々数年自治体などが国の予算をもとに行ってきた様々な雇用創造事業などで経験してきているモデルです。そのような期限付きの予算依存型の雇用では地方で働き、生活を成立させていくことは難しいです。
地方に若者に移り住んでもらい、もし地方自体も再生に向かうとすれば、それは何で飯を食うのか。ここが地方のガバナンスを握っている人たちへの宿題であり、すべての立脚点であると思います。若者が移り、活力を取り戻す地域には確実に仕事があります。仕事を作るシゴトが、地方の大人たちにつきつけられている課題なのです。
木下さんが挙げる地方の事例、高知県四万十町の「株式会社四万十ドラマ」。地域商社を発足し、特産物の商品開発や販売、流通、道の駅経営、観光事業などを幅広く展開、地元に所得、雇用を生み出している。
■役所の「原理主義」が地元の公共を独占して市場を排除
−−木下さんはそうした「墓標」から「稼ぐインフラ」への転換を指摘されていますね。「稼ぐインフラ」とはどういうものなのでしょうか?
これまで公共施設ってのは、税金を使って作って、税金を使って維持していきたわけです。しかしながら、公共施設は作った後にそれなりに手続きにくる人がいたり、図書館みたいに常に人が集まる施設だったりする。せっかく人がくるのであれば、それを活かして民間が稼げる部分も合わせて作れば、単に税金を使う施設だけでなく、雇用を生み出し、家賃・管理費をとることができて、公共施設の維持管理や充実のための財源とすることができます。新たな公共の充実を図る手段になります。
つまり、その施設に10万人が来るのなら、その目の前で店を開けば収入は上がるわけです。これを今までは全く何もしなかった。けど、これからはこの収入もセットにして、財政負担にだけなるような公共施設整備をやめようという話です。しっかり経済開発とセットにするという話です。今までは稼ぐことがタブー視され、そういう機能を排除してきたから、稼げない施設になってしまっているのです。稼げないということは、地域で仕事が生まれない。折角の公共投資が地域の負担にしかならないというのは、あまりにもったいないわけです。
−−「稼ぐ機能」を公共インフラに付け加えるということですね。かなりの意識変化、公共事業の構造変化が求められそうです。
「稼ぐインフラ」の開発思想は単に民間の儲け主義ではなく、公共の充実にあります。きちんと公共施設に集まる利用者の方々を集客力として再定義し、民間施設部分についてファイナンスを組み立てることができれば、実は、稼ぐ施設の収入をもとにして、財政が厳しいから公共施設自体が建てられないという状況すら突破できる可能性があります。
当然ですよね。開発と維持両面で予算がなければ自治体だって公共施設なんて作れません。今後はより財政難でそういうことばかりです。ただ単に、従来通りに税金が足りないからできませんというのは、本当の意味での公共を担っていく意識ではないと皆で話しています。従来と異なるやり方で公共の充実を図れるのであれば、さらには地元で経済を開発でき、雇用も生み出せるのであれば、それに越したことはないだろうと。公共事業は従来のやり方を改めて、しっかり地元で持続可能な事業拠点として、やっていくという意識転換が必要であると思っています。単に地方の負担になり、市場からの雇用も何も産まないような公共施設整備は地方創生どころか、地方消滅を加速させてしまいます。
稼ぐという意識を全てにおいて持つことで、地方でマイナスにしかならなかったような様々な事業も見え方が変わってくるわけです。とはいえ、それらは方法論です。全体にわたるパブリックマインドは大切です。つまりバランスですね。従来のような原理主義的に公共はすべて税金で、とかいってしまうと、できないこと、救えるのに救えないことばかりになってしまう。
かと言ってなんでもかんでも稼げといっているわけではなく、公共施設部分はあくまで安価にはするといっても税金で賄うとして、しかしながらその目の前とか様々な場所は民間として開発してもらってそこで商売やって雇用も作り、家賃も払ってもらうという形にする。こういう稼ぐことを前提にして、各地域が独自の方法で地域で仕事を作り、地域に新たな人が流入してくる取り組みと向き合うことが大切ということです。行政がやるから稼ぐこととか全く考えなくていい、とかいっていると、そのまま沈没してしまうでしょうし、既にそうなっているところもあるわけです。
■岩手県紫波町「オガールプロジェクト」の結果ではなくプロセスを
−−そんな滝壺に落ちないための「稼ぐインフラ」への転換ですが、国内ですと、木下さんも関わっていらっしゃる岩手県紫波町の「オガールプロジェクト」が今、「地方創生」の嚆矢として注目を集めていますね。補助金に頼らず、金融機関の融資によって行われている公民連携の事業です。図書館やカフェ、マルシェなどが同居する中核施設「オガールプラザ」などに年間80万人が訪れているそうです。
先の臨時国会前にも、地方創生担当政務官の小泉進次郎氏が現地を視察していました。その際、紫波町の手法を全国に広めたいということをおっしゃっていましたが、紫波町の試みを他の地方はどう見習うべきなのでしょうか?
全国から注目を集める岩手県紫波町の「オガールプロジェクト」。中核施設「オガールプラザ」には産直マルシェが入居するほか、図書館やカフェなども
紫波町をただ視察しただけでは、ヘタすると、役所と民間で建物をつくればいいと解釈をする人が山ほど出てくるでしょうね。図書館と産直施設を一緒に作ったらいい、とか見た目だけで判断してしまう人が大変多いです。しかしながら、紫波の事例の本質はそのファイナンス構造。例えば、稼ぐ部分と稼がない部分、そのミックスにあります。
重要なのは、BS(貸借対照表)・PL(損益計算書)とかから、どこから資金がきて、どのように売り上げて、どのように利益を出して、返済しているのか、という視点です。そしてそれを実現するためにどのような開発プロセスでやっているのか、というディテールです。つまり、見た目は結論でしかなくて、その背後にあるファイナンスを含めたシステムやプロセス設計にこそ、様々な現場ならではの発明が含まれているのです。
例えば、従来は専門家を入れて計画を立てて、行政主導で仕様を固めて、税金で全部作るところを、仕様の段階から民間会社が主導し、補助金に頼らず民間金融機関から民間会社が融資を受けてつくっています。返済義務があるから厳しい内容になる。けど、それを開発段階でやることで、従来のような予算がつくからやってしまおう、みたいなずさんな計画では進めなくなる。重要なのは「市場と向き合って進みにくい環境」で最初に計画を組み立てていくということです。中核施設「オガールプラザ」では、オガールプラザ株式会社代表取締役である岡崎正信さんが、このプロセスに18ヶ月かけて向き合っていました。
結局施設は作った後は、利用が進まなければ計画が破綻してしまうわけですから、資金調達の段階で一番むずかしい営業と向き合ったほうがいいわけです。けど行政予算型の事業はそんなことはせずに、予算がつけば営業が中途半端でも年度内に執行し無くてはならないとかでやってしまう。それで失敗するわけです。もし、他の地域がオガールを真似るのであれば、開発資金を民間から調達すること。そのプロジェクトファイナンスに叶うだけの事前営業をし、その営業実績に基づいた施設開発計画の修正をかけ続けること。このプロセスを真似なければならないのです。とても大変なことですが、これがプロセスを真似るということです。
「オガールプラザ」はこの結果として、3階建てコンクリート造から2階建て木造に修正を加えたり、営業内容に基づいて開発規模も大幅に変更を加えて、投資回収可能な計画に組み立てなおしています。こういう事前での営業からの逆算した修正を何度も加えて、オガールプラザは今の構成になっているわけです。だからこの構成はあの時、あの場所、あのメンバーが行った結果の一つに過ぎず、異なる時に、異なる場所で、異なるメンバーで進めていれば全く異なる結果になるわけです。
重要なのは結果の模倣ではなく、プロセスの模倣なのです。けど、地域活性化分野はずっと「事例集」になれていて「ブロセス集」とかを見たことがなかったりします。そこで、オガールプロジェクトに関わっている、建築・都市・地域再生プロデューサー株式会社アフタヌーンソサエティ代表取締役の清水義次さん、岡崎さんと一緒に、「一般社団法人 公民連携事業機構」を2013年に立ち上げました。この2年ほど、このプロセスを学んでもらうためのブートキャンプという研修やeラーニング配信に取り組み、2015年からはプロフェッショナルスクールなどを行います。
これまでこの分野は事例主義、支援制度を頼りにして皆が取り組んできましたが、それでは失敗の上塗りをするだけになってしまいます。きちんと体系的に学べる多角的なプログラムで、必要なプロセスと、基礎的な知識を学んでほしいと思っています。先進的な地域ばかり見るのではなく、むしろそのプロセスを学び、その上で地元と向き合ってひとつひとつの事業を立ち上げていく。それしかないと思っています。
何十年かけて衰退してきたものが、何か国が急に予算を出したからといってすべてが一気に解決するような、そんな都合のよい方法なんてないわけです。地味でも、小さくても、地域が自ら、取り組み、稼ぎを生み出し、それを連鎖させていく取り組みが最強なんです。そこに行政とか民間とかそんな杓子定規な話をいっている場合ではありません。その地域をどうにかしたいのであれば、本気になって、やるかやらないか、だけです。支援では地方の延命はできても、再生はできない。だからこそ、現実と向き合う覚悟と知識と行動が必要であると思っています。
僕らにできるのは、各地域での試みについて自分たちも出資したりリスク負って仕掛けていくこと。そこで知り得た情報を体系化して出していくこと。さらに世の中に出ていないような失敗事例などの情報を整理して今後の事業に役立てること。この3つを通じて、いまこそ地方は自ら独自の稼ぎ方を作り出せる変化を、各地域の仲間と共に生み出していければと思っています。
【おわり】
■木下斉(きのした・ひとし)さん略歴
一般社団法人「エリア・イノベーション・アライアンス」代表理事、内閣官房 地域活性化伝道師。
1998年、早稲田大学高等学院入学
2000年、株式会社商店街ネットワーク取締役社長就任(~2004年)
2001年、早稲田大学政治経済学部政治学科入学
2005年、一橋大学大学院商学研究科修士課程入学
2008年、熊本城東マネジメント株式会社代表取締役就任(現職)
2009年、一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス代表理事就任(現職)
2013年、一般社団法人公民連携事業機構理事就任(現職)
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