テロリストの誕生(15)「早く来て! みんな死んだのよ」

シゴレーヌ・ヴァンソンが編集部で1月7日に体験し、後に『ルモンド』紙に語った内容は、彼女自身のどんな小説よりも数奇で、現実離れしたストーリーだったに違いない。
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ASSOCIATED PRESS

 女優として舞台に立つ傍ら、弁護士としても活躍した推理作家――。栗色の髪に緑の瞳のシゴレーヌ・ヴァンソン(41)は、その華やかな肩書から想像しにくい地味なたたずまい、内気そうで穏やかな話しぶりの女性である。

 フランス中部リヨン郊外に生まれ、電力企業で働く父の仕事の都合で少女期の約6年を東アフリカのジブチで過ごした。帰国後はパリ郊外に暮らし、俳優養成学校に通って舞台女優としての経歴を積んだ。日本でも公開されたダニエル・トンプソン監督の2006年の映画『モンテーニュ通りのカフェ』に端役で出演している。

 一方で、パリ第1大学に通って法律を学び、弁護士資格を取得して生計を立てた。2007年には友人の外科医フィリップ・クランマンとの共作で推理小説『青い医療メス』を発表し、冒険小説賞を受賞。以後著作に専念し、2011年には単著の小説『子どもの頃の国から逃げて』を刊行した。有名作家というほどではないものの、新作を出せばメディアが注目する作家である。キュッシュ・ディベト警視なる名探偵が活躍する共作の推理小説はシリーズになり、ポケット判で再刊された。

 彼女は、2012年9月から風刺週刊紙『シャルリー・エブド』に司法コラムを連載していた。その編集部で1月7日に体験し、後に『ルモンド』紙などに語った内容は、彼女自身のどんな小説よりも数奇で、現実離れしたストーリーだったに違いない。

編集会議は始まった......

 1月7日は、『シャルリー』の仕事始めの日に当たっていた。風刺画家やジャーナリストらは午前10時過ぎに次々と出社して、新年の挨拶のキスを頬に交わした。

 この日はまた、ここで長く仕事をしてきた風刺画家「リュズ」ことルナルド・リュジエの43歳の誕生日に当たっていた。彼を祝おうと、シゴレーヌ・ヴァンソンは近くのパン屋でマーブルケーキを買い、編集部に持参した。

 編集部の入り口で受付嬢のアンジェリックに挨拶をした時、編集部にはすでに何人かの顔がそろっていた。風刺画家のティニュスがコーヒーを用意してくれた。編集会議には部外者がしばしば招かれており、この日も中部クレルモン=フェランからやってきたジャーナリストのミシェル・ルノーがいた。彼は、風刺画家のカビュから借りた原画を返しにきていたのである。ハムの塊が入った大きな包みを土産に持ってきていた。

 リラがカビュの足元に駆けて行った。リラは、編集部で飼っている小さな赤毛の狩猟犬イングリッシュ・コッカー・スパニエルである。カビュはいつも、自分の食べ物の一部をリラに分け与えていた。ハムのにおいをかぎ分けたリラは、この時も分け前をもらえると思ったに違いない。

 やや遅れて、コラムニストのフィリップ・ランソンがぶつぶつ文句を言いながらやってきた。発行されたばかりの『シャルリー』を買ってこようとして、人数分の部数が確保できなかったからだった。

 編集室にある長方形の大テーブルを囲んで、特に合図もなく編集会議が始まった。発行責任者の風刺画家シャルブ、編集局長の風刺画家「リス」ことロラン・スリソー(48)、環境問題担当ジャーナリストのファブリス・ニコリーノ(59)、経済学者ベルナール・マリス、コラムニストのフィリップ・ランソン(51)、風刺画家のオノレ、ティニュス、カビュ、精神科医エルザ・カヤ、風刺画家ヴォランスキ、シゴレーヌ、調査報道ジャーナリストのロラン・レジェ(48)の面々が、入り口から順に座った。お客さんのミシェル・ルノーはテーブルから離れて隅っこの椅子に腰掛けた。

 誕生日を祝ってもらうはずのリュズと、女性風刺画家カトリーヌ・ムーリス(34)は、この日遅刻していた。欠席も少なくなかった。宗教担当ジャーナリストの女性ジネブ・エルラズイ(32)は故郷のモロッコに帰省中、編集長のジェラール・ビアール(55)はロンドンに滞在中、科学ジャーナリストのアントニオ・シシェチ(54)は親戚の葬式に参列していた。オランダ出身の風刺画家「ヴィレム」ことベルンハルト・ヴィレム・ホルトロップ(73)は編集会議に一度も出たことがなかった。

「ゆっくりと、1発ずつ」

編集会議の話題の中心は、『シャルリー』最新号の表紙も飾っている人気作家ミシェル・ウエルベックの小説『服従』だった。2022年大統領選で、右翼との決選投票を制してイスラム政党の候補が当選する。フランスはイスラム化され、一夫多妻制が認められ、女性の労働が禁止され、大学の教師はイスラム教徒でなければならなくなる。主人公の文学教授は次第にその環境に慣れていく――。

カビュはこの小説を批判した。イスラム教に対する恐怖心を書き立てることで結果的に右翼を利する、と見なした。フィリップ・ランソンは逆にこの作品を評価した。白熱した論争となった。このほか、大都市郊外の移民街の再建問題、フランス人でありながら「イスラム国」などに参加してシリアで戦っている若者たちは何を考えているのか、などが議題にのぼった。

入り口近くにいたシゴレーヌは、いつものように議論をじっと聞いていた。向かいに座っていた経済学者ベルナール・マリスがシゴレーヌに発言を促したが、内気そうに微笑んだだけの彼女は、お代わりのカフェを取ろうと席を立った。

「私は台所にいて、満足感でいっぱいでした。こんなにおもしろくて、こんなに知的で、こんなに親切な人々に囲まれていて」

編集室に戻ると、フィリップ・ランソンがコートと帽子をまとい、リュックを背負って出て行くところだった。シャルブが冗談を言いながら彼を引き留めようとした。編集事務の女性リュース・ラパンもちょうど編集室を離れ、ガラスで仕切られた自室に戻ろうとした。その時、ポッ、ポッと音が2回聞こえた。

「爆竹?」

リュースが尋ねた。何の音だろう。多くの人は、何かのおふざけだと思い、隅っこの部屋にある席を立ってきたフランク・ブランソラーロの方を見た。彼は、発行責任者シャルブの警護を担当する警察官である。

「むやみに動かないで」。フランクはそう言いつつ、腰の銃を取ろうとした。爆竹なんかでないと、シゴレーヌも分かった。

2つの発砲音は、入り口に最も近い事務室にいたネット版担当者のシモン・フェシ(31)の肺を撃ち抜き、重傷を負わせた音だった。

危険を察したシゴレーヌは床を這い、編集室の反対側に位置するリュースの部屋に逃げ込もうとした。編集室のドアが荒々しく開き、男が飛び込んできた。

「アラー・アクバル」(神は偉大なり)

2度叫んだ後、男は言った。

「シャルブはどこだ?」

銃撃音を聞きながら、シゴレーヌは必死に這った。振り返る余裕はなかった。背後には遺体がすでに横たわっているはずだった。自らも死を覚悟した。背中に痛みを感じ、撃たれたかと思ったが、気のせいだった。

リュースの部屋に逃げ込むと、仕切りを背に隠れた。何も見えなかった。背後に、シゴレーヌは銃撃音を聞いた。

「それは、乱射ではありませんでした。彼らは、ゆっくりと、1発ずつ撃っていたのです。誰も叫びはしませんでした。みんな茫然としていました」

ロラン・レジェによると、男たちは無駄な弾を費やさず、至近距離から正確に撃った。銃撃の間はわずか1、2分だった。ココはそれが5分ほどだったと振り返っている。いずれにせよ、ごく短い時間である。生き残った人々の多くは、それが永遠に続くかと思うほど長く感じた。

音が消えた。死の沈黙が訪れた。

「女は殺さないぞ!」

週刊誌『ルポワン』によると、銃の扱いに慣れない人はいざ襲撃の時が来ると動転し、乱射をしがちだという。クアシ兄弟は1人ずつ標的を定めて撃っていった。素人にはなかなかできない芸当だ。兄弟がかなり高度な軍事訓練を受けていたと推測する人は少なくない。

これまで明らかになっている兄弟の訓練はイエメンに滞在した数日間程度だが、そのほか、フランス国内でも銃を扱う練習を重ねていたのかもしれない。

現場には火薬の臭いが立ちこめていた。シゴレーヌは近づいてくる足音に気づいた。新たな銃声が聞こえた。隣り合わせの部屋にいた校正担当者ムスタファ・ウラドがやられたと分かった。ムスタファの足が地面に横たわっているのを、彼女は見た。

足音はさらに近づいた。まるで特殊部隊の警察官のような黒装束、覆面の男だった。彼は仕切りを回り、シゴレーヌに銃の狙いを定めた。

彼女は、覆面の間にのぞいた顔を見た。大きく黒い、とても優しそうな瞳があった。兄サイードの弱視の目だと分かったのは、ずっと後のことである。

男は言った。

「怖がらなくていい。落ち着きなさい。お前を殺しはしない。お前は女だからな。女は殺さないんだ。だけど、お前がしていることを考え直してみるがいい。お前がしているのは、悪いことだ。見逃してやる。見逃してやるから、コーランを読みなさい」

みんなを殺して、銃口を向けておいて、私たちを悪いという。あんたにそんなことを言う権利はない。悪いのはあんたの方だ――。

シゴレーヌはそう思いながら、黒い瞳を見つめていた。無言のまま、頭を動かして殺人者と意思を交わし、無言の会話を成り立たせようとした。男の注意が自分以外に向かうのを防ぐためだ。すぐ横のテーブルの下に、レイアウト担当の男性ジャン=リュックが隠れていたからである。男はまだ気づいていなかった。注意がそちらに向くやいなや、ジャン=リュックは撃ち殺される。

しかし、男はジャン=リュックを見ないまま、編集室の方を向いて3度叫んだ。

「女は殺さないぞ!」

「くそったれ」

編集室にいた弟シェリフはそんなことにお構いなしだった。シャルブ、カビュ、ヴォランスキら男たちとともに、精神科医の女性エルザ・カヤも撃ち殺していた。兄弟の人質となっていた風刺画家ココをはじめ、他の女性たちは、それぞれの事務室に逃げ込んでいた。

男たちは出ていった。シゴレーヌは窓に近寄り、そこから逃げようとした。3階は、飛び降りるには高すぎる。そう気づいて、思いとどまった。やがて、遠くの街路から銃声が響いてきた。倒れたムスタファのそばを、狩猟犬のリラが走ってきた。

彼女は、編集室に横たわる遺体の山を見た。その中の1人、フィリップ・ランソンが手を動かし、絞り出すような声で話しかけようとしてきた。2人の遺体の下敷きになっていた彼は、右頬を打ち抜かれたものの、意識があった。

「しゃべらないで」

彼女はそう言いつつ、しかし何もできないでいた。ランソンはココの助けを受け、その後13回の手術を経て一命を取り留めた。

みんなうつぶせに倒れていたカビュ、ヴォランスキ、エルザの遺体をまたいで、自分のコートにたどり着いたシゴレーヌは、ポケットから携帯を取り出してポンピエ(消防)を呼んだ。フランスで、緊急の時に頼りになるのは警察でなく消防である。

「シャルリーです。早く来て! みんな死んでしまったのよ」

消防は要領を得なかった。「遺体は何人?」などと聞いてきた。彼女はいらつき、「くそったれ」と思った。消防はさらに、編集部の住所を尋ねた。彼女はとっさに思い出せず、3度同じ言葉を繰り返した。

「みんな死んだのよ、みんな死んだのよ、みんな死んだのよ!」

編集室の向こうで、手が上がった。

「いいや、俺は死んでないぞ」

リスだった。肩を撃たれ、仰向けに横たわっていた。

その横から、腹部と両脚を撃たれて血の海の中に座り込んだファブリス・ニコリーノが「冷たいものを顔にかけて」と求めてきた。彼は1985年、パリで開かれたユダヤ国際映画祭の会場で爆弾テロに遭遇して大けがを負い、その時の破片が左脚に残ったままだった。シゴレーヌは濡れた布巾を持って行った。血を随分失った彼は、さらに飲み水も求めた。このような時に水を与えてはならないと知らず、シゴレーヌは台所のプラスチックのシャンパーニュグラスに水をくんで持って行った。ニコリーノは死期を悟り、シゴレーヌに話しかけてもらいたがった。彼はその後輸血と大手術を繰り返して生き延びたが、体内に新たな破片を抱えることになった。

「恐ろしい、恐ろしい」

事件を知った知人からシゴレーヌの携帯に電話が来るようになった。シゴレーヌはわめき、訳のわからないことを言い、リスがなだめたほどだった。向かいの部屋に入る会社の女性が顔を出した。手を口に当てて「恐ろしい、恐ろしい」と言うばかりで何もできないでいた。

救援はなかなか来なかった。沈黙を破ったのは、『シャルリー』にコラムを連載していた救命救急医パトリック・ペルー(51)である。『シャルリー』編集部からわずか500メートルほどの会場で偶然会議に出席していたペルーは、シゴレーヌの機転で命を救われたジャン=リュックから11時40分に電話を受けた。「すぐ来てくれ。お前が必要なんだ。奴らが発砲した。おふざけかと思ったんだ」。求めに応じて、ペルーは救急隊を引き連れ、現場に急行したのである。

編集室に入ったペルーは、多くの人が頭部を撃たれていると知った。すでに手の施しようがなかったと、彼は後にラジオ『フランス・アンテール』に語った。

シャルブは椅子に、もたれ込むように座っていた。椅子から立とうとして撃たれたと思われた。後にこれを知った人々は、シャルブの「跪いて生きるぐらいなら立って死にたい」という言葉を思い出した。(つづく)

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ニコラ・アペール街。奥の右手建物に『シャルリー・エブド』が入居していた(1月16日、筆者撮影)

国末憲人

1963年生れ。85年大阪大学卒。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。富山、徳島、大阪、広島勤務を経て2001-04年パリ支局員。外報部次長の後、07-10年パリ支局長を務め、GLOBE副編集長の後、現在は論説委員。著書に『自爆テロリストの正体』(新潮新書)、『サルコジ―マーケティングで政治を変えた大統領―』(新潮選書)、『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『イラク戦争の深淵』(いずれも草思社)、共著書に『テロリストの軌跡―モハメド・アタを追う―』(草思社)などがある。

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(2015年8月7日フォーサイトより転載)