一糸乱れず指導者礼賛を叫ぶ全体主義国家の国、北朝鮮。そんな国でも、一人一人が喜びや悲しみ、楽しみを感じながら暮らしている。
北朝鮮に生きる生身の人間の姿。それを突きつけ、日本人の「隣国観」を変えられないか。
写真家の初沢亜利さん(44)がそんな思いで、2010年から計4回の北朝鮮訪問を重ねて2012年12月に出版したのが、写真集『隣人。38度線の北』(徳間書店)だった。
1作目は、北朝鮮で出会った人々の喜怒哀楽の表情をクローズアップした写真を多く並べた。
その後は約1年半、沖縄に移り住んで撮影を続けた。
それも一段落した頃、知人から気になる話を聞いた。「北朝鮮は経済制裁の下でも裕福になっているらしい」
本当だろうか。行って確かめよう、と、再びカメラをかついで2016年12月、5度目の平壌に向かった。それから2018年冬まで計3回の訪朝で撮りためた写真をまとめたのが、続編『隣人。それから。38度線の北』(徳間書店)だ。
人と人との関わりや、社会の変化を追った写真が増えた。国全体が故・金正日総書記の喪に服していた4年前とは、いろんなことが変わっていたと感じたからだ。
北朝鮮国営の高麗航空に乗れば、これまで必ず「No Picture!」と制止されていた機内の撮影が、とがめられなくなっていた。
平壌市内に降り立つと、自動車の交通量は「目算でも4年前の3倍」に増えていた。
外貨が使える飲食店に、明らかに裕福な人々がタクシーでやってきて、タワーマンションに帰って行く。
不動産取引や貿易で資産を築いた「トンジュ」と呼ばれる富裕層が形成されていることをうかがわせる光景だった。
若い人々、特に男性の服装がカラフルになった。
同性が手をつないで歩くのは韓国も北朝鮮も同じだが、男女が人目をはばからずイチャイチャする姿は、4年前には見られなかった。
巨額の資産を築くことは社会主義では御法度だが、現政権は富裕層を黙認しつつ経済を牽引させようとしているとも伝えられる。
金正恩氏が李雪主夫人と腕を組んで表舞台に現れるなど、「これまでの慣習を打ち破ろうとしている」と、初沢さんには映る。
もちろん、経済発展著しい平壌だけが北朝鮮の全てではない。
平壌から30kmも郊外に出れば夜は真っ暗な田園地帯。農作物の盗難を防ぐために、畑に泊まり込む家族がいた。
初沢さんは語る。
「いつもは貧しい様子を撮らせたがらない案内人も、今回はある程度、見て見ぬふりをしてくれた。『一生懸命生きている姿を伝えてくれればそれでいい』とも言ってくれた。
信頼関係を築きながら撮れるものを広げていく。撮影は、そんな微妙な間合いを探る作業でもありました」
4年前に比べ、訪問が許される地方都市は大きく広がった。
「北朝鮮が経済の改善に自信を持ち始めている表れかも知れない」と、初沢さんは感じる。
核実験や長距離弾道ミサイル開発を繰り返した北朝鮮に対し、アメリカ主導の経済制裁が続く。
「国民生活が打撃を受けて干上がっている」との報道もあるが、初沢さんは「少なくとも表面的にはまったく感じられなかった」という。
「1990年代に平壌を訪れた人からは、『街の木々の皮が全部はがれていた』という話を聞いた。それほど食べ物に困っていた時代があった。今はそれより明らかに発展している。経済に余裕がなかったら、アイスクリームの新製品なんて作りますか?」
前回の写真集を出したときは、日朝国交正常化への期待など「青臭い希望みたいなものがあった」と話すが、日朝関係は膠着状態が続く。
南北首脳会談が開かれ、史上初の米朝首脳会談に向けて駆け引きが続くなど、国際情勢が大きく動く中、日本が独自に打開しようという動きは見えない。
「このタイミングでどう北朝鮮と向き合ったらいいのか、政府も国民も考えていなかった。それが露呈したということじゃないでしょうか。でも日本人が北朝鮮を仮想敵国として政治利用し、お茶の間で笑いものにしている間に、北朝鮮は粛々と自力更生の道を歩んでいたんですよ」
「『住民を抑圧して食べ物がない国が長く持つわけがない』という過去の妄想を、日本人は捨てきれない。ただ、北朝鮮は明らかに前例のない発展をしています。その姿を、今後も見続けて伝えていきたい」
『隣人。それから。38度線の北』刊行を記念した初沢さんの写真展『北朝鮮2016-2018』は8月15日まで、東京都港区六本木4丁目のギャラリー「山崎文庫」(03-6804-5800)で開催。開廊時間は月曜から土曜まで午後5時~午前3時、日曜日は正午~午後6時。