チェルノブイリを調べる、たった一人の考古学者「古代の遺跡と同じくらい価値がある」(画像集)

37歳の考古学者の心をつかむ、現代の遺跡チェルノブイリ。
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1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故は、歴史上で最悪の原発事故の1つだ。ウクライナにあるチェルノブイリ原子力発電所が爆発して30人が即死、その後も長年にわたって犠牲者が出続けた。

そこで、調査をしている考古学者がいる。37歳でオーストラリア・シドニー出身のロバート・マックスウェル氏だ。20代半ばで歴史考古学を学び始めたマックスウェル氏は、博士号取得のために「放棄された20世紀の都市」を調べている。

彼が研究対象として選んだのは、チェルノブイリ原発の北西にあるプリピャチの町だ。事故前には原発職員ら約5万人が住んでいたが、事故後は高い放射線量で立入禁止区域となった。この区域を調査中、マックスウェル氏は自分がチェルノブイリについて調べている唯一の考古学者であることに気付いた。

「チェルノブイリで調査を始めてすぐに、他に誰も調査していないことがわかりました。信じられないことです」と、マックスウェル氏はハフポストオーストラリア版に話した。

彼は2010年と2012年に、チェルノブイリ立入禁止区域の現地調査をしている。最初の調査から自宅に戻る際に、乗っていた飛行機でエンジン故障が発生し、シンガポールに緊急着陸した。荷物を置いたまま飛行機から降りるよう指示されたが、マックスウェル氏はそれを拒否した。荷物に調査結果と写真が入っていたからだ。

マックスウェル氏は、「現代の遺跡には、古代の遺跡と同じくらい価値がある、むしろ記憶に残っているという意味では、もっと重要な意味があるかもしれない」と考えている。

そんな彼がチェルノブイリで一番気に入っている場所は、巨大なアパート「第16クルチャトフ・ストリート」だ。マックスウェル氏はこのアパートを、「歴史の本には記録されない、私生活が詰まった部屋の塊」と読んでいる。

「人々が持ち去ったものや残していったものから、そこでの生活や、人々がパニックに陥った様子がよくわかる」という。

マックスウェル氏を考古学へ引きつけたのは、歴史に対する愛と、物体が持つ言葉では言い表せないような魅力だ。

そしてもう一つ、彼の心を強く掴むのが「言うことと、やることが違う」という人間の特性だ。マックスウェル氏はこう説明している。

「人間は物を放棄するのが苦手です。だから『放棄された場所』と呼ばれるところも、必ず何かに使われ、再生の場所になっていきます」

チェルノブイリの唯一の考古学者、ロバート・マックスウェル氏が撮影したチェルノブイリをご紹介しよう。彼は、チェルノブイリ立入禁止区域が世界遺産に登録されることを願っている。

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プリピャチ遊園地の観覧車

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プリピャチにある小学校の2階

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プリピャチ・カルチャー・パレスに描かれた、ストリートアート

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プリピャチ小学校の中に残されたガスマスク

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プリピャチ病院に残された試験管

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植物が再生している

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プリピャチにある映画館

ハフポストオーストラリア版に掲載された記事を翻訳しました。

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